第52話「魔物事典」
『魔物事典』。
これまで数々の冒険者達から収集した魔物の情報を一冊の事典にまとめあげたもの。その姿形から攻撃方法、繁殖の方法まで、魔物に関わる様々なことが絵入りでここには載っている。曰く、冒険者ギルドの一番の財宝はこれなのだ、とは部屋で監視をしている女性職員さんの受け売りだ。
俺は慎重にページをめくる。
あ、東の森の歩きキノコだ。あれ、ファンガスって言うのか。初めて知った。
お、マルフもある。って、そうじゃない。
女性職員さんがちらりと手の中の砂時計に目をやるのが見えた。
この魔物事典、時間貸しになっている。一定時間が過ぎるとそこで終了なのだ。普通はどんな魔物を調べたいか明確にしてから借りるのだろう。
とりあえずページをめくり、魔術を使いそうな外見の魔物を探す。炎の身体を持つ虎。実体を持つ影のようになっている大猿。ううん、このあたりか? 調べると炎を吐くとか、斬撃力のある影を飛ばしてくるとか書いてあるが……。火炎洞窟とかツヴォルフガーデンとか、どこにあるんだよ。ぬおお。間違えたか!?
ある程度カテゴライズされているのか、獣の章を抜けて、魔法生物の章に入る。燃え盛る人魂にしか見えないウィスプ。三本一組で空中に浮かぶ剣、フライングソード。いろいろいるなあ。
お、スケルトンも魔法生物なのか。あれ、どうやって増えてるのか気になっていたんだけど、どうやら死体から骨を利用するみたいだな。じゃああのスケルトン達は冒険者か何かの成れの果てか……。
見ているうちに窓口さんが言っていた記録も見つかる。太陽の光が近いところではスケルトンの動きが鈍るので、地表に近い階にはスケルトンがそんなに出ないということだ。四十年前には、突然変異のジャイアントスケルトンが出現してスケルトン勢力が強まったため、E・スケルトンが一階にまで出てきたことがあるそうだ。
こういう資料や図鑑を見るのが好きな俺は、しばし無心になってページをめくっていた。もはや覚えるとかではなく、楽しんでいた。その俺の手がぴたりと止まる。
「竜だ……」
黒紫の竜がそこには描かれていた。太い四肢に長めの首。背中に生える竜翼は猛々しく描かれている。
なんの画材で描かれているのか、黒に近い紫の竜鱗が美しい。まるで生きているような緻密さで、そこに存在していた。
この世界にも竜がいるのか……。
カテゴリは、『魔族』。魔物の上位種。人界の災厄。七つの街を焼き、四つの国を滅ぼした。そういった存在が時に確認されることがあるのか。
「ブレスを吐き、時には魔術すら行使する。百四十年前に確認された後、現在まで姿を見せていない……か」
もしかすると、この竜の魔術すら俺にならラーニングできるんじゃないか?
ラーニングできたらおそらく人間の世界では最強の魔術だろう。だが、現状では竜のブレスの前に一瞬で蒸発するイメージしか考えられない。
「時間です。ご利用ありがとうございました」
女性職員の言葉に、妄想から現実に引き戻される。収穫があったのか無かったのか。とりあえず気になった魔物が居たらまた利用させてもらうことにして、俺は冒険者ギルドを後にした。
雨は弱まる気配は無い。フードマントを返してもらうか一瞬考えるが、あの扉をくぐる勇気が今の俺には無かった。重いため息ひとつ吐くと、アルドラの居る騎士団に向かうことにする。
この時代いろいろな重要なものがある。自分が持つ腕力や魔術の腕などの力。いろいろな知識や秘密といった情報の力。そして組織的な権力の力。
冒険者ギルドは魔物の情報をまとめていたが、おそらく似たようなものが魔術師ギルドにもあるはずだ。魔術についての事典、それに類するものが。
どんな魔術がラーニングできて、どんな魔術がラーニングできていないかを知るためにも、そんなものがあるなら是非見せてもらいたい。
俺はアルドラを駆ると魔術師ギルドへ向かう。雨の中でもアルドラの動きは軽快だ。もともと自然の中で暮らしていた生き物だっただけに、雨や泥なども問題ないのだろう。上に乗っている俺には甚大な降雨ダメージが入っているがな。もう諦めた。
完全にびしょ濡れになりながらも、ようやく魔術師ギルドに到着した。中に入ると相変わらずショーンがだるそうな表情でカウンターに座っていた。隣のカウンターではフェイが退屈そうな顔でカウンターの木目を指でなぞっていた。
「お、マコトさんッス。どーも! ……びしょびしょッスね」
「ほっとけ。ちょっと聞きたいことがあってな」
「お! 魔道具関連ッスか!?」
「どうだろうな……。魔術のことについて書いてある事典みたいなモノってないか?」
輝いていたショーンの瞳から、目に見えて光が失われていく。
「それは畑違いッス……。フェイのお嬢に聞いたほうがいいっすね」
