第30話「終着」
今回はちょっと長めです
ベルランテの街が、沈黙しているように感じる。
アルマクの騎上で俺は街を見ていた。人通りは無い。避難をしているか、家の中にでも居るんだろう。
「普通は入り込む前に迎え撃てるんですが、足が速い少数精鋭という感じかな。狼人族かね」
おっちゃんの呟きに俺が返事をする前に、アルマクが一声吠えた。何かをおっちゃんに伝えたらしく、おっちゃんが頷く。
そうこうしているうちに、路地を抜け、大通りへと出た。おっちゃんの手綱さばきで中央広場へと方向を変える。
中央広場には多数の騎士団の鎧が見えた。どうやら集結しているらしい。
と、いうより、あの雰囲気、終わってる?
血の跡が見える。何人かの狼獣人が死体となって転がっているのが見えた。警察の現場検証のように、騎士団の鎧姿が何事かを言いながら辺りを歩いている。
その中に見たことのあるオレンジ色にも見える赤毛が見えた。女騎士。確か――フィッテとか言ったか。第2分隊の隊長だったはずだ。鎧には返り血が付いている。怪我は無いのか、きびきびと部下に命令を出していた。
おっちゃんがアルマクを操縦し、近くまでいくと騎上から降りる。俺も降りるよう促されて地面に立った。微妙に地面が揺れている感じが続いている。
「クィオス殿、ご無事でしたか」
「フィッテ隊長もご無事で何よりです」
「どうやら第3分隊が出征した隙を狙われたようです。入り込んだ賊は仕留めました」
「そうですか。第3分隊はベルランテ東で豚人族の小隊と接触、これを撃破しています。こちらの損害は少ないですが、なかなか手錬の小隊でしてな。皆がベルランテまで戻るのにもう少しかかるでしょう」
俺は女騎士とおっちゃんが報告を交し合う声をなんとはなしに聞く。狼の獣人は狼人、豚の獣人は豚人って言ってたな。
「ところで、ルーク隊長はどこにおられるか分かりますか?」
「ルーク隊長なら、捕縛した狼人の将軍格と手下を連れて騎士団の牢屋へ向かわれました。……すごい顔をされてますが、どうかしました?」
おっちゃんの動きが固まる。女騎士は何がまずいのか分かっていない。
ルークはモリステアのスパイ。
スパイに捕虜を連れていかせても、拘束の意味ないんじゃないか。街中フリーで動けるとかだいぶやばい状態じゃないか?
女騎士は疑問顔で俺たちを見ている。俺たちの尋常じゃない様子を見て、不思議に思っているようだ。
「ルーク隊長が、何か?」
「この襲撃、ルーク隊長が手引きをしたと言ったら、フィッテ隊長は信じますか?」
「……馬鹿な」
女騎士は強張った顔で、押し出すように言った。信じられないといった気持ちが、その声から感じられる。
おっちゃんは無言で顔を左右に振った。
「本当だぜ? だって俺、ルークからバルグムさん達を後つけて足止めしろって依頼されたから。五万シームで」
「君はあの時の冒険者君……。いや、しかし……」
「時間がありません。フィッテ隊長、今回の敵軍の狙いは何かわかりますか?」
「軍船からの兵力もあまり多くはありません。冒険者部隊が防いでいます。おそらく陽動でしょう」
女騎士が港へと続く道を見やった。その奥にある港のことを考えているのだろう。
鎧姿の騎士団員が狼人族の死体を袋に詰め終え、作業の確認に入っている。
「陽動で警備を引き付けているうちに狼人部隊による要人暗殺が目的かと」
「市長ですか……! 今はどこに?」
「おそらく市庁舎に。避難所としても開放されております」
「わかった。私達は市庁舎に向かいます。フィッテ隊長も同道していただきたい」
女騎士は即答はしなかった。何かを考えこんでいたが、やがて頷く。
「……わかりました。部下への通達もありますので、終わり次第駆けつけましょう。ルーク隊長のことについてはわかりませんが、住民の避難状況については気になります」
避難か……。俺にとってこの街で親しいと言える人はそういない。
レジェルとシーナさん……は今、街を出ているし。後はウルススさんとミトナくらいか? ウルススさんは冒険者組と一緒に戦ってそうだ。ミトナも戦ってたりしてな……?
