第50話「スラムの顔役」
スラムはざわついていた。街中で爆発が起きようものなら、それもそのはずだろう。青鮫が拠点にしていた小屋は完全に焦土と化していた。焦げ跡が残るのみとなっていた。効果範囲は狭い魔術だったのか、隣を巻き込むくらいですんでいる。
スラムの住民たちは、何が起きたかを確かめるために、そのあたり中から顔を出し、なにやら噂話をしながら俺たちを見つめていた。
近づいて何かをしようとする輩もいるが、でかくて部屋に入れなかったアルドラが威嚇をして近づけないようにしていた。
俺はミトナが倒れているところまではいずっていく。思念で伝えると、アルドラが俺たちを隠すように陣取った。
「……<治癒の秘蹟>」
発動まで少し時間がかかったが、魔法陣が割れると出現した癒しの光球がミトナの身体を少しずつ治癒していく。だいたい傷跡が消えてきたあたりでもう一度<治癒の秘蹟>を使い、今度は俺の傷を癒した。ようやく背中の痛みも少しずつ和らいでいく。
「マコト君……?」
「無事で良かった。魔術で治療したけど、完治してるかわからないし、おとなしくしてろよ」
俺はちょっと苦労しながらもアルドラの鞍にミトナを乗せる。安全なところまで運ばないとな。
ミトナは疲れた様子はあるものの、無事なようだ。たぶん、最後の一線は大丈夫だったと思いたい。
(主……運ぶ?)
「頼む」
アルドラは微妙に乗せたくないという意志を送ってきていたが、なんとか頼み込む。ここからミトナに歩いて帰れというのも酷だろう。
「おい! ちょっと待ってもらおうか!」
人ごみが割れる。その間から悠々とある集団が近づいてきた。人間や獣人、獣耳が生えた半獣人まで存在している。なんだかピリピリした緊張感をまとったその集団の中から、ひときわ背の高い人物が前へ進み出てきた。
「お前ら、タダで帰れると思ってるのか?」
俺たちにそう言ったのは、歴戦の猛者に見える虎の獣人だった。身長2m以上だろうか。高みから見下ろす視線が俺達を射抜く。上半身は裸で、虎の毛並みが美しい。だが、その鍛えあげられた肉体はものすごい。腕など俺の二倍くらいはあろうか。特筆すべきはその虎頭。一噛みで頭蓋骨すら粉砕されそうな勢いだ。迫力で言うと大熊屋のウルススさん並だ。
「縄張りを爆破してくれるなんて、やってくれるじゃねえか」
笑っているのだろうか。口の端が持ち上がると、鋭い牙が見える。威圧感がものすごい。あれ、もしかして勘違いしてる?
「待ってくれ。俺は単に誘拐された身内を助けに来ただけなんだが」
「見苦しい言い訳だなあ、おい。助けに来たのに爆破炎上するのか?」
「最後に向こうが撃ってきたんだよ。どうにもならなくなって自爆したんだろ」
「それをこちらが信じるとでも?」
俺と虎獣人の視線がぶつかる。ミトナを助けに来たのにここでひるんでいてもしょうがない。というか、もういっそこいつも蹴散らして帰るか?
「お前、オレ様のこと知っててそんな口利いてるのか?」
「知らねえよ。初めて会ったんだから知っててほしけりゃ看板でも持ってろよ」
気が立ってる俺はイライラした口調で虎獣人に叩きつける。それを聞いてまわりの取り巻きたちがざわつく。
「おい、あいつヴェルスナーさんのこと知らないってよ」
「まさか、マジかよ……。死んだな、アイツ」
この虎獣人、ヴェルスナーって言うのか。たぶん、取り巻きがいるところを見てスラムで幅を利かせている連中の親玉ってところだろうか。ヤクザやごろつき集団みたいなものだと考えれば、頭を下げて弱みを見せたほうが骨までしゃぶられる気がする。強気で続行しよう。
「悪いが、この娘の方は散々な目にあって疲れてるんだ。先に行かせても構わないな?」
「そんなワガママが通じると――――」
最後まで言わせず、俺が突き出した手の平の前に、直径四メートル近い魔法陣が輝きながら出現した。
スラムのヤクザ集団がどよめくと一斉に後ずさりした。
魔法陣の大きさが魔術の威力や等級に関わることを知っていれば、今俺が出している魔法陣が中級以上であることは分かるはずだ。
俺の魔法陣は割れずに維持され続けている。そのままの状態で、俺は声のトーンを落とした。
「行かせても構わないな?」
「…………」
誰も何も言わなかった。緊張ある静けさの中、俺はアルドラに大熊屋に行くように思念で指示する。ウルススさんにミトナを預けたらすぐに戻ってきてくれよ。これでこのスラムに残ってるのは俺とクーちゃんだけか。
アルドラが去るのを見届けると、俺は魔法陣を消去した。ほっとした雰囲気が一瞬流れる。
とは言え、この魔法陣は魔術じゃない。実は<ゆらぐひかり>を魔法陣の形に光らせただけの魔法的な電飾なのだ。ただのハッタリだ。
うまくいったようで良かった。
「まったく、知っててほしけりゃ自己紹介しろよ。俺はマコト、魔術師で冒険者だ」
