第82話「商隊」
快晴だ。雲がうすくたなびいて、昼間の月が白く見えている。
野鳥の声がのどかな空気の中響きわたる。仲睦まじく宙を飛ぶ小鳥を、穏やかな気分で見やる。
森を左手に見ながら、商隊の一団が進む。森沿いの街道を一列になって荷物を載せた車が進んでいく。
ベルランテでは逆に珍しい馬が牽く荷馬車や、毛長マルフが牽く荷犬車がゆっくりだが力強い足取りで進んでいく。荷車四両、屋根つき馬車が一両。商人三人による小規模の商隊だ。少ないように見えてもこれに護衛と商人の家族がいるのだから、それなりの大所帯になる。
最後尾から二番目あたりに、俺は位置していた。アルドラのラックに荷物を積み込み、俺自身は地を歩いてついていく。
商人とはとても重要な職業だ。
農夫や猟師たちが生活の基盤となる食料を生産して国や領地を支える。だが、それだけでは人間の生活は立ち行かない。身の回りの品、便利な道具、嗜好品、最先端の技術。そういったものを取り入れて、よりよい生活を目指していくのはどこの時代、どこの世界でも同じだ。
商人は街と街をつなぎ、そういった必要とされる物や技術を提供する。
また、距離のある地点をつなぐ通信が無いらしいこの時代は、街と街との連絡はこういった商隊が手紙や書簡を届けるのだ。
王族や騎士団などになれば、専用の伝令兵や通信騎兵などが存在するが、普通の人たちにとっては商隊や冒険者を利用するのが普通だ。
だが、その分商人は危険を伴う。
大きな荷物を持って街道を行き来する商人は、荷物があるため機敏な動きができない。そのため盗賊に狙われてしまうことが多々あった。また、場所によっては魔物に襲われてしまうこともある。
そのリスクを減らすために冒険者に依頼がくるのだ。
等級の高い冒険者も、何人かの商人がまとまって商隊となることで雇うことが可能になる。
また、冒険者ギルドのほうもそういった大きな商隊とつながりを持ち、できるだけ融通しながら冒険者に連絡をするようなシステムができあがっているらしい。見事なものだ。
今回の護衛には冒険者のパーティがいくつか連携を取りながら護衛に当たっている。その中にレジェルとシーナさんの姿を見かけた時にはかなり驚いたが。出発してからずっと二人は先頭のあたりを警備しているため、まだ話す機会をもてていない。あとでいろいろ話したい。
商隊自体はゆっくりとした速度で進んでいる。歩いてついていけない速度ではない。なぜか護衛の冒険者が歩いているので俺も歩いてみている。何か理由があるのだろうか。考えられるところだと、盗賊や魔物に即応できるようにということなんだろうか。あとで聞いてみようか。
考えている俺のところに乗っている馬の速度を落として、ちょび髭を生やした固太りの中年が近づいてきた。この商隊の中心格であるハスマルさんだ。ベルランテで仕入れをしてティゼッタへ戻るところだと言う。やさしげな笑みを絶やさぬ紳士的な人物だ。
「ほっほっほ。どうですかな、何か不自由はありませんか? マコトさん」
「何も不自由はありません。お世話になって恐縮です」
「いえいえ。窓口の彼にはだいぶ世話になっているのでね。いい冒険者をよく紹介してもらっているんだ。これくらいは当然さ」
そう言って朗らかに笑うハスマル氏。飛び入りの俺についてもこの気遣い。ハスマル氏はなかなかの大人物かもしれない。
「それに、マコトさんもティゼッタで商売されるおつもりでしょう?」
「あ……いや、それは……」
俺は言いよどんだ。ハスマル氏は俺の隣を見ながらわかっているとばかりにうなずいている。
俺の隣には、たくさんの剣をしばってまとめて担いでいるミトナの姿があった。
「ん。もちろん販売と仕入れをしたい」
