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第69話「ベルランテの群像・エルと絵描き」

 

 その金の瞳を、美しいと思った。

 実は、後を追う理由なんて、そんなものなのだ。

 

 洞窟といえど天蓋は無く、ただ沈み行く夕陽が降り注ぎ、剣の如く突き刺さっている。

 周りの岩肌は崩れ、穿たれ、これまでの激闘とその存在の脅威を物語っていた。

 その人の全身は返り血に染まり、目の前には黒き巨体が横たわっている。いかに強大な存在といえども、死は等しく訪れる。その様子は、胸に迫るものがあった。

 

 あの人は、どんな気持ちで見ているのだろう。僕は盾の持ち手を強く握り締めた。その胸中は量れるものではない。

 夕陽を一身に受け、命を燃やしているかのごとく一心不乱に筆を走らせる姿。

 涙は無かった。つらさや、悔しさ、哀しみ、喜び、すべてを飲み込んだ瞳だからこそ、魅了されるのか。


 だから、僕は――――。


 

「おい。おーい! エル。起きないかエルライト」


 つんつん、ではなくズドズドとほっぺたをつつかれ、エルは目を覚ました。ものすごくほっぺたが痛む。たぶんこれは指じゃなくて絵筆の尻で突かれたか。


 ぼんやりした頭で、あたりを見渡す。街ではない。あたり一面、遠くまで緑の草原が続く。そこまで来て、ようやく自分はベルランテの街の外にいることを思い出した。十八歳にしてはさらに年下に見られがちの整った相貌がしかめられた。

 絵描きがアーマーライノーを描きたいと言いだしたものだから、しょうがなく護衛として付き添うことにしたのだ。

 エルライトは普段の装備を身につけていた。動きやすさ重視のハーフアーマー。だが、要所には追加装甲をいれて防御力を上げてある。


「護衛が寝てどうするんだい? 私はかよわいんだから、しっかり守ってくれないと」


 青みがかった髪を草原の風になびかせ、絵描きが言う。いたずらっぽく笑む口元。目元まで隠すほど髪の量が多い。着ている極彩色の服は、様々な絵の具が付着して出来た偶然の産物だ。

 そこまできてようやく、エルこと、エルライト・フォンターンは自分がぐっすりと眠りこんでしまったことに気付いた。

 恥ずかしさのあまり顔を赤くなる。


「最近激動の日々だったからね。眠くなるのもしょうがないことさ」


 絵描きはイーゼルに向き直る。視線の先にはゆっくりと草を食むアーマーライノーの姿が見える。

 この距離であれば襲い掛かってくることはないだろうと、座って待機したのが間違いだったのだ。疲れがどっと出て睡魔に襲われてしまった。


「冒険者等級の上昇試験に、ドマヌ廃坑の調査。ご苦労だね」

「あなたの世話も、ですよ」


 それは悪いね、と絵描きは笑う。目は被写体とキャンバスを行き来し、エルライトの方を見ない。集中している彼女はそうだ。だから、エルライトがじっと絵描きを見つめていることにも気付かない。


 エルライトと絵描きが出会ったのは、数年前だった。

 個人的な事情から色々な街を放浪するエルライトは、トリオンという小さな町で出会った。武器も持たず魔物の絵を描きに行こうとする彼女は、とても危なっかしく放っておけなかったのだ。行き倒れになりそうになった時にご飯を奢ってもらったのもまずかった。

 魔物の巣で死なれるのも目覚めが悪い。エルライトがついつい彼女に付きまとい、その身を守るうちに、なんとなく今の関係ができてしまっていたのだ。


(いつもいつも、無茶なことばっかり言うんですから)