そうやって考えるとミトナのゆるふわの髪と眠たそうな目元が思い出される。
俺は大熊屋のある方角へ顔を向けた。とはいえここからじゃ建物が邪魔をして見えるわけがない。
何やってんだろう、俺。お金が欲しいってのは確かにあったけど、ほいほい首つっこんで身動きとれなくなってる。
「行きましょう、マコト君」
俺は声をかけられてはっと我に返った。
気が付くとおっちゃんがアルマクの上で俺を待っていた。女騎士の姿はすでになかった。今は付いていくしかない。俺はおっちゃんの手をつかんで鞍に引っ張りあげてもらう。
俺がおっちゃんに掴まったのを確認して、アルマクが走り始める。疲れを知らない速度で路地を走る。地面ではなく石畳なので爪があたるカチャカチャという音が俺の耳に届く。
「おそらく指示を出し終えたらバルグム隊長がエルナトで戻ってくるはずです。ルーク隊長を発見次第足止めができれば最悪の事態は防げる、と思います。力を貸してくださいね」
「いやだ……とは言えそうにないよな」
アルマクの手綱を握っているので、おっちゃんが前を向いたままにっこりと笑う。やっぱりおっちゃんが一番怖い気がする。こう、巧く使われてしまっている気がする。
ここで協力しておかなければ後の安全が保障されない。ルーク一味として罪に問われる可能性がある。可能性があるどころか、真っ黒ではないだろうか。殺してはいないがボッツを倒し、隊長であるバルグムと一戦やらかしちゃってるし……。
俺がそんなことを考えているうちに、学校のような大きな建造物が見えてくる。そこに向かってどんどん近づいていくことを考えると、あれが市庁舎だろう。建物の周りはぐるっと大人ほどの高さの石塀で囲まれている。その石塀に沿ってアルマクは走る。
「おっちゃん! 門が破られてる!」
「まずいね……」
鉄格子で出来たような門が開け放たれていた。門自体は侵入を防ぐより芸術的な要素が高いものらしい。門の内側にはバリケードの代わりにしようとしたのか、土嚢が積まれていたが、今はばらばらになっていて機能していない。侵入されている。
何より剣戟の音が聞こえる。金属のかみ合う音だ。誰か戦っている。
アルマクが土嚢を飛び越え、門の内側へと着地した。
門の内側はグラウンドのようになっていた。メインの通路は石畳になっているが、それ以外は芝生が広がっている。所々にベンチや西洋風の四阿が設置されていて、普段は市民の憩いの場としても機能するのだろう。
今やその場所は戦場になっていた。狼頭の獣人と人間が武器をぶつけ合っている。騎士団員の鎧姿が何人か、冒険者のような装備のものが何人かが戦っている。
建物内部に入られる前に、戦える人材は外で迎撃をすることにしたのか。
俺はその中に見知った顔を見つけた。
「ミトナ!」
俺は思わず叫んでいた。
ミトナがハッとしたような顔をして俺を見た。気を取られたのを隙と見た狼人が剣を振るう。ミトナがかろうじて避けるのが見えた。
「――<身体能力上昇!>」
<まぼろしのたて>との二重起動。薄い輝きを身に纏う。身体に力が漲る。
俺は黒金樫の棒を鞍から取り外すと、後ろ向きに跳び箱をする要領で鞍から跳び降りた。けっこうな速度がついていたが、強化された身体能力でうまく着地する。
地面に降り立ったのを察知してか、クーちゃんがすごい勢いでかばんから飛び出すと。あたりを警戒するように鼻をふんふん言わせる。
「おっちゃん、俺、行くわ」
アルマクが速度を緩め、俺のほうを向いた。アルマク上のおっちゃんと目が合う。おっちゃんは懐からちいさな笛みたいなものを取り出すと、俺に向かって投げた。軽い放物線を描いたそれを俺は受け取った。
「ここにも戦力は必要……か。ルーク隊長を見つけたらそれを吹いて知らせてね。その犬笛ならこの街くらいは届くと思うよ。もし君がスパイじゃないなら、市長の護衛もしてもらえると嬉しいなあ」
「わかった。できることならやってみる」
おっちゃんは俺の返事を聞くとアルマクに合図を出す。ウォン、と一声、アルマクの四肢に力が入り、再び走り始める。
「まったく、狙い通りには――――」
おっちゃんが遠ざかりながらぼそりと何事かを呟いたようだったが、振り向いて駆け出した俺にはよく聞こえなかった。
俺の視界にはいくつかの戦闘が見えていた。だが、まずはミトナだ。
ミトナはいつもの装備・手甲のついたロンググローブ、ノースリーブの胴鎧を装着している。得物はバトルハンマー。
ミトナのスィングは速度もあるし威力もある、だが狼人の剣の速度のほうが若干速い。狼人の方は折られる可能性を考えて刀身で迂闊に受けられず、ミトナのほうも攻撃回数が足りずに攻めきれない。
俺は黒金樫の棒を両手で保持しながら走る。
<麻痺咆哮>を撃つべきか?