力強くそういうと、なぜかガッツポーズを取るミトナ。そう、ミトナなのだ。
俺がミトナに声をかけるのを忘れていたのを思い出したのは、出発当日の朝だった。
アルドラに荷物を積み込んでいるさなかに、完全に旅装を調えているミトナが現れたのだ。さらにはツヴォルフガーデンで手に入れた剣に加え、ウルススさん作の武器を抱えていた。
確かに旅に「必要なもの」をそろえるとは言っていたが、ミトナもそこに含まれているとは思わなかった。
まあ、たしかに来てくれるのは心強い。この世界の常識をあまり知らない俺としては、気軽に聞ける相手で助かる。
それに、かわいい女の子と一緒に旅行だなんて以前の俺では考えられないことだ。そのあたりも楽しくなる要素のひとつだな。
「これは楽しみですな。ほっほっほ」
ハスマル氏はそう言いながら隊列の元の位置へと戻っていく。先頭にほど近い屋根つき馬車には、ハスマル氏の家族が乗っている。馬車の造りや豪華さから見ても、ティゼッタで結構有力な商人なんじゃないだろうか。他の二人の商人は自分の馬車を自分で御している。積み込まれた荷物の量や質も違うのは、商人としての格が違うということなんだろうか。
そんなことを考えてながら歩く俺に、ミトナが話しかけてきた。流れていく森の景色や、のどかな街道の風景をのんびりと見ながらミトナと話す。
「そういえば、マコト君はティゼッタに何をしにいくつもりなの?」
「むかつくやつをちょっとボコりに」
思わずいい笑顔で言ってしまった。ミトナが不思議そうな顔で首をかしげる。
俺は暗殺ギルドに狙われている現状と、撤回のためにボッツに会いに行く現状を話した。ついてきたミトナに隠しておくほうが下手を打つかもしれないしな。
「そっか……。何か手伝えることがあったら言って」
「おう。助かる」
「……ん」
ミトナの気遣いがうれしくて笑顔で答える。ミトナはいつもの眠そうな目を一瞬細めた。だがそれ以上何も言わず歩く。ちょっと気になったが突っ込んで聞くほどでもないかと考えて、俺も黙って歩く。
大勢が歩く足音と、車輪が地を噛む音。梢が風で揺れる音が耳をくすぐる。
車を牽く動物の息遣いや匂い。
ああ。そういや忘れてたな。
俺の視界に、元の世界の幻影がダブる。開発されきったコンクリートの街並み。車両がひっきりなしに通り、排気ガスを撒き散らしていく。木の代わりに天を突く電柱。こんな風に自然の中を歩くなんて、いつぐらいからできなくなったんだろう。
フードの内側からクーちゃんが顔を出した。物思いが中断される。
クーちゃんはくんくんとあたりの匂いを嗅いでいる。何度かあたりの匂いを嗅ぐと大きなくしゃみをした。
(……主。嫌な匂いがする)
アルドラが低くうなる。俺は意識を鼻に集中してみるが、特に匂いを感じない。ミトナの嗅覚なら何かを感じ取れるだろうか。俺はミトナに振り返る。
「ミトナ。アルドラが何か匂うって言うんだが、何か感じるか?」
「んー……」
ミトナはしばらく俺がしたように匂いに集中したようだった。やがて何かを見つけたような表情になる。
「微かに甘い……ような匂いがする」
とはいえ、これが何を示しているのかわからない。アルドラが嫌な匂いと言う以上は警戒をしたほうがいいのかもしれない。霊樹の棒を握る手に力が入る。
「嫌な感じだな……。変わったことがないかちょっと聞いてくる」
「ん」
俺の提案にミトナがうなずく。
俺が速度を上げて先頭に行こうとした瞬間に、それは起きた。
「うぉ――ッ!?」
「ぎゃッ!?」
「な……ンだコイツら!!」
商人と冒険者の動揺した声が聞こえる。車を牽く毛長マルフが驚き、嘶いて動きを止めた。がちゃんがちゃんと荷車が揺れる。
俺が居る後ろからだとはっきりと見えた。
大量の影猿が森から飛び出してきたのだ。