第282話「知ってる」
ベアトレーン村の傍に生える大木。その中ほどに位置する枝に俺は腰かけていた。
少し高い位置からベアトレーン村をぼんやりと眺める。
川に向かうのか、洗濯物が入った籠を抱えた人たち。舗装されていない道を歩きながら、笑い合う人々。農作物をとりにいくのか、農具を片手に散っていく屈強な農夫たち。
山猫系の獣人が多く、時折熊っぽい獣人が混じる。
村、と言うが正確には家が集まった集落のようなものだろう。商店や役場といったものは見当たらない。
獣人の村っていっても、あんまり変わりないんだなぁ。
ベルランテ付近の村々のことを思い出しながら、俺はため息を吐いた。
あの洞窟に連れられた後、俺はウルススにここまで案内された。先に村に戻っていたミトナに顔を見せて安心させると、俺は少し時間をもらってこんなところに来ていた。
何かをしようというわけではない。
さっき知った情報について、ゆっくりと考えたかったのだ。
とはいえ、思考は頭を滑るばかりで一向にまとまりはしない。重く、暗い思考が脳内を染め上げる。思わず俯いた。
ふと気配を感じた。見れば、村の方からミトナが歩いて来るのが見える。眩しい笑みを浮かべながら、俺に向かって手をふるのが見えた。ただ、それだけなのに、重かった胸の内が軽くなっている。
「まったく、かなわねぇなあ……」
思わず笑みが漏れた。
ミトナのことが、好きだ。ただ、それだけのことを、自分の気持ちの中ですら明確にするのを避けてきた。何のことはない。怖かったからだ。温い関係でいられる距離感を失うのが。
――――ミトナと、話をしよう。
ミトナは軽い動きで跳びあがると、俺の隣へと腰かけた。枝を揺らさずやってくることができるのは、どんな体術か。
ミトナはしばらく俺の顔を見つめている。さきほどの俺の叫びを、ミトナはどう捉えているのか。
真っ直ぐ聞いていいものなのか?
仕切り直して言うべきなのか?
まごまごしているうちに、先に口を開いたのはミトナだった。
「ん。マコト君が無事でよかった」
「無事……って、さっきの獣のことか?」
「ん。これまで見たことのない魔獣だったから。パパもついてくるなとか言ってたし」
「ああ……。まあ、な」
事情を知っていれば、ミトナだけは近付けさせようとは思うまい。ウルススの考えは当然だ。ミトナに対してそれを説明する言葉は見つからないが。
「ミトナは……。その……」
「ん?」
「…………身体、だいじょうぶか? ほら、ベルランテの戦いのあと、気を失ったままこっちに来ただろ?」
言葉が出なかった。言いたいこととは違うことがつるつると口から出て来る。
言うべきことは簡単で、単純。
ひとこと伝えるだけでもいいのに、それが出ない。咄嗟の言葉は遠回りで、先送りだ。
ふっ、と柔らかく微笑むと、ミトナは一つ頷いた。
「ん! もうバッチリだよ。身体がだるかったのもなくなったし。故郷に戻ってきたのがよかったのかな」
「そ、そりゃよかった。こっちは地元なんだっけ? 昔の友達とかにも会ったりしてたのか?」
「ん~? 小さい頃は、同い年くらいの人と会う機会がなかったよ。いつも大人の人と一緒だったから」
ミトナは遠い目をして昔を思い出している。ここに住んでいたのは確からしい。
同い年くらいの子と会わなかったのは、ウルススの指示だろう。何か言われる前にベルランテに住む場所を変えたということか。
「ん。だから、マコト君と会った時は、驚いたんだよ。うちの店に若い人が、って」
へ?
「店に来るのは屈強なおじさんばっかりだったから、同い年の人が来たって驚いたの」
「……ミトナより結構年上だぞ、俺」
「後で知って驚いたよ。でも、あの時はそう思ってたから、マコト君のこと気になったの」
気付けば、ミトナが俺を見ていた。いつもの眠たそうな眼がしっかりと開かれていた。
俺を、見つめている。それ以上何も言うことはない。ミトナは口を閉じた。
「あ……えと、いや……。俺とミトナって、一緒にいろんなところ見に行ったよな」
「ん」
「色んな街に行ったり、色んな敵と戦ったり……」
「ん」
「危なかったことも結構あったよな。この前だってミトナが死にそうになったし」
「ん」
「俺と居れば、いつか死ぬかもしれない。冒険者ってだけじゃなく、俺自身がトラブルの塊だし。そうなったらミトナを守りきれるか自身がない。ミトナが強いことは知ってるけど、今回みたいにどうしようもなくなったら……」
違う。そうじゃない。
「俺の方が背も低いし、筋力とかも弱いし、いろんなことにすぐ悩むし、考えなしに動くし、しかも繰り返して学習しないし……!」
少し困った笑みで、ミトナは待っていた。しょうがないなぁ、という聞こえぬ声が聞こえる。
言いたいのは――――。
「好きなんだ、ミトナが」
「ん――――、知ってる」
そっとミトナの手が俺の頬に触れた。
「わたしも、好きだよ」
風が吹いた。
ざぁっと森の木々を揺らし、ミトナの髪をゆらす。ミトナの方が上背があり、隣に座っていると、かぶさるような位置関係になる。そのままゆっくりと顔が近付いたかと思うと、唇どうしが軽く触れた。
離れた後でも、ぬくもりどころか熱を持っているかのよう。
ミトナがいつもの眠そうな目に戻る。息をゆっくりと、長く細く吐く。ミトナも、緊張してたのか……?
「わたしがパパの娘じゃないってことも、知ってる。熊の獣人と熊の獣人の間に、半獣人は産まれないんだよ」
「ウルススさんは……ッ!」
「ん。それでも、パパとママが愛してくれたことを、知ってる」
ミトナの声は優しい。
「マコト君はいろいろ心配してくれてるみたいだけど、わたしの生き方はわたしが決めるよ。マコト君についていく。ん。行きたいから、行くの」
ミトナはぐっと拳を握って見せた。熊耳がぴんと立つ。
思わず俺も笑みがこぼれた。何この可愛い娘。
俺はしばらく高揚感と共にミトナの顔に見とれていた。ふと、何かを思いついたようにミトナが不思議そうな顔をしたことで意識を戻す。
「ん。それで、フェイとマカゲもこっちに? マコト君だけ?」
「……忘れてた」
ミトナのことで頭がいっぱいで忘れていた。
フェイだ。マカゲが港町で張ってるとはいえ、あまりゆっくりしてられない。
ミトナの出自については、ミオセルタを確保してから戻ってきた方がいいだろうし。
俺は今の状況について、ミトナに説明し始めた。




