第64話「名声」
ドマヌ廃坑の事件から三日が経った。
俺はぼんやりした頭でベッドから身を起こす。洗う蛙亭の自室だ。
これまでまともに動けなかったが、ようやく身体が動くようになっていた。
朝か昼かもわからないが、明るい太陽光が差し込んできていた。
ドマヌ廃坑での異変を魔術で撃滅させたあと意識が遠のいた俺は、騎士団医務テントで手当てを受けたらしい。らしい、というのも俺の意識がその時なかったからだ。
とりあえずアルドラにくくりつけられてベルランテの街まで戻った俺は、そのまま洗う蛙亭の自室に放り込まれた。普通なら一日寝ていれば回復するはずなのだが、二日間も寝込むことになってしまった。
ドマヌ廃坑の地下遺跡で新しい魔術を多くラーニングできた。特に臨時マナ基点の増設は、かなりの強化だ。今までの魔術の運用を、さらに応用していける可能性が見える。
しかし、角だ。角が生えるとか尋常じゃない。この二日間寝込んだのも、そういった身体強化の影響なんだろうか……。
この二日間、鹿の店主が食料を持ってきてくれなかったら衰弱死してたかもしれないな。本当に感謝だ。
とりあえず起き出すと身体の調子をチェックする。うん。かなり調子いい。
脱いであったいつもの革防具を装着し、マントを羽織る。クーちゃんが出かける気配を察したのか、ベッドからぴょんと跳び降りた。
俺は部屋を出ると階段を下りる。鹿の店主が俺のほうをちらりと見る。なぜかそのまま俺を凝視する。つぶらな鹿の瞳が俺をひたと見据えている。
何だ……? 用意してもらった分の代金はきちんと払ってあるぞ?
だが、いつもどおり鹿の店主は何も喋らない。
不思議に思いつつも俺はとりあえず騎士団に向かうことにした。
やることは決まっている。ボッツに復讐だ。
通りを歩きながら、俺は冷や汗をかいていた。
……見られている。
全員に、というわけではないが、冒険者っぽい姿をしている奴には大体見られている。あからさまに見てくるのはごく少数だが、ちらちらと気のないふりをして盗み見ている奴が多い。
一体俺が何をしたのか。まさか知らないうちに指名手配でもされているのか?
だが、それにしては騎士団が逮捕しにくる様子もない。
気持ち悪い思いをしながらも、騎士団舎に到着した。
見える位置にないが、こちらをマナの繋がりで感じたのか、アルドラの心配そうな思念が届く。大丈夫、と同じく思念で返しておく。
さて、ショータイムだ。
正面から騎士団舎に乗り込んだ。
いつもの案内係君が、俺の顔を見ると駆け寄ってくる。ちょうどいい、ボッツの居場所を聞くとしよう。
「聞きたいんだが――」
「おお! “大氷刃”のマコトさんじゃないですか!」
「ちょっと待って、何そのふたつ名」
「聞きましたよドマヌ廃坑先遣調査隊の話!」
ざわっ、と騎士団舎エントランスが騒然となる。
あれが“千人殺し”……。とか“大魔術師”の……。とか聞こえてくるのは幻聴と思いたい。
「一体何が……?」
「ドマヌ廃坑先遣調査隊の話は、この街で起きた実際の英雄譚ですよ!」
「へ……?」
「少数精鋭で危険も顧みず調査する中で発覚する異変! 大量のスケルトンでベルランテの危機! 集められた冒険者や騎士団員も全滅しかかったその時!!」
案内係くん、君ってそんな人だったのかい?
なんだなんだと騎士団の団員たちが集まってくる。ちょっと、もうやめて。
「ドマヌ廃坑に出現した千匹のスケルトンとジェネラルスケルトンを魔術で吹き飛ばしたと! 冒険者と騎士団が壊滅しかかったのを颯爽と救ったと聞きました!! 今酒場で一番熱い話題ですよ!」
俺は頭を抱えた。
どうやらドマヌ廃坑での出来事が、誇張されて伝わっているようだ。
周りの奴らが俺を見る目が尊敬とか憧れとかそういう視線になってる。あれか、道中俺を見てた奴らも、もしかして同じだったんだろうか。
「いや……それは……」
「あ、すみません、御用事ですよね。バルグム隊長の執務室まですぐに案内させていただきます!」
ビシっと敬礼を決めて先導を始める彼に、俺は何も言うことができなかった。まあ、金の件もある。ボッツに仕返しをする前に受け取っておくのがいいだろう。
バルグムが居るいつもどおりの執務室。敬礼姿の案内係君の姿が、閉められた扉の向こうに消える。
俺は頭をかきながら執務室のソファに腰掛けた。
「まずはお礼を言うとしよう。ドマヌ廃坑の調査、そして解決。多大な協力に感謝する」
「十分に感謝してくれ。俺がいなけりゃ冒険者と騎士団員と、全滅だったんじゃないか?」
「被害が少なくすんだのは僥倖だ。あれだけの異変、そうそうあるものではないからな」
俺はボスの正体を言うか迷う。あの時俺とミトナの会話を聞いていた奴もいるだろう。情報として入っているかもしれないし、そうでないかもしれない。
「ジェネラルスケルトンは…………」
「何だ?」
「…………ルークのなれの果てだった」
「…………そうか」
バルグムの表情に変わりはなかった。いつもの骸骨のような顔は、無表情のまま。何を考えているのかはわからなかった。
「それより、約束してた金を渡してもらおう」
「今回の任務は魔術師ギルドから褒賞が出るはずだが?」
「違うよ。マルフの代金」
一瞬の間が空いたが、バルグムは執務机の引き出しを開けると、中から革袋を取り出した。この用意のよさ。やっぱり金自体ははじめからあったんじゃないか?
