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第70話「アルマ」

「はぁ……はぁ……!」

「大丈夫……。きっと逃げられる……!」


 どうしてこんなことになったんだろうか。

 森の中は薄暗い。足元は悪い。長時間逃げ続けることはできない。

 それでも恐怖からその足を止めることができない。たぶん、足を止めてしまえば、もう動くことはできないだろう。


「ごめんね…。ごめんね……」


 搾り出すような謝罪の声に、私はしんどいことも忘れて苦笑した。手をつないで共に逃げる猫獣人の女子。私のたった一人の友人だ。目に涙を浮かべ、思いつめた表情をしている。


 一人なら諦めてしまっていた。もとより自分の命にあまり執着はない。この呪われた身はむしろいなくなってしまったほうがいいと考えていたくらいだ。


 母は自分を産むと同時に亡くなった。父は健在だったが、私のことをよく思ってなかったに違いない。それは、私の周りでは不可解な出来事が多く起こるからだった。感情が高ぶったときに触れてもいないものが壊れる。近くにいないはずの魔物がなぜか村に現れて家を襲う。家が所有する田畑には、異常なほど雑草が増える。

 すべてを私と結びつけるのは本当に馬鹿馬鹿しい。だけど、村人には何か矛先が必要だったのだろう。

 『あの娘と関われば呪われる』。私は村人から『魔女』と呼ばれ忌み嫌われるようになった。

 そんな娘がまっすぐ育つはずがない。暗く、とっつき難い性格になってしまったのはしょうがないことだろう。私自身はよくわからないが、どうも普通と違った考え方をしているらしい。それも異端に見えるのだろう。


 そんな中、猫獣人の彼女は親しく接してくれた数少ない人物だった。

 村にいても沈んだ気分になるばかりだから、気分転換に森を散歩しよう。そう誘ってくれたのは純粋にうれしかった。森の動物や木々は私を指差して悪意ある言葉を投げつけたりしない。楽しい時間をすごすことができた。

 あの、奴隷商人たちがおいかけてくるまでは。



「――――あうッ!?」


 考えながら走っていたせいで、私の足は木の根にひっかかってしまう。つないでいた手がすっぽぬけ、地面に勢いよく転がる。身体を強く打ちつけ、息が詰まる。

 うつぶせのしせいから、何とか身体を起こすが、もう走れる気がしない。足はパンパンに張っていて、熱をもっている。心臓は酸素を求めてなんども呼吸を繰り返す。

 友人が心配そうに戻ってくる。


「だ、だいじょうぶ!?」

「……行って、マオ」

「え……?」

「マオだけでも逃げて」

「そ、そんなことできないよ……!」


 猫獣人の友人――――マオの顔がくしゃっと歪む。わかっていたのだ。獣人である彼女は私とは身体能力が大きく違う。私さえいなければもっと素早く逃げることも可能だっただろうに。


「――――ったく、手間ァかけさせやがって」


 ガラの悪い声に、思わず身体がビクンとはねる。ああ、追いつかれてしまった。

 荒事に慣れた男が、表情も変えずに迫る。

 それでも逃げないマオの身体を押すが、マオは首を横に振るばかり。友人を縛り付けて逃がせない私は、やはり呪われているのか。

 男が私の腕を掴むと、引っ張って無理矢理たたせる。きつく握られた手首の痛みに、顔が歪む。


「触れるな……! 呪うぞ……!」

「そんなだからテメェは売られるんだよ!」


 散々おいかけっこをさせられた恨みからか、男の拳が私のほほにめり込む。頭をゆさぶる衝撃と、ほほの痛みが気持ちを麻痺させる。


「テメェの親父にカネも渡してあるんだから、おとなしくついて来い、このガキ!」


 世界が色がなくなるとはこういう気持ちか。いつかは捨てられるとは思っていたが、売られるとは。

 マオは声も無く立ちすくんでいる。

 抵抗する意思をなくした私たちが、馬車に放りこまれるまでそんなに時間はかからなかった。



 そこで、『あの人』と出会った。

 

 うずくまる私を癒し、笑いかけてくれた『あの人』。

 考えるたびに胸が熱くなる。


 最後に見たのは、私たちを守るために襲撃者に一人立ち向かう姿。

 その後のことはわからない。水の流れが視界を埋め……。



 

 アルマはそこで回想を断ち切った。村ではよくこうやって自分一人の世界に閉じこもっていたのものだ。よかった出来事に浸るのは得意なのだ。

 アルマは部屋の隅にうずくまっていた。いまやマオとの二人部屋があてがわれていても、この癖は治らない。アルマの居る一角だけが、じっとりと暗い雰囲気がよどんでいるように見える。

 部屋の扉がノックもなしに開いた。そんなことをするのは同室であるマオだけだ。


「あ、まだ着替えてない! ほら、朝の仕事に間に合わなくなるよ、アルマ」


 マオがそういいながら部屋に入ってくる。アルマはうずくまった姿勢のままマオを見上げた。

 マオは黒を基調としたワンピースにエプロンをつけた、いわゆる家政婦(メイド)服を着用している。頭にはホワイトブリムまで着けていた。猫獣人である彼女には、髪留めは必要ないため、飾りなのだろう。


 アルマとマオは、あのティゼッタ領の領主のもとで働いていた。

 川を流されたあと、ティゼッタ領の近くまで流れ着いたのだ。そのまま野垂れ死にしそうな二人を、たまたま通りかかった領主が拾ったというのが経緯だった。

 ぼろぼろだった二人を領主は館まで連れて行き、看病した後に仕事まで与えてくれたのだ。

 はじめは何かの罠かとも思ったのだが、数週間たっても何事もない。


 マオはアルマをたたせると、着せ替え人形のように洋服を着せ替え、髪を梳かして支度を調えていく。 マオと同じ黒を基調としたエプロンドレス姿。アルマはされるがままになっていた。やがて身支度が終わると、アルマの手を引っ張ってマオが部屋から連れ出した。アルマの頭にあるホワイトブリムが揺れる。


「今日も働くんだから、笑顔だよ。笑顔」

「……こう?」


 マオが満面の笑みを浮かべる。ひげがにょんにょんと上下するのが可愛い。

 うながされてアルマも笑う。死んだ魚のような目で、ニィィィと口の端が裂け、三日月のようになる。


「……アルマは練習が必要だね」


 マオが困ったように言う。

 笑う必要などあるのだろうか。どうせそのうちここでも嫌われるだろう。マオに手をひかれながら、アルマは考えていた。

 この友人は違う。この領主の館にやっかいになりながら、戦う技術も身につけようとしているらしい。訓練を始めたことを最近聞いた。

 確かに、ふかふかのベッドも、おいしい食事も嬉しい。館の人々は優しい言葉をかけてくれる。

 しかし――――。 


(私は、何のために生きるんだろう……)


「ん? 何か言った?」

「……ううん」


 マオが振り返って問う。アルマは首を横に振って否定した。

 アルマの心の中には、ぽっかりとした(うろ)がある。感じる世界は味気ない。


 アルマは考えることをやめた。

 今日も流されるだけだ。 

とうとうあの二人登場です。

次の更新は2日後になります。またお会いしましょう。

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