第279話「獣」
ウルススの突撃を視界に収めながらも、俺の心の中は落ち着いていた。
宣言したらスッキリした。何が大事かなんて、考えるまでもない。今まで目の前にあったのだ。
王都での出来事を思い出すまでもない。これまでの俺に、ミトナは必要だった。これからの俺にも、当然なんだ。
本人に明確な形にして言う前に、親御さんに言う事になるとは思わなかったけどな。
今までぐだぐだ考えていたのが馬鹿らしく感じる。ミトナを取り戻しに来たときから、ウルススとぶつかることは当然考えてしかるべきだ。俺が落ち着いているのもそういうことだろう。
身が振るえそうなほどのプレッシャーが、逆に気持ちからいらないものを削ぎ落としていく。思わず獰猛な笑みが浮かぶ。
何もしなければほんの数瞬で打撃されるだろう。
だが、伊達に場数は踏んでない。身体に通すマナは瞬時、呼吸にも等しい自然さで術式は完成する。
「<大氷刃>!」
魔法陣が出現し、破砕するまでかかったのは刹那の時間。時間をも凍結させるような勢いで、氷の大刃を出現、射出する。
「ぬぅんッ!!」
突撃の勢いを殺さぬまま、一振りで<大氷刃>が吹き飛んだ。力技で粉砕。細かな氷片になってウルススにぶつかりはするものの、突進速度には僅かな影響しかない。
その僅かな時間が必要なのだ。
<大氷刃>とは別個に練っていたマナを開放、ウルススから目を離さぬまま魔術を起動する。
「――――<魔獣化ァ>!!」
<身体能力上昇>や<やみのかいな>をはじめとした強化魔術が連続起動。翼のように広げた八本の<氷刃>を含めた、強化・完全版<魔獣化>だ。
砕け散る魔法陣が花吹雪のように周囲を埋める。マナの粒子を目くらましに、ウルススの突進を回避。
すれ違うように、前へ。
風音を耳が捉える。バトルハンマーが振るわれる。軌道上の全てを潰す一撃。振りかぶっての大上段だ。さっきまで俺が居た位置を上から叩き潰し、地面を激震させる。
背筋が凍る。これ、殺気がなくとも、この身に受ければ死ぬんじゃないか?
ウルススにはこれまでお世話になってきたが、どれほど戦えるのか実際に見たことはなかった。今の一撃でわかる。獣の膂力による力まかせではない。確かな技術がそこにはあった。
――――やっべぇ。
避けたことにほんの少しの安堵。その弛みを突かれた。
粉塵を割って熊の手が伸びてきた。
「ッ!?」
掴まれた腕がすさまじい握力に握りつぶされる。生身なら骨ごと千切れている。だが、<やみのかいな>は最悪の事態を防ぐ。
掴まれている腕を辿るようにして、氷刃を射出。八本同時に突き立てようとするが失敗。いきなり視界が流れる。掴まれたまま、身体を引っこ抜かれた! 氷刃の制御が乱れる。
全身がばらばらになりそうな衝撃。大地に突き刺すように叩きつけられながらも、苦鳴の声は食いしばって飲み込む。
おかえしだッ!!
「オオオオオオオオオオッ!!!」
「ぐおッ――――!?」
至近距離からの<りゅうのおたけび>。ドラゴン級の咆哮の直撃は衝撃すら伴う。円形の衝撃波をばら撒きながらウルススの巨体が後退した。
今だ!
「ウルスス! あんた、俺を殺す気かッ! ――――<フレキシブルプリズム>!!」
「ふん! ワシは言うたぞ! 全力でかかってこい! ワシも全力をもって叩きつぶしてくれるわい!!」
ズドッ、と爆発したかのような音を立ててウルススがショートジャンプする。<フレキシブルプリズム>がすかされた。ウルススはバトルハンマーを口に咥え、そのまま四足で走り出す。速い!
