第36話「基礎」
フェイは案山子から細い枝を折り取ると、地面に説明の図を書きながら話し始めた。
「魔術はマナを使って様々な現象を起こす技術よ。火や氷を出したり、麻痺させたり身体能力を高めたりね」
フェイは地面に人型を描く。人型から矢印を引き、炎や氷をデフォルメしたイラストを添える。
「魔術は自分の中のマナを消費して起動するわ。使いすぎると貧血に似た症状を起こして気絶する、マナ切れが起こるのはそのためね。魔術を起動する際に大事なのは『イメージ』よ。どんな形で、どんな効果の魔術を発動させるのかをしっかりイメージしないと、起動しなかったり、起動しても弱すぎたりしてしまうのよ。『イメージ』が適当だと、余計にマナを消費してしまうの」
「へえ……」
「粘土を想像してもらうとわかりやすいかしら。『火』という素材をこねくりまわして、使いたい形に変えて使うわけ」
大事なのは『イメージ』。これでひとつ疑問が解決した。これまで「火弾」や「火槍」など様々な魔術があると思っていたのだが、それらはすべて『火の魔術』なのだ。
「だから、やろうと思えば……」
フェイはここではないどこかを見つめるような表情になる。しばらく集中していたが、やがてひとつの魔術を起動させた。魔法陣が割れ、空中に炎で猫のイラストが描かれる。猫はしばらく空中で表示された後、ちりぢりに散っていった。残るのはフェイの得意げな顔のみ。
「――こういうこともできるってわけ」
「ん? でも、これまで見てきた魔術師はみんな同じような魔術を使ってたのは何でだ? イメージで好きにできるなら、みんな違うやり方になるんじゃないのか?」
フェイの瞳が見開かれ、あふれんばかりの輝きに満たされる。それを見て俺は一瞬落とし穴を踏み抜いた気分になった。
「いいところに気づいたわね! いちいちイメージして起動させる魔術がとても効率が悪いことに気付いた魔術師アジルトゥア・ヘンソムが聖王暦1139年に発表したのが『アジルトゥア式詠唱魔術』なのよ。詠唱の中に、魔術の形、効果などを盛り込むことで『誰でも、同じ効果』の魔術を使えるようになるってわけ。以後400年あまりの時間をかけてこれまで改良されてきてるわ。最近では魔術師ドリナン・ペルットの考案した――」
「いや、待って待って待って」
物理学教授の黒板なみに地面に様々な図や言葉を書きなぐるフェイを俺は止めた。彼女が嬉々として話す内容は半分くらいしか理解できないし、放っておけばいつまでも喋り続ける気がする。
話自体は有益な情報なので、できれば何かにメモしながら聞きたいものだ。今はそんなことができる環境ではないので、俺の頭の中に収まる程度にしてもらわなければ。
「できればゆっくり聞きたいから、そういう細かいところはまた時間とってやって欲しい。んで、みんなが詠唱しているのは、そうすることで一定の効果を得られるからなんだな」
「そういうこと。玄人の魔術師なら、これまでの反復練習のおかげで詠唱しなくても魔術名だけで起動できたり、魔術名を呼ぶことすらなく起動することができるわけ」
なるほど……魔術を使うときに詠唱している人としてない人との差ってのはそういうことだったのか。俺は使えるからってバンバン詠唱無しで使ってるなあ。まあ、詠唱の言葉知らないし。覚えたほうがいいのか……?
「あ、それじゃ、魔術の初級とか中級とかはどう違うんだ?」
「言ってみれば粘土の量の違いかな。初級だと対人、魔物レベル。中級だと大人数や建築物を攻撃するレベルの魔術になるわね」
「ん……、上級は?」
「上級魔術は、ちょっとカテゴリが違うのよね。もうどういう原理で現象が起きているのかわからない。世界の摂理を超える魔術が上級と呼ばれているのよ。剣聖の『切断』や教会の『治癒の秘蹟』、王都にある『転移門』の魔術とかね」
あ、<治癒の秘蹟>は上級魔法だったのか。人前で使うとまずいってのは、何となくわかる。バトルシスターの姿が思いだされる。そういえばココットは魔術じゃなくって『神聖術』って言ってたよな。
「教会の人は『神聖術』って呼んでたけど、あれは何か違うのか?」
「私は同じだと思ってるわよ。呼び方が違うだけ。魔の文字が付いてるとクリーンなイメージがなくなるのがいやなんでしょ」
フェイは案山子から腰を上げると、お尻についた土を払う。俺も合わせて立ち上がった。フェイは腕組みするとしばらく考え込んでいたが、まとまったらしく、口を開いた。
「それじゃ、知ったところで魔術の実技に入りましょうか」
「何するんだ?」
「魔術学院に入学したての初等部の子がする基礎課題よ。さっきみたいに、言われた形を造ってほしいの。まずは氷で立方体」
「やってみる」
俺は腕まくりをすると両手を前に突き出す。自分の中のマナを意識する。血管に流れているイメージ。それを集めてきて、想像の中で立方体に捏ねる。十分立方体になったと思った時点で、ぐっとマナを押し出す。魔術が起動した。
