第85話「旅商人アキンド」
街道を少しだけ進んだところにある村に商人たちは集まっていた。村の中央に荷車が停まっている。
村と言っても、大所帯が逗留できるというほどの規模ではない。宿屋は無く、小さな酒場があるくらいだ。普段は通り過ぎるような村なのだが、今回は緊急措置として商人たちはここで集合していた。
積荷を確認するハスマル氏の長男。護衛の副リーダーと何事か話すハスマル氏。ほかの護衛の冒険者も少し顔色が悪い。他の二名の商人のうち、片方は荷車ごと失ったのだ。その顔面は蒼白になっていた。木箱に腰掛けてうなだれていた。
レジェル達が戻ってきたのは、そんな時だった。冒険者たちの間にほっとした空気が流れ、明るい表情が浮かぶ。
副リーダーの冒険者とハスマル氏がレジェルに向かってすぐに駆け寄っていく。レジェルが笑顔で片手を挙げた。
「待たせたな」
「レジェルさん、無事でしたか。安心しましたよ」
「急に任せて悪かったな」
「いえ、それが仕事ですから」
副リーダーが頷きながら言った。その顔がレジェルの武器がなくなっていることに気付いて曇る。
「一体何が……?」
「影大猿が出たんだよ。何とか撃退したが剣を失った」
「そうでしたか。でも、ご無事で何よりです。では、他の冒険者の皆さんに連絡をしてきます」
副リーダーはそう言うと、他の冒険者に声をかけるために駆け出していった。
入れ替わるようにしてハスマル氏がレジェルのそばにやってくる。
「いやあ、災難でしたな。こんなところで魔物に出会うとは誰も思いはしませんよ」
「そう言っていただけると助かります。ハスマルさんもご無事で何よりです」
「この先も頼みますよ。……ところで、この方はどなたですかな?」
ハスマル氏はレジェルの後ろにいる人物をちらりと見た。レジェルのさらに後ろ、ミトナとシーナさんに隠れるようにして、所在なさげに立っている人物。ゆったりとした黒いローブみたいな服装に頭にターバンをつけ、目だけを出すように布を垂らして顔を隠している。アラビアの民族衣装のような格好だ。
「彼は南から来た旅の商人アキンドさん。運悪く影大猿と戦っているところに通りかかったのです。そのまま放ってくるのもいただけない。目的地は同じなのでぜひ同道させていただきたい。オレが責任を持ちますから」
レジェルはつとめてまじめな顔で言い切る。
ハスマル氏はじっと旅商人アキンドさんを見つめていたが、やがて、ふっと笑みを浮かべた。
「マコトさんはどうなされましたかな? 姿が見えないようですが」
「影大猿との戦いで負傷したので、ベルランテに戻りました」
「……いいでしょう。レジェルどのの言うことでしたら。まあ、冒険者とはいろいろあるものでしょうしね。商隊の方には私からも話をしておきましょう」
「恩に着ます」
ほっほっほ、と笑いながらハスマル氏が馬車の方へと戻っていく。ハスマル氏が十分遠くに行ったと思えるほどの距離になってから、アラビア風旅商人アキンドが額に手をあててがっくりと気落ちした様子を見せた。
「やっぱり無理があるだろ、この作戦……」
その通りだ。
旅商人アキンドなどいるわけがない。俺だ。
「オマエさんなあ。やってみんことにはわからんだろうが」
「くくくっ。似合ってるわよ! マコト!」
「ん。似合ってるよ」
「……みんなして楽しんでるだろ」
マコトという冒険者が狙われているとするならば、別人になってしまえばいいのだ。
『冒険者マコト』ではなく、『旅商人アキンド』になって行動することで、追手の追跡を撒くのだ。
幸い散乱していた衣服類の中にこんな服があったので借りることにした。革防具のガントレットを外せば、ゆったりした服なので上から着ることができる。おかげでちょっと太めな人みたいになっているが。
持ち主の商人さんにはあとで代金だけでも何とかして渡しておこう。
しかし、ここまで一緒にやってきた商隊の方にとってバレバレだと思うんだがな。
まあ、ハスマル氏がいいというんだからいいんだろう。
「まあ、道中は『旅商人アキンド』になりきってくれ」
レジェルが俺の肩を叩くと、商隊の方に向かって歩き出していく。シーナさんもその後を追っていった。去り際にこちらに向かってとてもいい笑顔で手を振っていたのがなんだかむかつく。
俺はため息をひとつ吐くと、袖を広げ、自分の服装をまじまじと見つめた。
「そんなに別人に見えるか?」
「うん。不思議な感じ」
「まあ、やるだけやってみるか。ミトナ、悪いけどアルドラの手綱を頼むな」
「ん。任せて」
ミトナのお墨付きだ。ひとつしばらく変装したまま過ごすとしよう。
遠くからレジェルが俺たちを呼ぶ声がした。商隊が再び進み始めた。
あれから三日間、何も起こらず商隊は順調に進んだ。夜には村や町で宿泊するかなり安全な行程。旅商人アキンドという怪しい奴が一緒に行くことになったが、商隊のメンバーは特に異論はないようだった。たぶんハスマル氏の口添えが大きい気がする。
それとも、意外と効果があるのだろうか、この変装。
……それはないな。ミトナとも、アルドラとも一緒だし。クーちゃんが俺から離れないのが特にバレる原因だろう。いちおうアルドラの頭の上に乗せて、俺が傍にいることで解決した。
驚いたのは、西に行くごとにどんどん気温が寒くなっていくことだ。二日目の夜には雪が降り出した。こっちの世界でも雪は変わらない。すごく寒い。
二日目夜の町で毛皮の防寒具を買った。このあたりの魔物の毛皮らしく、水をはじき、熱を保つ。
護衛の冒険者達は初めから用意していたらしく、防寒用の厚手のマントに、口元を布で覆うなどをして寒さ対策する人も出てきた。覆面仲間が増えてちょっと目立たなくなった、と思いたい。
旅の途中困ったのは宿くらいなものだ。宿も小さく、商隊の規模もそれなりなので泊まる部屋が確保できなかったのだ。ミトナと同室になってしまう。
ミトナは寒いのは苦手ではないらしいが、すぐ眠ってしまう。熊だからだろうか。
でも、男の俺としてはもうちょっと警戒心を持ってほしいと思う。無防備すぎないか?