射出する氷刃はことごとく外れ。地面に突き立つばかり。移動先を予測して射出しているが、それを読まれている。
視界外、ミトナが動こうとしたのを<空間把握>が捉えるが、他の二人がそれを止めるのがわかった。ミトナが参戦すウルススの動きは鈍るだろう。だが、その勝ち方ではダメなのだ。二人にはそのままミトナを止めておいてもらったほうがありがたい。
逸れた思考を引き戻す。ウルスス撃破だけを見据える。単発の魔術は命中しない。かすった程度では傷もつかないだろう。
「クソッ! なら、動きを止めて――――<雷の鎖>ォ!!」
魔法陣が出現。一拍遅れて砕ける。地を這う雷撃が囚人を求めて腕を伸ばす。ウルススの足を掴むまで一瞬。がくんと速度が落ちた。拘束の雷撃は一本のみならず、動きが鈍ったウルススを蜘蛛の糸のように搦めとっていく。
俺は距離をあけるように後退。大技のためにマナを練り上げる。一度嵌まれば抜け出すのは容易ではない。このまま決める!
「ふン――――ぬッ!!」
雷の鎖が引き千切られた。無理矢理だ。これ以上ない力技だ。
「うっそぉ……!」
「ぬるいわ! この程度の魔術、経験しとるわい!!」
驚愕の声を漏らす俺に、ウルススが怒鳴る。
<獣化>。
<雷の鎖>を破ったのはそれだ。ウルススの全身が一回り膨張。破裂するかと思われた鎧は、膨張した全身に添う様にスライドする。<獣化>することをも織り込んだ構造。
ヤバイ。<獣化>した膂力で突っ込まれたら、どれほどの速度になるか。今の距離などまばたき一つでなくなってしまう。
――――先手だ!
「<雷瀑布>!!」
雷撃を放つ。横向きに放たれた柱のような雷はレーザーの如く突き進む。身に纏う鎧に<獣化>した筋肉の壁だ。もしかすると毛皮による防御もあるかもしれない。だが決定打にならなくとも、動けなくなるくらいの威力を込めた一撃だ。
やりすぎたかという思いがよぎる。
直後に、それを撤回することになった。
ウルススは背面にとりつけられていた盾を手に持つと、肩を押し当てるように雷撃に吶喊。咆哮の衝撃と盾による打撃で雷撃を吹き散らす。
「身体が抜ければ、問題はないじゃろ!」
「くぅ――――ッ!? なんでそんなことができるんだよ!?」
「昔取った杵柄というやつじゃな」
魔術の威力には自信がある。これまでそれなりの敵と相対してきたのだ。だが、ウルススはそれを踏み越えてくる。まるで、魔術師と戦うことに慣れているかのよう。
そこまで考えて、閃くものがあった。
「慣れてる……どころじゃないな。あんた、元軍人か傭兵か何かだろ」
「……どうじゃろうな」
「あの白毛皮野郎が〝小隊長”って言ってたからな」
「その呼び方はワシは好かん。対魔術師部隊などと呼ばれておったが、死にぞこないじゃよ」
再び突っ込もうとするウルススを牽制するように、地面に突き刺したままの氷刃を地雷のように起爆する。冷気が吹き上がり、踏むだけで足を釘づけにするトラップと化す。ウルススの足が止まるが、その目線は油断なく俺の隙を窺っていた。
張りつめる空気。きっかけさえあれば俺か、ウルススか、どちらかが動く。魔術の起動が速いか、ウルススの突撃が速いか。武器は違えど早撃ちのような緊張感が漂う。
――――それは、突如現れた。
<空間把握>の知覚にも捉えられず。幻のように出現した。
獣だ。
全身が毛に覆われ、人型として立つその姿は、獣人と言っていいのかもしれない。
五指には凶悪な爪があり、頭にはねじくれた角が一本突き出ている。
不思議なことに、それが何の獣なのか判別がつかない。
犬や狼のようで、そうではない。
虎や獅子のように見えて、それも否定される。
それでいて、口から生える牙や、鼻の形、とがった耳は主張している。
その闖入者は、獣としか、呼びようがなった。
「――――。」
ウルススの動きが完全に止まっていた。意識が全て、獣へと向けられている。
その口から、驚愕の声が漏れた。
「ありえん……。シャン・グリフ――――! どうしてこんなところにおるんじゃ!?」
「…………え?」
ウルススの呟きの意味が、俺には掴めなかった。
「シャン・グリフってあれだろ。灰スライムの集合体……」
焦りを含んだ咆哮が、周囲一帯を揺らした。その声が、俺の身体を打つ。
「勘違いを正しておる暇はないんじゃ! 勝てるとかいう次元ではない! ミトナを連れて逃げい!!」