いや、この距離だとミトナまで巻き込みかねない。同様に他の魔術も大雑把な当たり判定だから、ピンポイントで狙い撃つのはミトナが危ない。
まずは武器での攻撃!
俺はそう判断すると、タイミングを考える。ミトナがスィング。狼人がステップで回避。今!
「てえええいッ!」
思いっきり黒金樫の棒をフルスィング。しかし、さすがは狼人の兵、剣で受けられた。
おお! どういう組成か知らないけど、剣相手でも斬られないんだな、この棒。
その隙で十分だった。ミトナがバトルハンマーを狼人の腰にぶち込んだ。一瞬浮くほどの威力。狼人は悶絶して横に倒れる。
ミトナは躊躇無く狼人の顔面に渾身の一撃を叩き込んだ。地面でバウンドする暇も与えず、衝撃が頭蓋骨を砕いただろう。即死だ。
狼人の眼窩から眼球が飛び出し、べろりと舌が垂れ下がった。
ミトナは深い息をついた。
「マコト君、ありがとう。この人、ちょっと強かった」
「いや、いいけどさ。な、なにも殺すことはなかったんじゃ……」
「……?」
ミトナは眉根を寄せ、怪訝な顔を俺に向けた。
「――殺しておかないと、後で誰かが襲われるよ?」
「いや、その時はまた倒せばいいんじゃ……」
「私にはその考えはわかんない」
「いや、殺すのは……」
「皆を守るためには、ちゃんとここで殺しておかないと。それができないなら、手伝わなくていい」
誰かを殺す。できるか? ――できる。
現代社会でも事故死は多い。スマートフォンが発達してきたあたりから、轢く側も轢かれる側もどちらも前方不注意などと言うことはざらにある。ありえないような正面衝突で人が吹き飛ぶことだってあり得る。情報が溢れた現代では、そんな場面を動画に撮ってアップする輩もいて、見ることが出来てしまうのだ。
この世界に来てからも、人や獣人が死ぬ場面は何度も見てきた。動きを止めたら別の奴がトドメを刺したとかいう間接的な場面も何度かあった。
だから、たぶん、できるはずだ。特に、魔術を使えば十二分に、一方的に殺すことができる、はず。
「行こう。正面玄関を守らないと」
ミトナが言って駆け出す。俺はこの市庁舎について詳しくないので、その後をついていくことにしよう。
走りながら横目で見ると、一階の窓には見た目が重苦しくならないように配慮された細い鉄格子がついていた。有事の際は避難所になることは初めから考えて建てられたのだろうか。
少し走ると、建物の正面玄関が見えてくる。突き出した軒。観音開きの大きな木製の扉は、今はいくつもの刀傷が走っていた。
正面扉前には、一人の狼人が居た。屈強な体躯に白銀の鎧を着込んだ狼頭の男。さっきの狼人とは装備が違う。
「ったくよぉ。面倒くせえ」
狼人の声が聞こえる。
がつんと正面扉を蹴りつけるのが見えた。鍵は壊されているようだが、内側から何かバリケードでも作っているのか、開かない。
「――斬るか?」
狼人が腰から剣を抜いた。両刃の剣。刀身は長く、幅は若干狭く細身に見える。バスタードソードという奴だろうか。刀身の美しさを見ても、おれにはかなりの業物に見える。
「通さない、から!」
ミトナが叫んだ。わざわざ叫ぶのは気を引いて行かせないようにするためだろう。
俺もミトナの横に並ぶと、黒金樫の棒をぐっと握りなおした。
「おいおいおい。さっきから湧いて出てくるけどよお、そんなに死にてえのかあ?」
「いや、俺がここでお前を止める」
狼人は俺を見ると、ぷっと鼻で笑った。何だそれ? お前、本当に殺すぞ?