バルグムが机を回り込み、俺の正面に座る。革袋がテーブルに置かれた。じゃらり、と重い音がする。
その袋を鞄におさめながら、俺は口を開いた。
「ところで、ボッツの野郎がどこにいるか知ったりしないか?」
「ほう、ボッツ君がどうかしたかね?」
「知ってるんだろ? あいつが俺を殺そうとしたこと」
「…………」
「フェイごと巻き込んで谷底に落としてくれやがって……。ボッツの野郎は、俺に殺されても文句は言えないよな?」
ふう、とバルグムはため息を吐いた。この話題自体を予想はしていたようだ。
「ボッツはもうこの街におらんよ。事件解決直後に街を発った」
「はぁ!?」
「フィッテ隊長に言付けて、実家へ帰ったらしい。よほど君の事が怖かったんじゃないか?」
「逃げやがった!? ちくしょう!!」
どうする!? 今から追いかけるか? 道中追いつけば不幸な事故で蒸発しても誰もわからないだろうし。ああ、いや、だめだ。どのルートを通ってどこに行っているかわからない!
くっそおおおお! 麻痺させてからの鉄拳サンドバッグ計画が!
いや! まだあきらめるのは早い!
「どのルートでどこに向かったか教えてくれないか?」
「機密だ、教えられない」
「ボッツが無茶苦茶やってんのを放置してるアンタにも責任があるだろうが! そこんとこ追及するぞ!」
「ではどうする? 私を殺すかね?」
バルグムの瞳に力がこもる。このプレッシャー、マナを練っているな。俺に素直に殺される気はない、と言外に言っている。
俺は頭を抱えた。
そもそもボッツに仕返ししてスッキリしたいって話なんだよ。バルグムと死闘を繰り広げるなんて割に合わないところかマイナスだろ!
考えろ、俺!
「……アンタと殺しあうつもりはない。だがボッツの件はアンタの監督不行き届きだろ」
「どうしろというのだね?」
「四つ条件を飲んでほしい。ひとつ、ボッツへの制裁だ。何でもいいから騎士団としてボッツを制裁しろ」
「今の状況では、減俸と左遷くらいしかできんが」
「それでいい。何もないんだったらボッツの野郎を街で見かけた時に殴る」
「ほどほどにな」
バルグムが肩をすくめた。言質は取った。
うん。たぶん我慢できないし、見かけたら殴るだろうな。
「ふたつ、俺が知りたい情報がある時には教えてほしい」
バルグムが眉をぴくりと動かした。
今回の件でも十分にわかった。俺はいろいろなことを知らない。情報というものの価値がものすごく大きい。
俺がもっといろいろ知っていれば、うまく立ち回ったり、利用されずにすんだに違いないのだ。
この世界に来て、あたりまえだがネットやスマートフォンなどのすごさに気付かされる。なんでも検索すれば情報を手に入れられたり、遠距離に居る人と連絡が取れたりするのはものすごいことなのだ。この世界にはそれがない。だからすでにある情報ネットワークを使わせてもらう。
「みっつ、アンタの魔術をすべて見せてほしい。ちょっとした魔術実験に付き合ってもらいたい」
バルグムほどの魔術師だ。まだまだ俺の知らない魔術を隠し持っているに違いない。<「雷」中級>などは確実だろうし、そのあたりをラーニングさせてもらうとしよう。下手するとお金よりも高くついたことになる。これをしてもらえるなら、ボッツを鉄拳五十発で許すことができる。
「最後に――――」
俺は言葉を切る。バルグムを睨む視線に力を込めた。
「――――二度と俺を利用するな」
騎士団舎ごと消し飛ばすぞ、と付け加えようとしたがやめておく。脅しにしても、なんだか小物のセリフみたいに聞こえそうだ。
「了解した。できるかぎり善処しよう。いつでも言ってくれたまえ」
バルグムの了承を得た。交渉は成功だ。内心ガッツポーズをして小躍りしたいのを堪え、無表情を繕う。
しばらく睨みあっていたが、バルグムの肩から力が抜けたように見えた。そして失笑。何だその反応。
「まあ、これからが大変だろうがね。困ったらいつでも騎士団を頼ってくれたまえよ。“大魔術師君」
意味深な言葉を残し、バルグムは仕事に戻った。もう俺とは会話する気はないらしい。そんなバルグムを残し、俺は執務室を後にした。
アルドラの上から降りて、冒険者ギルドの入り口に向かう。アルドラには待機するよう命じておく。
