第81話「出立」
『洗う蛙亭』の一室。俺は自分の部屋で荷物の整理をしていた。放り投げた衣類がクーちゃんの上からかぶさり、もごもごとクーちゃんが這い出してくる。
部屋を解約するつもりはないが、ある程度はきれいにしておかないとすぐに大変なことになってしまうだろう。荷物の整理をしているのはなんてことはない、ちょっとした遠出の予定ができたのだ。
どうやら暗殺依頼というのはなかなかやっかいなことらしい。
暗殺ギルドの依頼を撤回させるには、依頼をした当人でなければならない。
刺客をいくら倒しても、新たな刺客が送られてくるだけなのだ。 暗殺依頼を撤回させないことには、依頼者が死んでも狙われることには変わりはないらしい。
ボッツを殺さない、という約束で俺は奴の居場所を聞き出すことに成功していた。
とりあえずボッツを見つけてボコボコにしないことには、俺の気持ちが収まらない。しかるのち暗殺依頼を撤回させる方向で動くことにする。俺が殺さなくても、不慮の事故で人間なんて簡単に死ぬものだからなあ。
バルグムの情報によると、どうやらボッツはティゼッタ領というところに居るらしい。ベルランテから東の森沿いの街道をずっと進んだあたり、霊峰コォールのふもとにある街だという。
ベルランテから南下した先に王都グラスバウルがあるのに、わざわざ東に遠回りする理由がわからなかったが、ハーヴェによるとティゼッタ領にはボッツの兄が居るらしく、それを頼ってのことだろうとのことだった。
ボッツの兄……こいつも奴のように駄目人間なのだろうか。
「よし、荷物はこんなものか……」
詰め終えた荷物を確認すると、俺は部屋から出た。しばらく留守にするにあたって、いくつか声をかけておきたいところがあるのだ。
電話やメール、そういったものがないこの世界だ。しばらく音信不通になっていると死んだと思われかねない。行き先をいくつか考えながら俺はベルランテの街に繰り出した。
まずは冒険者ギルドへ顔を出す。細目の窓口さんにしばらくベルランテを離れることを告げるが、問題はないようだった。冒険者の証はどこの街に行っても通じるものらしく、他の街で依頼を受けることも可能だとか。ただし名声というか知名度は一からになるので、そのへんは頑張り次第だと言う。
「ところで、目的地はどこでしょうか?」
「ティゼッタ領というところに行く予定だ」
「ベルランテから東ですね。ティゼッタですか? モリオールですか?」
「もりおーる?」
窓口さんは困った人を見るような表情になった。ティゼッタ領とは領地の名前であり、かなり広い範囲をさすことを小さい子に教えるように俺に言う。とりあえずティゼッタ領の主要都市であるティゼッタに行けば大きめの冒険者ギルドもあるらしい。
「行き方はご存知ですよね」
知らない。
勢いだけで出発を決めたので地図を購入すればなんとかなるだろうと考えていた。
「地図を買えばなんとかなるかなと」
「地図は高級品ですよ……。ここからティゼッタ領まで網羅した地図となると……」
窓口さんが俺に示した金額は、目玉が飛び出そうになるほど高かった。
あ、そうか。
元の世界で地図が量産されているのは測量や地形照合が色んな方法で出来るからだ。この世界で地図を作ろうと思えば、迷宮のマッピングと同じく、歩いて地図を作るしかない。昔に歩いて全国の地図を作ったという偉人がいたな。ものすごい歳月がかかったそうだ。
そこまで精度の高い地図でなくとも、量産が難しいという難点も付きまとう。絵描きは大量に使っていたが、製紙技術は今ようやく盛り上がってきたあたりらしい。最近は市場にもできの悪い紙が出回り始めているぐらいだ。
じゃあ、どうすればいいんだ? 行く前から辿り着かない。
しょうがない、というふうに窓口さんが助け舟を出してくれた。
「商隊に一緒させていただくというのはどうでしょうか。私の伝手でよければお願いできると思います」
「お……! いや、それなら俺が護衛として商隊につくというのは?」
「マコトさん、護衛依頼の経験は? ティゼッタまでの道のりを的確に指示できる技量は?」
「……どれもないです」
「わかっていただければよろしいです」
俺も冒険者としてはまだまだだなあ。ここは経験を積むつもりでお客さんをさせてもらおう。窓口さんにお願いすると出発は二日後、食料、荷物、テントは自分で面倒を見るという条件で商隊にご一緒させてもらえることになった。ハスマルという商人だそうだ。
ひとまず道のりはこれでいい。おおいに安心して冒険者ギルドを後にした。
次にベルランテから出て魔術師ギルドに向かう。フェイにも挨拶をしておくつもりだ。
魔術師ギルドの扉を開けると、いつもどおり変な奴らがたむろしていた。あまり気にしないようにしてカウンターへ向かう。
カウンターではいつものようにだらけた姿勢でチャラ男のショーンが座っていた。隣の席ではフェイが退屈と戦っていた。外出用装備ではなく、ベストにタイの制服姿だ。そのフェイが真剣なまなざしをしたまま、かなりの量の水晶を机の上に積み上げている。ひとつ載せるたびに揺れる山を見て、詰めた息を吐く。
なんかこんなゲームあったな。崩れたら負けなやつ。
俺はカウンターに歩み寄ると、フェイの前に腰掛ける。
「暇そうだな」
「……暇そうに見える? 仕事中だわ」
「うそつけ」
しゃべった瞬間、指先が揺れて水晶の山が崩れた。
「……」
「……」
