第51話「隔意」
小さな部屋を窓からの月明かりが照らす。今日は三つの月が空に上がっているので、とても明るい夜になっていた。
俺はベッドの上で眠れもせずにただ横になっていた。身体は疲れているはずなのに、眠れない。
結論から言うと、俺はミトナに会えなかった。
アルドラに乗って大熊屋に向かうと、入り口で出迎えてくれたのはウルススさんだった。
「話は聞いた。世話になったようじゃな」
「ミトナは大丈夫か?」
「まあ、大丈夫のようじゃ。ボウズには感謝しっぱなしじゃの」
「今はどうしてるんだ? 会いたいんだが」
「今は……会える状態じゃないのう。顔は見せんと思うわい……」
ウルススさんの表情は読み取れなかった。俺はそれ以上何も言えなくなって大熊屋を後にしたのだ。
俺のせいか? 俺に関わったからか?
会えない状態ってなんだよ……。
やはりアジッド達は平原で出会った時に殺すべきだったのか?
そうすればミトナが襲われることもなかったし、こんなふうに魔術の大爆発に巻き込まれることもなった。苦しい思いをすることもなかった。そう、殺しておけば。
だが、どいつを殺して、どいつを殺さないでいいなんて分からないじゃないか。
俺の頭の中で、奴らの脳天に氷の短剣を突き刺した時の映像が浮かび上がる。悲鳴を上げる間もなく倒れる姿。魔術は強い。気に入らない奴は殺してしまえばいいんだ。
そうだ、全て――――。
クーちゃんが俺をじっと見つめていた。
額にある紅い宝石が月の輝きを受けて煌き、同じ色をした瞳が俺をじっと見据えている。
俺はゆっくりと息を吸い込むと、時間をかけて吐き出した。なんだか空気が重い気がする。じっとりとしているように感じる。
「いつかはあることだろうし、余裕だと思ってたんだが……意外と気にしてるのか、俺」
ぼそりと呟くが、答えはない。
それ以上考えると暗い考え方に染まる気がして、俺はそこで思考を断ち切った。もう眠ることを諦めて身体を起こす。
鹿店長が起きていれば酒でも出してもらうことにしよう。
俺は部屋を出ることにした。クーちゃんも軽い動きで音もなくついてくる。
部屋のある二階から階段を下りる最中、俺はカウンターにお客さんがいることに気付いた。
「あれ……あいつ……」
ほのかなランプに照らされる虎の毛皮が美しい。虎の獣人は、静かな様子でグラスに入った酒を飲んでいた。ごつい体躯のせいで、スツールやグラスが小さく玩具のように見えるな。
たしか、ヴェルスナーと言ったっけ。スラムの顔役とか言ってたけど、こんなところで呑んでていいのか?
鹿の店主はそんな相手でも変わらぬもの静かな姿勢でグラスを磨いていた。
ヴェルスナーがたまたまこの店に呑みにきた可能性もある。触らぬ神に祟りなしとうやつだ。
俺は少し離れたスツールを選ぶと、鹿の店主に酒を頼む。俺はほどなくして運ばれてきた酒をちびりちびりと飲み始めた。
「昼間の威勢はどうしたよ、魔術師」
「……スラムの顔役ってのは暇なのか?」
ヴェルスナーのからかうような言葉に俺はぶすくれた声で答えた。できれば眠たくなるまで静かに飲ませてほしい気分だったんだがな。
しかし、この宿まで追いかけてくるくらいだ、俺に何か用があると考えるのが普通だろう。
「んで、何か俺に用なのか?」
「オレ様の用事は後でいい。まずはコイツの話を聞いちゃくれねえか?」
ヴェルスナーはそう言うと隣に座っていた人物を指し示した。
今の今まで気付かなかった小さな人影。黒に近い紫色のローブを着ている。たぶん魔術師だろう。
気になるのはその頭を覆う異様な装備だ。歌舞伎でいう黒子がかぶるような頭巾をかぶっている。だが、黒子の頭巾が透ける素材なのに比べて、この人物の垂れ布はどうみても透けるような素材ではない。 前が見えないんじゃないだろうか。
顔布の魔術師は俺をじっと見据えると、何故か首をかしげた。そのままなにやらヴェルスナーに耳打ちする。
き、気になる……。
「あの小屋で<輝点爆轟>を使ったのはお前かって」
「あの時も言ったが、俺じゃない」
「おい、らしいぞ。これでいいのか?」
顔布の魔術師はヴェルスナーの声かけを無視していた。どうやら俺よりもクーちゃんに目を留めたようだった。じっと見詰め合うように顔を向け合っていたかと思うと、おそるおそると言った感じでクーちゃんの正面にしゃがみこむ。
「そいつは噛まねえよ」
俺は投げやりに言い放つと再びグラスをあおる。なんだか酔った気がしない。
「用事は終わりか?」
「いや、呪術師の奴ぁ普段から変な奴なんだが……しょうがねえな」
ヴェルスナーはぼりぼりと頭を掻くと困ったような顔で顔布の魔術師を見る。
どうやら呪術師らしい。ということは状態異常魔術の使い手、ということか。鹿の店主もいることだし、まさかいきなりなにかされることはないと思うが、頭の中で<解呪>を用意しておく。
「用事はある。オマエ、オレ様たちのところで働かないか? オマエぐらいの強さがあれば、いろいろ優遇されるぞ」
「仕事の依頼なら冒険者ギルドを通してくれ」
「直属にならんかって話だよ」