バルグムの言葉の真の意味を思い知ったのは、冒険者ギルドに入った瞬間だった。
始めに感じたのは、視線。
ざわついていたはずのギルド内が次第に静かになる。俺の挙動に注目が集まる。獲物に跳びかかる直前の、緊迫した雰囲気が流れている気がする。
口ひげをたくわえた冒険者が俺の前に立ちふさがる。
「あんた……マコトっていう魔術師で合ってるかい?」
「……そうだけど、何か?」
男の顔に真剣な色が混ざる。な、何だよ、こいつ。
口ひげ冒険者は渋い声で俺に問いかけた。
「うちのパーティに入りませんか?」
「あっ! てめえ! 抜け駆けだぞ!!」
ガタっと雑談テーブルで報酬を数えていた太っちょ冒険者が叫んだ。
そうだそうだ! と周りの何人かから叫び声があがる。
「こいつんとこなんて弱小パーティだ! 入ったら後悔するぜ! その点うちなら人数も多い! “大魔術師”、うちはどうだい?」
「うるせえ! だまされんなよ“大氷刃”! てめえんとこは数ばっかいて稼ぎなんてこれっぽっちもねえじゃねえか!」
「言ったな!」
今にも掴み合いになりそうな冒険者たちを見ながら、俺はあっけに取られていた。
これは、いわゆる勧誘ってやつか?
この前のドマヌ廃坑の一件、どれだけ誇張されて話が伝わってるんだ。
冒険者達のギラギラした熱が俺に伝わってくる。有名人を入れることのメリット、戦力の強化、それに伴う報酬の増加、依頼の優先。そういったものを狙っているんだろう。
大学のサークル勧誘みたいな雰囲気。正直ちょっと引く。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。俺は窓口に用があるんだ。今は考えられない!」
振り切るように窓口さんがいるカウンターに歩いていくと、並んでいた冒険者達がささっと動いて道を空けてくれる。これも名声効果ってやつか?
カウンターにたどり着くと、窓口さんがにっこりと俺を迎えてくれた。いつもの細目が面白そうに笑っている。
「こんにちわ、“大魔術師”のマコトさん」
「……それ、誰が呼び始めたんだよ」
「みなさんですよ。それで、本日は何の御用でしょうか」
「いつもどおりの依頼探しなんだが……もうそんな気分でもない気がするよ」
「この時間帯ですと……あまり残っていませんね。スケルトンの大量討伐をされたと聞いています。等級上昇ができるのではないでしょうか」
窓口さんに言われ、胸元の冒険者の証を取り出した。俺には見た目の変化はないように見えるが、十分だったらしい。証を見た窓口さんの顔がほころぶ。
「十分です。今回のドマヌ廃坑の功績があれば、緑級への進級試験は必要ないでしょう。お待ちください」
俺の冒険者の証を窓口さんが持っていく。しばらくして新しい冒険者の証を持ってくる。デザインは同じだが、ほのかにマナストーンが緑色をしている気がする。
とんとん拍子で進むが、俺はふと疑問に思う。
「待ってくれ。ドマヌ廃坑の件は冒険者ギルドで受けたんじゃない。いいのか?」
「かまいません。ふたつ名が付くくらいの冒険者が黄級というのも変な話ですからね」
冒険者ギルドの宣伝のための等級上昇か。少し複雑な気分もするが、試験を受けずにランクアップできるのならば楽しておくことにする。これで受けられる依頼の幅も増えるのかね。
俺は冒険者の証をふたたび身に着けた。
「それでは、依頼の件なのですが……」
窓口さんが話そうとした瞬間、迫ってくる人影があった。さっきのひげの冒険者だ。
「オレ達とパーティを組んでくれ!」
「いや! 私たちと!」
「そんな奴らは駄目だ! こっちだ! 損はさせないぜ!」
「うるせえ! 仕事できねえ身体にしてやろうか?」
「ォお? 望むところじゃねえか、やってみろよ!」
「いや、アイツなんてたいしたことねえんじゃねえか? オレと勝負しやがれ!」
「いや! ボクが倒します! ボクのほうが上だと証明してみせる!」
スキンヘッドのムキムキ冒険者が猛りながら立ち上がる。魔術師ローブを着込んだ少年魔術師が憤然と叫ぶ。
騒然となり始めた冒険者ギルドから、俺は静かに脱出した。呆れたような窓口さんの表情が、俺を見送ってくれた。