第46話「異変」
冒険者ギルドは今日も賑わいを見せている。軽装の双剣士や萌黄色のフードをかぶった魔術師を含むパーティなどが依頼書を見て、あれやこれやを話し合っていた。窓口にも様々な人間が並ぶ。時には犬や猫の頭を持つ獣人なども出入りしていた。
そんな冒険者ギルドの建物内、休憩や相談を目的として設置された丸テーブルに、数人の男女が座っていた。リーダーのアジッド、剣使い二名、バトルアックス使い一名、魔術師一名の五人パーティである。
冒険者ギルドの明るい喧騒とはかけはなれた、陰気な雰囲気がそこには漂っていた。
「……クソっ!」
アジッドがいらいらした様子でテーブルの天板を叩く。ビクっと女魔術師が身体を震わせた。
怒りに任せ、勢いよく叩いてしまったせいで、叩いた拳の方が痛んだ。そのことも含め、アジッドは舌打ちをして自分の気持ちを表現する。
イライラの原因は分かっている。マコトとかいう冒険者のせいだ。
「セグン、お前なんであのおっさんが騎士団の奴だって分からなかったんだ? おかげでつまんねえことになってやがるじゃねえか」
「リーダーも分からなかったんですぜ、おれたちが分かるはずがありませんぜ」
「……クソが!」
アジッドがもう一度悪態をつく。パーティの間に嫌な雰囲気が流れた。
マコトが騎士団とつながっていて不利益を受けていることも、契約が終了したために盾の少年がパーティから抜けたことも、アジッドは何もかもが気に入らなかった。
盾の少年の防護能力はものすごく、おかげでかなりの稼ぎを叩きだしていたのだが今はもうそれもできない。依頼の等級が制限され、町人に毛が生えたような連中に混ざってちまちまと魔物を狩ったり、荷物運びや港の雑用をやらなければならないなんて耐えられないのだ。
アジッドは農民の出だ。今やひとかどのパーティを抱えるまでになったのだ。あの生活には戻りたくなかった。今まで口をつぐんでいたバトルアックス使いが重々しく口を開いた。
「それで、どうするんだ? リーダー」
アジッドに視線が集まる。こういう時だけリーダーとして担ぎ上げるから面倒くさい、とアジッドは心の中で悪態をつく。青鮫はこれまで強さを理由に弱者を虐げてきた側だ。自分たちの強さを盾に、強く言われないことをいいことにギリギリのことをしてきた。自分たちの番が来ただけのことだが、納得がいかない。できれば今すぐマコトとかいう冒険者を捕まえて気が済むまでボコボコにしてやりたい気持ちで一杯だった。
だが、マコトには魔術がある。しかもかなりの錬度だ。パーティにも魔術師がいるが、腕前を見るとマコトの方が上だ。正面からではまずい。
「困ってるようだね」
アジッドたちに声がかけられたのは、その瞬間だった。
いつの間にかアジッド達の輪の中に、一人の青年が入っていた。いつ入ってきたのかわからない。気づいたらそこに存在していた。違和感の塊。
濃い緑色のマントを羽織り、フードを深くおろしている。白髪のような色素が抜けたような銀色の髪が、フードの隙間から見えていた。顔立ちは整っているものの、その笑みには造り物めいた感じを受ける。
「よかったら手助けをしようか?」
青年の声はものすごく甘い。どろりとした粘性のある甘さ。毒持つ甘さがそこにあった。
「な、何をしてくれるってんだ?」
青年は笑顔を崩さず、マントの懐から一振りの剣を取り出すとアジッドの手にそっと渡した。顔に似合わず青年の手には傷が多くあった。アジッドが受け取ると、すぐにマントの裾へと隠れてしまう。
「これは……」
「魔剣だよ」
簡素ながら目を引く拵え、流れ出た血が凝固したようなどす黒い色をしている。刀身の長さは若干短めだが、厚みのある剣幅は骨をも両断しそうに見える。鉈のような剣だ。
『魔剣』
英雄譚に数多く存在する力ある剣のことである。マナの力で通常では考えられないような性能を誇る。火炎や雷撃、氷結のマナを刀身に纏うものから、剣聖ガラハドの聖剣ヴァトゥーシャなど人知を超えた斬撃力を誇るものまで存在する。夢物語の類ではないのだ。噂によれば知能を持つものや持ち主の意思とは別に自動で動く魔剣すら存在するとか。
一振りでも持てば、魔物相手でも、迷宮探索でも、大きなアドバンテージとなる。
受け取った瞬間から、アジッドは力が湧き出てくるのを感じた。アジッドの理性的な部分が、おかしいと警告している。どうして魔剣なんて稀少な武器をくれるのか、いつのまにこの青年は紛れ込んできたのか。だが、流れ込んでくる麻薬めいた力が、理性の警告を塗りつぶしていく。
今なら何でも出来る気がする。