「目が駄目だ。ヒーロー気取りか? 僕ちゃん強いんですぅって、馬鹿丸出しだな」
開始の合図はいらんだろう。
「オオオオオオオオオオアアアアアアッ!!」
<麻痺咆哮>。呪いのもやが衝撃波となって飛ぶ。
巻き込む心配が無ければ使える遠距離チート魔術だ。あとは麻痺したヤツを思う存分叩けばいい。それとも氷柱の槍で串刺しにでもするか?
「グルアアアアアアオオオッ!」
狼人の大音声が空間を貫いた。
俺の予想ははずれた。何かにぶつかったかの如く、呪いのもやが散らされる。
――咆哮で相殺された!? ヤツも<たけるけもの>が使えるのかよッ!?
俺が愕然としている間に、状況は動いていた。
ミトナが突っ込んでいく。
バトルハンマーを短く持って、ヤツに素早い一撃を叩きつける。駄目だ、見切られてる。
ヤツは慌てる様子もなく無造作に剣を振るう。迎え撃つように下から弧を描く一閃。
ミトナがバトルハンマーから片手を離し、自分から体勢を崩した。胸元から肩にかけて剣が入る。体勢が崩れた分、浅い。
剣を受けたところから血が溢れる。ミトナの身体の勢いに合わせて、血液が宙を舞う。
鎧がある部分に当たったのが幸いした。腕が斬り飛ばされるのは何とか防いだ。
だが、このままじゃミトナがやばい。
俺は地面を蹴った。<身体能力上昇>が効いていれば一瞬の距離。
踏み込んで突打。体捌きひとつで避けられる。そのまま黒金樫の棒をつかまれると、ぐっと引っ張られる。俺の体勢が崩れた。思わず身体が泳ぐ。
狼人の目には、何の感情も映ってない。恨みや憎しみではなく、機械的な視線がそこにはあった。邪魔な枝を切り払うかのような。害虫を潰すかのような。
狼人がいつのまにか剣を振り上げている。剣を打ち下ろしてくるのがゆっくりと見えた。
――え? ちょ……!
だが、俺の身体が真っ二つになることはなかった。横合いから飛んできたバトルハンマーが邪魔をする。ミトナが無事な方の腕で投げたのだ。
「――ちっ」
ヤツが舌打ちして距離を取る。俺はなんとか体勢を立て直すことができた。
心臓がばくばくと激しい音を立てている。
強い。一瞬しかやりあってないが、十分にわかる。至近距離のやりあいじゃ負ける。
――このままじゃ、死ぬ。
俺の口元がにやついてくるのが自分でもわかる。
ひりひりくる。この、削ってる感じ。生きてるって感じがする!
――どうすれば倒せる?
魔術か? 俺は肩を押さえてうずくまっているミトナの前に出る。
「へえ。かばうってことかい?」
「駄目……! 逃げて……!」
面白がるようなヤツの声。ヤツの技量がわかっているのか、逃げろと俺に言うミトナの声。
違う。ここならミトナを巻き込まないから、ここに居る!
俺は構えると意識を集中させる。
「<火弾!>」
魔法陣が割れ、突き出した黒金樫の棒の先から火の塊が飛ぶ。何のひねりもない直線の火弾。だが、二重起動で氷柱を準備済み! 時間差で射出する。
射線を見切られている。火弾も氷柱もどちらも簡単に回避された。
だが、稼いだこの時間でッ!
「――ッガアアアアアアッ!」
<合成呪文>で「火」の魔術と咆哮を組み合わせる<灼けつく咆哮>! 攻撃直後なら相殺もできまい!
