第63.5話「逃走」
ドマヌ廃坑調査団キャンプ。そこは、喧騒に包まれていた。
だが、そこには焦燥感はない。ベルランテからの増援として、駐屯騎士団第3分隊が突入した。すでに連絡役が戻ってきており、ドマヌ廃坑制圧まであとわずかということ、取り残された冒険者、死んだと思われていた魔術師ギルドのフェイ・ティモットともう一人の生存が確認されたことを伝えていた。
喜び一色に染まっているその中で、ボッツ・ランクムト・アルサーロンだけは背中に冷や汗をかいていた。騎士団のテントから出て、あたりから見られない裏で取り巻きたちと話をしていたのだ。
あの裂け目に落ちて、まさか生きているとは思わなかった。このままでは殺そうとしたことを糾弾されてしまう。
そもそも、あいつが悪いのだ。あのベルランテ東の森。そこでバルグム隊長から誰も通すなとの命令を受けたのだ。それをあの冒険者のせいで失敗を……!
ボッツの頭の中で、光景がフラッシュバックする。
失敗を笑われる自分。魔術師とも言えなかった小僧に負けたことを笑われる。
ボッツの実家であるアルサーロン家は騎士団に対して大きな出資をしている。アルサーロン家の三男として生まれたボッツは、その家の名前と財力を使ってこれまで好き放題をしてきた。そのため、騎士団員の中でも嫌われ者になっていた。自分が嫌われていることくらい、ボッツ自身にもわかっている。だからこそ、こんなやつらに笑われることには耐えられなかった。
このドマヌ廃坑の調査にも、実家の権力を使ってねじ込んだ。ここで成功を掴んで、周りを見返すつもりだったのだ。ボッツは出来る。出来る奴だと。
上手くいった。生き残って異変が起きていることを伝えることもできた。しかも小僧を始末することもできた。あとは有象無象どもに任せればいいのだ。
それが…………。
「まずいまずいまずいまずいまずい……!」
「ど、どうしますか、若」
「くそっ! どうしてここまで追い詰められないといけない!」
「あの時目撃した人物はおりません。我々の言葉のほうが重要視されるはずです……!」
取り巻きAと取り巻きBの言葉に、ボッツは考えこんだ。周りは大丈夫かもしれない。だが、落ちる直前のマコトの顔を思い出した。憤怒の表情。
自分なら戻ってきて相手がいたら何をおいても復讐する。きっと奴もそうする。このままでは危ない。
「だめだ……。なんとかしろ、お前ら! この無能が!」
「若……!」
「……若、一度ご実家へお戻りになられてはどうでしょうか」
「……そうか。……そうだな」
王都にある実家に戻ってしまえば、奴も手出しはできまい。王都におけるアルサーロン家の発言力はここの比ではない。フィッテやバルグムは頭を抱えるだろうが、知ったことではない。あいつらが俺をあの小僧から守ってくれるはずがないのだ。
実家に戻るのは何も尻尾を巻いて逃げるわけではない。
そうだ! この任務は成功させたのだ。経験を積んで、凱旋するのだ!
「よ、よし! すぐに用意しろ。今から向かうぞ。お前、フィッテ隊長には上手く言っておけ」
「お任せを」
「お前は荷物を運べ。すぐに出る。今すぐにだ!」
「はっ!」
ばたばたと動き始める取り巻きAと取り巻きBを見て、ボッツはひとまず安堵の息を吐く。
とにかく、王都まで向かう護衛の冒険者と馬車を雇わなくてはならない。
ここにはそれなりの等級の冒険者があふれている。金さえ出せば引き受けるだろう。
「――――よかったら手助けをしようか?」
どろりとした、甘い声がボッツの耳に届いた。
ボッツはその青年がいつ傍に来たのか、気付くことができなかった。
フードを深くおろし、いまいちあたりから顔を隠すようにしている。白髪のような色素が抜けたような銀色の髪が、フードの隙間から見えていた。濃い緑色のマントが、風に揺れる。
「僕たちなら、安全に王都まであなたを運ぶことができるよ」
青年の甘い声に、ボッツは声に出してない内容まで理解されている不自然さに気付けない。
白髪の青年には、付き従うように一人の女性冒険者がついているのが見えた。手に持つ杖や雰囲気から、魔術師だろうとボッツは考える。だが、腰に装備する鉈のような剣と、不満げな顔が雰囲気を変えていた。そんな顔をしながらも従っている様子を見るに、この青年がどうやらリーダーのようだとボッツは判断する。
ボッツはあたりを見渡す。
まだ取り巻き達は戻ってこない。
ドマヌ廃坑の入り口に人だかりができるのが見えた。戻ってきたのだ。
時間はもうない。
ボッツは決断した。
「ティゼッタ領を通って、王都グラスバウルだ。いけるか?」
「もちろん」
青年は微笑んだ。整った笑みだ。だが、見る人を不安にさせるような不自然な表情。だが、その不自然さにボッツは気付く様子もなかった。
ボッツと取り巻きたちの姿が調査団キャンプから消えたことに、気付く者は誰もいなかった。