三回くらいクールダウンに寒い外に走りに行った。
女性冒険者とかって、こういうときどうしてるんだろうか。今度シーナさんにでも聞いてみよう。
俺は夜の長い時間を使って新たな魔法<やみのかいな>を検証してみた。
影猿を見ていてどんなものかはわかっているが、最初から肉の腕がある俺が使うとどうなるのか。
実際起動してみると、肩から手の甲あたりまでがボッという感じで一瞬で影に変化した。炎のごとく揺らめいているが、熱はない。形はそのまま腕の形を保っている。影猿と同じく掌はそのままだ。いちおう俺の意思で圧を変えたりすることも可能だ。
腕が伸びるかも試してみた。確かに伸びる。伸びる速度は遅く、じわじわと伸びる。ちょっと怖くなったのでもとの長さに戻してみたが、戻る時は一瞬だった。
影大猿を見てなんとなく予想はしていたが。<やみのかいな>起動時は、尻尾が生える。影で出来たしっぽが、服を突き抜けて生えている。猿の尻尾のような形、指で輪っかをつくったくらいの太さで、地面につくくらいの長さ。これも一応俺の意思で動く。だが、尻尾を動かそうと意識すると、それに気をとられて全身の動きが止まる。
ラーニングの難点に俺は呻いた。
影猿たちは生まれたその時からこの能力を持って生きている。毎日使うものだし、成長するうちに自然に洗練されていくのだろう。
ラーニングによって後付けで覚えた俺は、覚えてすぐではうまく使えないのだ。
「ま、練習が必要だな」
成長するうちに様々な技術を身につけていくのは人間も一緒だろう。
ラーニングしたものを、いかに使うか。それが大切だろう。
しかしこれ普通の人間じゃありえない見た目になってる。人にはあまり見せられないな。以降も人目がない時間を選んでこっそり修練を続けることにする。
雪が降ると足元がぬかるんで歩き辛くなってくる。自然と商隊の進むペースも落ちる。
だが、集中力が切れそうになるここあたりが危ないらしく、護衛の冒険者達はピリピリとした雰囲気になっていた。
そばを進むミトナとアルドラを見る。ミトナは防寒用マントの前をしっかりと止めて、フードもかぶっている。アルドラの口からは白い息が断続的に出ていた。頭の上でも毛に埋まるようにしてクーちゃんが丸くなっている。
(アルドラは寒くないのか?)
(……問題ない。主は……毛がないから寒そう)
俺はアルドラの言い様に思わずほほを掻いた。
寒い地方にも狼っているしなあ。アルドラはたぶん大丈夫だろう。
「おう、マコ――アキンド、無事か」
レジェルが商隊の後ろまでくると、俺に話しかけてきた。
言いだしっぺなんだから名前間違えるなよ、レジェル。あれ、言い出したのはミトナだっけ?
「このあたりからティゼッタ領だからな。二つくらい町を通過したら、首都のティゼッタに到着だぞ。二日くらいだな」
「しかし、えらく寒いな……」
「そりゃそうだ。霊峰コォールから冷気が来ているからな、この時期は一番寒い」
レジェルはかじかんだ手を暖めるようにすり合わせる。腰にはすでに剣を差していた。
「新しい剣、買ったのか?」
「いや、こりゃ予備の武器だ。一流の冒険者たるもの、そういった備えもしてるもんさ」
旅商人に扮している俺は、霊樹の棒もミトナに預けている。心もとない。
「ティゼッタでは良質な武器が手に入るからな。ちょっと掘り出し物でも探してみるさ」
レジェルがぶるりと身体を震わせた。
「うう寒い。こう寒いときは酒場で一杯というのがたまらんぞ。次の町はそれなりに大きいからな」
それだけ言うと、にやりと笑ってレジェルは先頭へと戻っていった。
ティゼッタまであと少しか。俺はしんしんと雪が降る中、一歩一歩足を進めていった。