 エルライトはこっそりとため息をついた。

 魔物は人を襲う。これは当たり前の事実だ。

 魔物にとって人間は襲いやすく食べやすい。やつらにとって餌にすぎない。

 そんな魔物を愛し、絵描きは常に最前線に寄っていく。武器も持たず。絵筆だけを持って。


「だから、気にしすぎなんだよ、エルくんは。ハゲるぞ?」

「ハゲませんよ。それに、そう思うんでしたらもうちょっとおとなしくしてもらえると助かります」

「それは……無理だな。うん」

「お金には困ってないのでしょう?」


 そうは見えないが、絵描きは金持ちだ。冒険者ギルドに描いた魔物の絵を卸しているからだ。魔物の特徴を細部まで描いた絵は、識別する上で大きな手がかりとなる。もはや魔物事典ではおなじみの有名作家となっているのだ。もちろん、報酬は高い。


「お金は問題じゃないんだよ。知ってるだろう?」


 もちろん知っている。

 だが、魔物のそばにいけば命の危険があるのだ。エルライトは常々言うが、聞き入れられたことはない。

 僕が守らないと。エルライトは自分の盾を意識する。世に二つとないだろう特殊な一品。


「しかし、有名になったもんだね」

「……何のことです?」

「あの冒険者クンだよ。マコト……とかいったかな。調査隊では一緒だったんだろう?」


 絵描きが筆を口に咥え、宝石を砕いて粉末状にしたものを水に溶いた。鮮やかな緑色を丁寧に指で縫っていく。筆に持ち替え、再び線を入れていく。アーマーライノーの輪郭が浮かびあがり、その鎧の頑健さや力強さが描きこまれて行く。


 確かに、エルライトはマコトという冒険者と一緒になった。二度目のドマヌ廃坑突入時には、魔術を行使して道を拓いた。その獅子奮迅ぶりはまさに大魔術師(ソーサラー)と呼ばれるのも納得だ。


「中級魔術を同時起動するなど、あの方はかなりの術者ですよ」


 ふと、絵描きが手を止めた。


「いや、あれは術者というよりは……」


 絵描きの纏う雰囲気が変わる。

 エルライトは続きを待ったが、絵描きは最後まで言うことはなかった。すぐに元に戻ると、筆を動かしはじめる。


「いいのかい? エルくんは有名になりそこなったけど」

「かまいません。有名になるなんて、わずらわしいだけですから」

「さすが、『剣聖の弟』くんは違うね」


 その一言を聞いて、エルライトの顔が苦いものに変わる。

 エルライト・フォンターン。剣聖の実の弟だった。その肩書きは、良くも悪くもいろんな経験をエルライトに積ませてくれた。人間とはいかに醜いものか、そして、逆にその中だからこそ映える美しさがあることを教えられたのだ。

 だが、利用してやろう、とか取り入ってやろうなど、大半はわずらわしいものなので、名乗るときも名前を切ってエルライトではなくエルと名乗るようにしている。


「うーん。こんなもんかな」

「描きあがりましたか?」

「まあ、ね」


 絵描きは慈しむようにアーマーライノーを見る。しばらく眺めていたが、やがてふっと視線を切ると道具を片付けはじめた。

 エルライトもすぐに移動できるように、盾を背中に背負う。


「そろそろこの街も出るころだろうね」

「次はどこに行くんです?」

「うーん。南もいいけど、東は寒くなるとヴェフラの覚醒期だから捨てがたいなあ」

「何でもいいですけど、危ない場所はやめてくださいよ。僕の命がいくつあっても足りなくなりますから」


 絵描きの口の端が持ち上がり、にぃっと笑う。絵描きはまとめた道具を背負った。でっかいリュックサックは無理やりつめこまれた様々なものでパンパンになっている。


「そう思うなら放っておけばいいと思うんだけどね?」

「それで死んだら僕の寝覚めが悪いですから」

「そっかそっか。じゃあ、今日は壮行会ということで飲もう」

「駄目です。酒癖悪いんだからやめてください」 


 エルライトは絵描きの隣に並ぶ。いつもの問答を繰り返しながら、街への道を歩いていく。

 

 願わくば、この人を守れますように。

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