フェイはあーあ、という顔でざざーっと袋に戻していく。ついでにうらみがましい視線を俺に向けてくる。
「暇つぶしじゃねえか」
「うるさいわね。何か用?」
「いや、しばらくベルランテを離れようと思って」
「ふぅん。…………へ?」
フェイは予想外のことを聞いたかのように、ぽかんとした顔をして俺を見ていた。
「ど、どこに行くのよ」
「ティゼッタまで。ちょっとした野暮用があってな」
「ふ、ふぅん」
フェイは何事かを考えこんでいたようだが、やがて何か言おうとぱくぱくと口を開けたり閉めたり。
「ど、どうしてもっていうんだったら一緒に行ってやらないこともないけど?」
「あー……そりゃ、助かるが」
俺はちょっと考えた。何だかんだ言ってフェイはかなりの腕前の魔術師だ。しかも魔術については俺よりはるかに知識を持っている。最近は新しいラーニングがないが、ティゼッタでラーニングをすることになったらその頭脳を頼ることが多いかもしれない。
だが、フェイにはフェイの仕事があるだろう。魔術師ギルドのカウンター業務とか。それをわざわざ止めてまで同行してもらうのはどうか。その間の金銭を補填とかできない。
それに、暗殺者の問題もある。近くにいると危険が及ぶ可能性がある。近接戦闘能力としてはいまいちなフェイを危険にさらすわけにはいかない。
「あ、いや。やっぱ、フェイにも仕事があるだろ。俺のために無理はさせられない」
「あ……。そう……」
フェイが微妙な表情をする。ティゼッタに行きたかったのかもしれない。観光なら今回の件が落ち着いた時に行くといいだろう。
「あ、マコトさん、チョイいいッスか?」
ショーンが隣のカウンターから身をのりだして話しかけてきた。手にはこの前フェイが持って帰った古代の剣が握られている。
まだ微妙な顔をして固まっているフェイに手をふると、ショーンのカウンターに移動した。
ショーンはカウンターに古代の剣を置くと、ゆっくりと抜き出した。切れそうにない剣身と刻印が見える。
「これ、オレにもよくわかんなかったッス。こんな構造初めてみたッスよ」
「いちおう武器なのか?」
「いろいろな方法でマナを流してみたッスけど、反応はなかったッス。……反応がなさすぎた気がするんスけどね」
ショーンが一瞬真剣な顔をして古代の剣を見る。剣身に刻まれた溝を指先でなぞりながら、話を続ける。
「ここに文字っぽく見えるのがわかるッスか? そこからこの剣は便宜的に【ハクリ】と呼ぶッスよ」
「ハクリ……」
「とりあえずこれはマコトさんが持っていくッスよ。横から聞いてたッスけど、ティゼッタ領のコォール山には古代神殿があるって話ッス。そこまでいかなくても、街で何か聞けるかもしれないッス」
ショーンが剣身を鞘に収める。そのまま俺の手に丁寧に返却した。それなりの長さがあるわりに、ひどく軽い。
うーん。今の段階では使いようがないなあ。好事家に売り払うのも一つの手かもしれないが、もし、とてもレアな能力などが隠されている場合は手元に持っておきたい。
まあ、今のところは持っておくことにしておこうか。
ショーンの話は以上だったようで、笑顔で手を振りながら元のカウンター席に深く腰かけた。
フェイは、と見るとものすごく不機嫌な顔で腕を組んでいた。何なんだ。声かけづらいな、おい。
なんだか気まずい。俺は古代の剣を手に、逃げるように魔術師ギルドを後にした。
ベルランテの街に戻ると、もう夕方といったいいほどの時間になっていた。
ウルススさんとミトナにも言っておいたほうがいいだろう。ウルススさんには旅に必要なものもそろえてほしいところだし。
大熊屋の扉を開けると、ウルススさんとマカゲの声が聞こえてきた。どうやら武器を打つことについて論じているらしい。俺にはわからない難しいことを話している。
小動物全開のイタチの獣顔から若いと思ってたが、もしかしてかなりいい歳なのか?
そう思っていると、ウルススさんを俺に気付いた。
「おお、ボウズ。よう来た。どうしたんじゃ?」
「あ、いや。ちょっと遠出したいと思って。遠出に必要なものが欲しいんだけど」
「ふぅむ。野宿も考えとるのなら、簡易テントは必要じゃろ。もっとったか?」
ごそごそと店内を熊が歩き回る。この街に来たはじめは食われると思ったもんだが。いまはユーモラスな感じしか受けない。
ウルススさんの選定のもと、いくつかの道具が積み上がっていく。
「短脚牛の革テントじゃろ。水呑蜥蜴の革を使った水袋……、それと、これもいるじゃろ」
ウルススさんは言いながら俺に一本の棒を放ってよこした。手に吸い付くような感触。軽すぎず、重すぎず、俺にとって理想のバランスで成り立っている。見た目は白樺のような白色木製の棒にしか見えないが、ほのかに銀のように輝きが入っている。
「霊樹の枝から作った棍じゃ。最近入った珍しい一品じゃぞ? 店に並べずにとっておいたんじゃからな。感謝せいよ」
「ウルススさん、ありがとう」
がっはっは、と大声で笑ってウルススさんは言う。こういうところは本当にありがたい。
ウルススさんが道具の選定を終えると、けっこうな量になってしまった。
「出発の日の朝に来るんじゃ。必要なものは用意しておいてやるからのう。白妖犬の荷物入れに縛れば余裕じゃろうて」
たしかにこの量の荷物をこれから持って帰るのは気が滅入る。ありがたくその言葉に甘えさせてもらうことにする。
代金を払うと、俺はいい気分で帰宅した。いい準備ができた。