かわりにフェイが顔を上げる。
「アジルトゥア式詠唱魔術なら魔術書が出てるわ。詠唱の文言と効果が書かれたものよ」
「おお、それ読めたりする?」
「在庫はあるから購入ってことになるけどね。それなりに値は張るわよ。初級、中級と上がるごとに値段は跳ね上がるし」
うう、ここでも金か。苦い顔をした俺を見て、フェイは楽しそうな顔をする。
「それに、付与魔術は載ってなかったり、上級や特殊な魔術となると、誰か師匠位階の魔術師の下で師事しないと教えてくれないわね」
「それってすぐに教えてくれる感じ……じゃないよなあ」
「ええ。身の回りの世話から始まって、金銭的や物品の寄付などなど。そういったことを乗り越えて、先輩魔術師の序列の順番待ちを終えて秘訣を教えてもらえるわ」
どこの世界にもある職人のシステムだな……。
「簡単に教えてもらえるようなところってないのか?」
「あるわよ」
「おお!」
「シニフィエの魔術学院とかよ。あそこは師匠位階の魔術師が教鞭を執ってるから、中位以上の魔術を教えてもらえるわ。ただし、学費が必要」
「……」
考えてみれば、魔術というのはすごい力なわけだ。筋肉を鍛えていなくても戦士に勝る力を出せるし、燃やしたり凍らせたりといった現象は日常生活の中でも多いに利用価値がある。夜中の光源や鐘時計にも使われているのだから。
「現状無理ってことかあ」
「んー。まあ、わざわざ習う価値があるのかな、とは思うけどね」
「どういうことだ?」
俺は驚いてフェイに問いかけた。魔術師なのだから、魔術学院とかの魔術理論とかはすごいものだと思ったが。それともフェイが異端なだけだろうか。
「教授たちが使う魔術って、結局は<「火」中級><「水」中級>とかの自然魔術を応用してるだけなのよね。特別な応用の仕方を伝えてるだけ」
フェイは一声詠唱を呟くと、手の平に魔法陣を出現させる。魔法陣が割れると同時に、蛍火ほどの小さな火の玉がふわりと浮き上がり、鳥の形になってから火の粉になって散る。
「魔術ってもっと自由なものだと思うのよ。みんなアジルトゥア式詠唱魔術が優秀なのは分かるけど、縛られすぎなのよね。もっと自分の望みを体現できると思うわ。術式さえしっかりとすればどんな形にもどんな動きもできるんだから。使いこなした先にあるものを開拓しないと……」
言うなり自分の世界に入り込んでぶつぶつと言い始めたフェイに、ショーンが肩をすくめた。フェイにはフェイなりの理論があるってことなのか。詠唱とかをなかなか教えてもらえないと思ったが、アジルトゥア式詠唱魔術とやらの先入観を持たないようなカリキュラムになっていたのか。
「それで、買うッスか? 魔術書一冊三万シームするッスけど」
「……考えておく」
今の俺にお金は無い。アルドラを帰すついでにバルグムからお金を受け取るかな。そうすればたぶん魔術書も買えると思う。
びしょ濡れのままではそろそろ気持ち悪くなってきたので、魔術師ギルドから出て拠点へ戻ることにした。今日はこのあたりでいいだろう。あとは部屋の中で過ごすことにしよう。
アルドラに思念を飛ばし、自分でマルフ舎まで戻るように指示する。こういうところ通じるのはすごく助かる。雨の中駆け出すアルドラを見送った。
俺が『洗う蛙亭』に戻ってくると、クーちゃんが雨粒に濡れた身体を振るって水滴を落とす。俺もそうやって簡単に水気を落とせればいいんだがな。
ふと顔を上げた先に、テーブルで見知った顔がご飯を食べているのが見えた。ハーヴェだ。
「マコト殿。待っていたでござるよ。ミトナ殿は無事でござったか?」
「一応な」
ハーヴェの連絡のおかげでミトナ救出はギリギリ間に合った。情報を得たのならハーヴェが助けに行けば、ミトナがあそこまで追い詰められることは無かったかもしれないと思うが、ハーヴェとミトナには面識はあれど助けにいく危険を冒すほどの義理はない。連絡してくれただけでも御の字か。
「それで、何か用か?」
「そうでござる。好きな時間を、と言っておいて悪いのでござるが。代金の件も含めて明日の昼二つの鐘すぎにバルグム殿のところに来てくださらんか?」
「……ミトナは一緒に来れない」
「かまわんでござるよ。ミトナ殿の代金については後ほど渡しに行くでござる」
俺には持ってきてくれなくて、出頭しろって言うわけだ。やっぱり厄介ごとの匂いがする。まあ、今は言うことを聞かなくちゃいけないような弱みはないはずだ。嫌なことは突っ張って金だけもらって帰ろう。
俺はそう心に決める。
「分かった。必ずいくから金のほうはキッチリ用意しておいてくれよ」
「伝えておくでござる」
ハーヴェはそういうと『洗う蛙亭』を去っていった。
「明日……か」
明日になれば、ちょっとはこのどんよりした気分も晴れるんだろうか。