「オマエ、面白い奴だな。俺様はヴェルスナー。このスラム一帯の顔役をしている」
ヴェルスナーはガハハと笑うと、改めて爆発跡を見やった。あごに手をあててこすりながら、困った顔をする。
「誘拐したとかいう馬鹿は誰だったんだ?」
「青鮫って知ってるか?」
「ああ……出入りはしてたらしいな。そいつらか」
「あんたらの指図じゃあないんだな?」
俺の問いかけに、ヴェルスナーはニヤリと笑った。
「俺様たちがやる時は、追っかけられるようなヘマはしないからなあ」
「そうかよ。んで、俺も帰るぞ? 説明はしただろ」
俺の横柄な態度に、周りの取り巻きたちが再びざわつき始める。異様な熱がこもった視線を俺にぶつけてくる。
「ヴェルスナーさん! こいつ、ケジメつけさせましょうぜ」
「舐められちゃやってけないですぜ!」
「ふうむ……」
ヴェルスナーはさも困った風な顔を装いながら、あごをしごく。俺に向かって意味ありげな視線をよこすと、わざとらしく言う。
「オマエがスラムを狙った刺客じゃないって言うんなら、誠意を見せてほしいもんだなあ?」
「俺が違うって言ってんだよ。スラムごと絶対零度の世界にしてやろうか?」
圧をかけてくるヴェルスナーに、俺は一歩も引かない。
クィオスのおっちゃんの時もそうだったが、こういう曖昧な言い方は怖い。うまく利用されてしまう結果になってしまう。気がつけば身動きがとれなくなって、こいつらの鉄砲玉のような扱いになってしまうだろう。
アルドラさえ戻ってくれば離脱は出来る。それまで折れずに立ち続けることだけを俺は意識する。
「あれ、マコトじゃねえか?」
救いの手は人ごみの中から現れた。シスター服にごついガントレット。今日はベールのような被り物をしていないため、緑がかった色をしたショートヘアーが見えていた。ドマヌ廃坑で出会ったバトルシスターのココットだった。
ココットは仕事帰りなのか、食べ物の入った麻袋を抱えたまま何の気負いもなく俺達に近づいてくる。
「ヴェルスナー、何やってんだ?」
「ココットか……。こいつと知り合いか?」
「ああ、ドマヌ廃坑内で野宿しようとしてベッドに頭ぶつけて怪我してたダサ男だ。それで、マコトがどうかしたのか?」
「誘拐された娘を助けに来て、魔術に巻き込まれて爆発したんだと。ココット、オマエさんは信じられるか?」
ヴェルスナーは黙って右手で小屋の爆発跡を指し示した。ココットがそれを見て、それから俺の顔を見て、納得の言った顔をした。
「マコト、誘拐されたってのはあの背の高い嬢ちゃんか?」
「そうだよ」
「なら、しょうがねえな。ヴェルスナー、許してやってくれよ。こいつはたぶんウソは言ってねえ」
ヴェルスナーがため息をついた。どうやら俺は助かったらしい。ヴェルスナーが大声で群集を散らす。取り巻き達も不満顔のままだが、ヴェルスナーの号令に従ってしぶしぶ散っていく。
「オマエ、ココットに感謝しろよ。次に調子に乗ったら、オレ様が叩き潰すからな」
ヴェルスナーは最後に捨て台詞を残して去っていった。あまり関わりあいたくないと思ったが、いまの下宿もスラムなんだよなあ。
ヴェルスナーの姿が見えなくなると、どっと疲れが襲ってきた。爆発跡の瓦礫を漁るスラムの人たちを見るともなしに見る。
「変な奴だな、マコトは」
「助かったよ。ココット……さん」
「呼び捨てでいいさ、こそばゆくなっちまう」
ココットはにかっと笑う。先ほどまでの殺伐とした雰囲気が癒されていく。
「ココットはヴェルスナーと知り合いなのか?」
「ちょっとした縁があってね。もともとスラムの出身なんだ、あたし」
「へえ。それが今ではパルスト教のシスターやってるのか」
「まあね。あたしには<治癒>の素養があったらしいからね」
ココットの傷はもしかしたらバトルシスターとして戦っている時より前のものもあるのかもしれない。ふと俺はそんなことを思いついた。
「ま、ひとつ貸しだぜ?」
「助かった。今度なんか奢るよ」
「期待せずに待ってるさ」
ココットはそう言うと俺に背を向けて歩き出した。その背中がすごくハードボイルドです。なんか、シスターっていうより、アネゴだな。
そんな俺の心の声が聞こえたかのように、ココットが振り返った。
「あ。できれば今、ドマヌ廃坑には近づくんじゃねえぞ?」
「……?」
「なんか一階にもうじゃうじゃE・スケルトンが出てきてやがるんだ。スケルトンの浄化もパルスト教の使命のひとつだけどな。ちょっとありゃやべえわ」
危ない時こそ冒険者としては飯の種になる。たぶんマルフや白妖犬の討伐依頼のように緊急依頼がくるかもしれないな。
「ま、忠告はしたぜ。……奢りの件、期待せず待っててやるよ」
今度こそ振り返ることなくココットは去っていった。男前だなあ。
アルドラが戻ってきたのはそれから少ししてからだった。ミトナのことも気になる。
大熊屋に向かうとするか。