「ぬるい!」
狼の口が開き、怒声が空気を振るわせる。
ヤツは剣を一閃。振るった風圧すら届きそうな一振りで<灼けつく咆哮>を斬り割った。
「まだだッ!」
魔法陣が割れる。両の手に氷柱。右を投げ、続いて左も投げる。<身体能力上昇>で強化された投擲。狙うは相手の鎧、胴体部分。二発共避けられる。なら、まだまだ投げるまで!
二発! 四発! ――六発!
「おおおおおお!!」
「ちっ! 鬱陶しい――!」
ヤツが剣を振るたびに氷柱が砕かれる。凍りつかせる極低温が爆発のように広がるはずだが、砕かれているからか不発気味になっている。まさかあの剣、マナも斬るのか!?
敵の体が大きく見える。低く唸り声を上げる牙ある口。鎧を纏った鍛えられた身体には棒を叩き付けたぐらいではダメージが通りそうにない。
魔術は避けられる。剣で斬られる。
接近戦は相手のほうがはるかに格上。
……隙が無い。
俺の背筋が寒くなる。氷柱を次々と投げながら、ヤツを足止めしているが、マナがカラになってしまえばおしまいだ。
怖い。ヤツが俺を見つめる目が怖い。
「あああああああああああっ!」
魔法陣が割れる。<いてつくかけら>+<「氷」初級>の合成呪文!
一抱えはある氷柱が一瞬で出現する。当たれ! 当たれ! 念を込めながら射出――できない。
ヤツの動きは速かった。大技は射出までにタイムラグが出る。その一瞬で前へ踏み込むと、俺との距離を詰めてきている。両手で剣を保持して体の後ろに流している。肩から当たるように進む。
景色がひどくゆっくりに見える。
ヤツの目が俺を捉えている。喉が干上がる。イメージが見える。ヤツがもう一歩踏み込んで、斬り上げ。俺の胴体を斜めに真っ二つ。中身が飛び出て崩れる。
俺が死ねば、次はミトナが殺される。その光景もまざまざと想像できる。全身が総毛立つ。
次の光景も一瞬の出来事だった。
横合いからクーちゃんが弾丸のような速度で飛び出してくる。ヤツの顔面を狙っての飛びかかり。
ヤツの身体が反射で動く。刀身が三日月を描き、斬り上げの一撃が空中のクーちゃんを捉えた。真っ二つにならなかったのは何かの幸運か、クーちゃん自身の防御力か。ボールのようにぽーんとハネとばされる。身体が軽いからか、かなりの距離を飛んで、四阿の屋根の下へと飛び込んでいく。
どさり。
「あ……」
漏れる声はミトナのものか。呆然とした声を俺の耳が拾う。
頭ん中が熱い。この狼野郎が! 何を! 何を! してくれてやがる!
「てめえ――――ッ!」
氷柱をぶち込んだ。全身のマナを絞りきるつもりで氷柱に!
ゴオオと空間を貫いて、氷柱の槍が獲物に喰らいつきにいく。申し分ない魔術の一撃。
ヤツはそれを目の前にしても、焦る様子はなかった。斬り上げによって振り上げていた剣を、今度は打ち下ろす。すごい音がした。氷柱の槍の先端が斬られ、マナの結束を失ったのか砕けていく。
それでも残りの部分だけで迫る氷を、ヤツは後ろに下がりながら横払いで打ち砕く。砕いた氷に巻き込まれないように、ヤツが大きく後ろに跳んだ。
ヤツはニヤリと笑うと俺に笑いかける。口角が上がり、牙が見える。美味しい獲物を前にした時の嬉しい顔だ、あれは。
「なかなかやるじゃねえか。だが、時間切れか……」
耳がぴくぴく動いているところを見ると、何かを聞き取っているのだろう。
そんなヤツの後ろからマルフが走りこんできたのが見えた。おっちゃんかと思ったが、違う。あれはアルマクじゃない。乗っているのは、ルーク!