魔法陣が割れ、一辺が十センチメートルほどの立方体に見えなくもない氷が出現した。重力に引かれ、ボトンと落ちる。
「うし、できた!」
「ぜんぜんよ。今の起動までどれくらい時間が掛かってるやら。もし魔物との戦いで使うことになったら、今頃死んでるわ。もう一回」
「くそー……」
言いながらもう一度集中する。二回目だからか、先ほどより短い時間で立方体もどきを造ることに成功する。何度も繰り返してみるが、いまいちうまくいかない。そんな俺の様子をフェイがじっと見つめている。見つめられると人間あせるもので、ますます起動まで時間がかかってしまう。何十回かトライしてあたりで、俺は音を上げた。
「うまくできん。フェイ、何かいい方法ないか?」
「うん。そこで出てくるのが魔術名よ。何か自分がしっくりくる魔術名をつけていみなさいよ」
「名前か……」
立法体! ちがうな。 箱! いや、ふた付いてないしな。いくつか候補をあげて考えてみたが、あまり思い浮かばない。ままよ、ともう一度集中、浮かんできた名前を告げる。
「<ブロック>!」
魔法陣が割れ、そこから現れたのは、きれいな立方体になった氷だった。成功に思わずガッツポーズを取ってしまう。
「どうだ! こんなもんだろ!」
「じゃあ、次は火炎で立方体ね。放出する系の魔術はだいたいやっていくわよ。立方体ができたら形変えるからね」
「お、おう……」
「何よ。不満そうね」
「いや、基礎って言うくらいだから、詠唱呪文とかを教えてもらえるのかと思っててさ」
「使い方だけを教えるのはいやなのよね。それは魔術の真髄じゃないと思うのよ。土台を知った上で、詠唱呪文も教えていくわ」
詠唱呪文っていうのは算数や数学で言うところの『公式』なのだろう。問題を解いたり、結果を出したりするのには『公式』を覚えさえすればよい。だが、どういう過程を経て公式になっているのかを知っているのと知らないのとは大きく違う。おそらく魔術もそうなのだろう。
俺は延々と指定された立方体を造る作業を続けた。地味な作業だが、どんな形にするか考えながら起動させようとすると。どうにも時間がかかる。
立法体の他にも様々な形を造っていく。「火弾」のような塊、「火槍」のような投げ槍に似た形。ガンガン魔術を起動してくると、マナを失った脳みそが全身に悲鳴を上げさせる。
俺が倒れそうなギリギリラインで、フェイがストップをかけた。
「今日はこのくらいにしましょ。一から教えるなら、ちょっとずつやらないと覚えきれないだろうし。魔術の特訓もやるから、毎日昼四つの鐘には魔術師ギルドに顔を出しなさい」
「わ、わかった」
「いやー、楽しみだわ。それじゃ、私は用意もあるし今日はこれまでね!」
言うやいなやフェイは足早に魔術師ギルドに向かって歩き出した。振り返りもせずに手を振って去っていく。すぐにその背中が見えなくなった。
フェイを目で追っていると、いつのまにかハーヴェとショーンが並んで立っていることに気付く。どうやら俺とフェイの様子を見ていたようだ。
二人に近づいていくと、ショーンのニヤニヤ顔が見えた。何だよ。
「お嬢に気に入られたようッスね」
「そうか?」
「魔術師ギルドに登録に来る人ってのはたいてい基礎理論とかその辺りのことは終わってる人が来るッス。まだまだな若い人はシニフィエの魔術学院に行くッスね。だから、お嬢は自分の知識を披露できて大分ご機嫌ッス」
「その辺の機微はよくわからんが、フェイが理論とかに詳しくて助かる」
「魔術オタクッスからね。ま、褒め言葉は本人に言ってやってくださいッス。それじゃ、オレも業務があるんで」
業務サボって見に来てたのかよ。大丈夫か魔術師ギルド。まあ、見えなかっただけで他にも職員がいるんだろうし。愛されてんなあ、フェイは。
去っていくショーンを見送ると、ハーヴェと二人になった。
「魔術のことはよくわからぬが。これでよいのでござろう」
「なあ、よくわからないんだが……、どうしてバルグムはここまでしてくれるんだ? 俺が強くなったとして、騎士団に入るとは限らないだろ?」
「できればバルグム殿の部下になっていただくのが一番でござるが、そうでなくともメリットはあるでござる」
「……?」
「冒険者としてのマコト殿とのつながりを作るのも目的でござらんかな。便宜を図ってもらった分、無碍にもできぬでござろう。マコト殿を高く買っているのでござるよ」
「どうだかな」
俺の言葉に、ハーヴェは苦笑を返した。ハーヴェが言っていることが本当だという証拠はない。俺が気付いていない何かを狙っているかもしれない。なら、とりあえず何かが起きた時に対処できる実力を身につけるしかない、ということか。
当面は金策と魔術のレベルアップが目標だな。