アジッドは鞘から少しだけ抜き放つ。魔法陣が掘り込まれた赤い刀身が少しだけ垣間見えた。青鮫の全員の視線が刀身に注がれる。
気付くと青年の姿はもうなかった。
アジッドの手の中に、剣だけが残されていた。
「出るぞ」
あまりこの剣を衆目に晒すのはまずい気がして、アジッドは立ち上がった。あわててパーティメンバーが後をついてくる。その誰もが、もはやまともな表情をしていないことに自分たちでは気付くことはできなかった。
ミトナは路地を歩いていた。全力で走っていたので、まだ息が少し荒れている。あれからどのくらい走っていただろうか。途中から持久走のように路地を駆け抜けていたのだが、なんだか馬鹿らしくなってやめることにしたのだ。ミトナは自分でもかなり鍛えているほうだと自負している。この動悸もしばらくすれば収まるだろう。
近頃はマコトと一緒に依頼をこなす機会が増えてきたことはミトナとしても意識しているが、だからといって親とそういった話をされていては気恥ずかしいものだ。
ミトナは立ち止まって深呼吸をする。新鮮な空気が肺に入り、ようやく気持ちも落ち着いてきた。
建物の様子を見れば、スラムにほど近いあたりに居ることがなんとなくわかる。あたりも薄暗くなってきたし、そろそろ店に戻ろうと考えた。
ミトナが歩き出して曲がり角を曲がった瞬間に、向こうからやってきた人物とぶつかった。ミトナの身体がぶつかった拍子に少し押し戻された。
ミトナ自身は地味に気にしているが、人より背が高い自分が不意にとはいえぶつかり負けしたことに少し驚く。
「誰かと思えば……ハンパ者じゃねえか」
ぞくり、とミトナの背筋を嫌なものが通り抜ける。
一瞬誰かわからなかった。姿形は青鮫のアジッドその人だ。後ろについているパーティメンバーも平原で出会った時と変わらない。だが、違和感を覚えるのだ。
ミトナの熊耳に届くアジッドの声は、ざらりとした感触をしている。何より、その身から放たれる威圧感。大きな獣を前にしたような気分になるのは、気のせいじゃないはず。
何があったのだろうか。ミトナの警戒レベルが自然とあがった。
アジッドはにたにたと崩れたような笑顔を張り付かせている。
嫌悪感から、ミトナは思わず手を後ろに回し、腰の後ろに提げているバトルハンマーの柄を握った。こちらに危害を加えるそぶりを見せたら、容赦をするつもりはなかった。さすがに街中で殺すつもりはないが、腕や足の一、二本はもっていくつもりだ。
「お前、人間に見えるけど耳が生えてんだって? 見せてみろよ」
思わずかぶっているベレー帽をおさえそうになるが、それよりバトルハンマーを構えるほうを優先した。
この人たち、何かおかしい。
ゆらっと酒でも飲んでいるかのようなおぼつかない動きで、アジッドが一歩近づいてくる。後ろのメンバーたちも、酔っているかのようなにたにた笑いでそれを見守るだけだ。
アジッドが帽子をつかもうと手を伸ばしてくる。
ミトナは覚悟を決めた。まずは腕を折る。
「――ふッ!」
振りかぶりは短いながらも、力の乗った一撃。伸ばした手を正面から迎撃するように、高速の鉄槌が振るわれた。
「おっとォ!」
「うそ……ッ!?」
ミトナの口から驚愕の声が漏れた。
ズドンと重い手ごたえと同時に、確かにバトルハンマーはアジッドの手に命中した。だが、ミトナの予想を裏切って、ハンマーの先端はアジッドの手に受け止められていたのだ。
初速から考えて軽く手の骨は砕ける一撃だ。その辺の石塀なら粉砕する威力があったはずだが、アジッドは堪えた様子はない。
それどころか、半獣人のミトナよりはるかに強い力でバトルハンマーを掴んでいる。
「これはこれは、そっちから手を出したンだから、これは正当防衛ダヨなァ!」
口から泡を飛ばしてアジッドが吼えた。血走った瞳がミトナの全身を嘗め回すように見る。
「ハンパ者のわりニは、いいカラダしてんじゃねェか」
ナメクジにでも這い回られたかのような嫌悪感。
麻薬でもやっているのか、おかしいことになっていることだけはわかる。ミトナは逃げることだけを優先しようと、バトルハンマーを手放すことにした。
ミトナとアジッドがもみあっている時間が、決定的だった。その間に近づいてきていた剣使いの男が、ミトナの腰あたりにタックルをかけるように抱きついてくる。
「放せ!」
ミトナの全力のひじうちが肩口に入る。明らかに関節が抜けた感触が伝わってくるが、剣使いの男はまったく気にした様子がない。その異様さにミトナはぞっとした。
「オマエら、それでイイ。こいつを、――――攫え」