ルークはヤツにマルフを寄せる。
「ガーラフィン殿、限界です。別働隊は全滅。あなたの部下も全滅、私の部下も動きが取れません。今撤退しないと街を封鎖されてしまいます」
「ちっ! 人の名前出してんじゃねえよ、人間が……!」
ルークの言葉にガーラフィンが毒づいた。だが、剣を収めるとひらりとルークの後ろに飛び乗る。
俺とルークの目が合う。
「マコト君、君には足止めを頼んだんですけどね。依頼失敗、ということでいいのかな?」
「……何がどうなってんのかわかってたらそもそも受けてねえよ」
「心外だね、じゃあ僕らは行かせてもらうよ」
ルークがマルフを操って向きを変えようとする。
駄目だ! クーちゃんをやってくれたこいつら逃がさない! 何か方法はないか!? 何か! ……ある!
――――犬笛だ!
俺は懐から犬笛を取り出すと思いっきり吹いた。音が出たようには聞こえないが、何か聞こえない音が出たのは分かった。ルークの乗っているマルフ、ガーラフィンが耳をぴくっと反応させた。
これで、おっちゃんを呼べるはず!
「犬笛……! クィオスさんの仕込みか! あの人は……!」
ルークの顔が歪み、憎憎しげに言葉を押し出した。
無言でガーラフィンが合図して、ルークがすぐさま離脱を始める。マルフがその強靭な足腰を生かして駆け出していく。気付けば他の戦闘音は鳴っていない。市庁舎を守りきったのだ。
俺はもうその背中を見ていなかった。
全力で倒れているクーちゃんに駆け寄る。ぐったりと四肢を投げ出して横倒しに倒れている。目も開けてない。
死ん……? 見た目には外傷はない、だが、中はどうなんだ!?
触ってみるがまだ身体は温かい。まだ、助かる。回復魔術!
震える手をクーちゃんにかざす。駄目だ。魔法陣が出ない。もう一度。
「<治癒の秘蹟>……っ!」
ふるえる声で魔術名を告げる。魔法陣が割れ、淡い光の球がクーちゃんを包み込んだ。やった!
効いているのか、効いていないのか。俺の心臓がつぶれる前に、クーちゃんの肺が膨らみ、長い息を吐くのが見えた。たぶん、大丈夫だ。
「よか……った……!」
安心感で気絶しそうだ。
元の世界からこういった獣によく好かれるタイプではあったが、この世界に来てからクーちゃんがだいぶ心の支えになっていたってことだろうな。怖かった……!
「マコト君……?」
「ミトナ……も、無事でよかった。いや、怪我してるから無事じゃねえな。ちょっとそこ座れ」
いきなり駆け出した俺を追いかけてきたのだろう。布で簡単に止血したミトナが近くに来ていた。痛みに顔をしかめているのを見ると、痛々しく感じる。ミトナも死ななくてよかった。たぶん、ミトナが死んでも、クーちゃんと同じようにショックを受けるだろう。
俺はミトナを座らせると、怪我した部分に治癒魔術をかけていく。淡い光がミトナの身体に接触する。
「んっ……!」
傷が修復されるのがくすぐったく感じるのか、眉根を寄せて目を閉じたミトナの口から変な声が漏れる。しばらくすると、腕を動かせるくらい治癒したのか、驚いた顔を俺に向けてきた。
……まずったか? 治癒魔術ってお金取るくらいだからな。普通はホイホイ使うもんじゃないかもしれない。まあ、やっちまったもんはしょうがない。
ああ、でも、何とかなったな……。最後の場面で犬笛が無ければ危なかった。いや、吹いたあとも「お前だけは殺す」とか言われて襲われてたらやっぱり命は無かった。運がよかったのだ。
俺の最後の気持ちが切れた。どさっと身体を投げ出すように座る。
「マコト君……って、どういう人なの?」
ミトナが真剣な顔で俺を覗き込んで言っている。結構レアな表情な気がする。可愛い。
どういう人なのって、うーん。あれ、ちょっと、ミトナの声が遠い。答えてるつもりなんだが、声が出ない。あ、マナ切れ……か。
身体も重い。今日は無茶したからなあ。
ルーク、捕まったかな。
おっちゃん、大丈夫かな。
ミトナにごめん、と伝えるつもりで片手を挙げると、身体をさらに沈みこませる。俺の意識はゆっくりと闇へと沈んでいった。
読んでいただきありがとうございました! 目標文字数に達したので次回から2日更新にもどります。これからもよろしくお願いしますね!!