微妙だな。悪役の手先は使いつぶされるのがせいぜいだろう。もしかすると高みまで登れるのかも知れないが、なんだか心が休まる時間がない気がする。
いや、人を殺すことすらできるんだから、そういうのもありかもしれないな。
俺は自分の手を見る。血がついているわけでもないが、人を殺したのは確かだ。魔術というのは本当にたやすく人を殺せる。後悔はしていないが、少し考えさせられてしまう。
「もういいか? じゃあ、俺はもう休ませてもらう」
俺はカウンターにちょうどのシーム銅貨を置くと席を立つ。クーちゃんも呪術師から離れて俺についてくる。
階段を上る俺の背中に、ヴェルスナーの声がかけられた。
「何かあったらぜひオレ様を頼ってくれ。なぁに、同じスラムの住民同士じゃないか。助けあおうぜ?」
俺は答えることなく自分の部屋に戻った。すぐには寝られそうにないままだった。
予想通り翌日の目覚めは最悪だった。
睡眠不足せいか身体が重い。いつもの習慣で朝に起きられただけでも幸運なのだろう。
今日はベルランテには珍しく雨が降っていた。どんよりと曇った雲から、大粒の雨が屋根を叩いている音が聞こえる。
今日は一日休みにしたい気持ちが湧き上がるが、冒険者稼業は毎日良い依頼がないか見て回るものだ。そう俺自身を叱咤して冒険者ギルドへ向かうことにした。
『洗う蛙亭』を出る直前にフードマントをミトナに貸しっぱなしにしていたことを思い出す。できるだけ濡れたくないので、魔術で氷を板状に生み出して雨粒に対しての盾とする。
「くっそおおおおおお!」
俺は叫びながら雨が降りしきる街を駆け出した。
冒険者ギルドは普段以上の人だかりとなっていた。雨が降っているため室内に冒険者が入っているからかと思いきや、そうではないらしい。そこかしこから、緊急だの召集だのそういった単語が漏れ聞こえてくる。
ギルドのカウンターも長蛇の列だ。俺の番が来るまでだいぶかかった。俺の顔を見て、窓口さんがいつもの細目で微笑む。この人は雨でもびしっとしてるし格好いいな。
「マコトさん、おはようございます。今日は何の御用でしょうか」
「スライムの核の依頼ってある?」
「そうですね……、ええと、今のところは無いようです。今の周期ですと二日後くらいにまた依頼が来るとは思いますが」
「そっか。……それにしても、この人だかりって何なの?」
「ギルドの緊急依頼です。ドマヌ廃坑にどうやら異変があるようで……。騎士団の方から戦力援助依頼が来ております」
「そういや、ココットが一階にもE・スケルトンが来てるって言ってたな……」
ご存知でしたか、と窓口さんの眉が上がる。
しかし、討伐依頼か。それも騎士団直々の。普通はこういうとき騎士団が出張るものだと思ったが、やはり街の防衛力が落ちるのを防ぐために冒険者を使うのだろうか?
俺は昨日のココットとの話を思い出す。ココットは近づくな、と言っていたが騎士団の方はそうは考えていないらしい。
「異変って、かなりやばい?」
「ここ四十年、一階にE・スケルトンが現れたことはないですからね。かなりの異常事態かと。マコトさんの冒険者ランクですと受注ができないので、どこかランクが上のパーティに所属するか、ランクを上げて頂く必要があります」
「んー……。今は無理に行こうって気はしないからパスかな」
言いながら、俺はふと疑問に思う。
「さっき『ここ四十年』って言ってたけど、どうして四十年とかわかるんだ? ……四十歳以上には見えないけどな」
窓口さんは俺と同じくらいか、ちょっと年上くらいだろう。この世界の人たちは総じてヘビィな毎日を送っているから、顔つきや振る舞いがちょっと老けた感じになるものだが、それでも大きくは変わるまい。
「魔物に関する記録がありますから」
「……! それって俺でも見られたりする!?」
「閲覧には料金がかかりますが、可能です」
「スケルトンの他にも、魔物のことが載ってるよな?」
「まあ、そういう書物ですから」
さしずめ、魔物事典とでも言うべき物だろう。
俺は窓口さんからは見えないようにガッツポーズを取った。今日は大した依頼もない、夕方からの魔術講義もない。とくればここはこの魔物事典を見るのが最優先だろう。
俺が狙っているのは、魔術を使う魔物の生息場所だ。できればどんな魔術を使うのか、その効力などの情報も仕入れておきたい。
普通の人間なら危険への対処のためだろうが、俺にとってはさらなる自分の強化につながる。
俺は後ろにならんでいる冒険者達の視線に殺気めいたものが混じり始めたことに気付いた。用事が終わったなら速くどけ、というオーラだ。
俺は窓口さんに魔物事典の閲覧申請をすると、財布から料金を支払った。促されるまま、会議や交渉、ブリーフィングなどに使える小部屋に案内される。
小さなテーブルと簡素なソファーしかないが、そんなものだろう。
やがて女性ギルド職員がものすごく分厚く古臭い魔導書のような本を持ってきた。丁寧な手つきでテーブルの上にそっと置く。
そのまま退室するのかと思いきや、部屋の隅で立つ。閲覧の間も監視されるみたいだ。盗む奴もいるかもしれないから、当然の措置か。
テーブルの上に置かれた魔物事典。俺はごくりと唾を飲み込んだ。