第278話「宣言」
「―――――!」
ミトナに声をかけようとした刹那、プレッシャーが全身を打った。思わず確認した<空間把握>には、ミトナとは違う二つの反応が存在していた。ミトナの反応を精査するのに必死で、見落としていたのか。
「この、魔術師ヤロウがッ!! こんなところまで追いかけてきやがった!!」
怒声が響き、クレーターの縁から誰かが跳躍する。
この声には聞き覚えがある。ベルランテの港で、ウルススさんと一緒にいた白毛皮。確か、ファンテルとか言ったか。
土煙を上げる勢いで着地したファンテルは、すでに抜剣していた。不愉快さを隠さず唸るように牙を剥く。こちらに吹き付ける殺気に、アルソットが思わずといった感じでさがった。
「まるで害だなァ、テメェ! ウルスス様の前に出てくるまえに、ここで駆除してやるよ!!」
こいつ、やる気だ。
俺は思わず臨戦態勢になる。ユキヒョウの外見から見ても、こいつの身体能力はそれなりにあるはずだ。
ムカつくという理由以外に、こいつとやり合う理由はない。だが、降りかかる火の粉は払うべきだ。
迎撃の魔術を構築しながら、ふともう一つ理由を思いつく。
ファンテルは俺が魔術師と知っている。大勢に対してどれほどの影響力があるかわからないが、この情報をばらまかれるのはまずい。
ファンテルは腐ってもユキヒョウの獣人だ。先手を取られるとスピードを追いきれないかもしれない。こちらが先手を取る!
「死ねッ!」
俺の敵意を受けて、ファンテルが動いた。鋭敏な感覚はさすが、俺が動き始める前に地を蹴る。そのスピードはまさに疾風。一瞬で相手に到達して首を刈りに来る。
<りゅうのおたけび>
正面から咆哮した。<たけるけもの>より広範囲で拘束力に優れる。空間を震わす振動。ファンテルが壁にぶつかったかのように叩き落された。一度地面にバウンドすると、身体を捻るようにして跳び退るファンテル。
衝撃を逃がしやがった!
獣の直観か。咆哮の衝撃にぶつかった直後、不自然に毛並が逆立ち、身体が蠕動するのを見た。衝撃を逃がし、身体が麻痺するのを防いだのだろう。マナを通して芯まで痺れが残ると思ったが、あの白銀の毛皮、魔術耐性でも持ってやがるな。
「て、テメェ……!」
烈火のごとき怒りを目に宿し、視線を突き刺してくるファンテルに、俺は真っ向から睨み返した。
「ん。待って」
ミトナがクレーターの縁から跳躍すると、睨み合う俺とファンテルの間に立った。そのままくるりと振り返ると、厳しい目線をファンテルに注ぐ。
「マコト君に何かしようとするなら、私が相手になる」
「ミトナお嬢さん……。お言葉ですが、あなたは騙されてるんだ!」
怪訝な顔になるミトナ。ファンテルはなおも言いつのる。
「ウルスス様からミトナお嬢様を守るようにと言われているおります。特に、コイツとは接触させないようにと! この、汚らわしい魔術師ヤロウとは!」
「ファンテル。それ以上は言わない方がいい」
涼しげな声が通る。明るい茶色に黒縞。ヤマネコっぽい獣人の女性だ。身のこなしはなめらかで、ひとめでそれなりの武術を修めていることが見て取れる。
彼女は俺を罵るたびにミトナの表情が剣呑になっていることに気が付いているのだろう。血がのぼっているファンテルを冷静に諌めた。
「イリ、けどよ!」
「くどい」
ヤマネコ女はなおも食い下がるファンテルをばっさりと切ってすてた。牙を剥いて一喝するとファンテルは怖気づく
どうやらこのヤマネコ女の方が話が通じるらしい。
「弟の非礼を詫びよう。私はイリ。こっちは弟のファンテルと言うが、面識があるようだな」
「俺はマコト」
魔術師、と言おうとして口を噤んだ。墓穴を掘る必要はないだろう。
「ふむ。我々はウルスス様と懇意にしていてな。病み上がりのミトナ様の護衛としてここにいる。それで、マコト殿はミトナ様と、どのような関係だ?」
言葉にひやりとした刃が潜む。ファンテルの言っていることを完全に信じているわけではないが、俺のことは警戒しているというわけか。
自然体に見えて、いつでも攻撃に移ることができる。マカゲに似た空気を感じる。右手は腰に手を当ててこちらの眺めているが、左手は腰の後ろに差した二振りの剣の柄にかけられている。
俺はため息をつくと、力を抜いた。ミトナの事を案じていることにウソはないように思える。
「ベルランテでパートナーとして冒険者をしていた。最後の事件でミトナの具合が悪くなって、獣王国に戻るとは聞いたから……」
「ふむ」
ミトナはいつもの眠そうな顔をこちらに向けている。
おかしい、ミトナの反応はいつもすぎる。
事情がわかっているのかいないのか。もしかするとウルススさんはミトナに事情を話していないのかもしれない。現状がわかっているのなら、もっと何か反応をしているはずだ。
ウルススさんも娘に嫌われたくはないのだろう。俺がすぐに獣王国に来るとは思ってないだろうし、言い出すのを伸ばしていたとしても不思議じゃない。
わかってないだろうなあ、と思いながら、俺は言葉を続ける。
「迎えにきたんだ。ベルランテに帰ろう、ミトナ」
「――――ん」
笑顔が咲いた。
思わずぼうっとしてしまったのもしょうがないことだろう。一気に顔が赤くなる。にこにこしたまま見つめてくるミトナに、恥ずかしさを誤魔化すように口を開く。
「どうして俺がここにいるってわかったんだ?」
「マコト君がいるとは思ってなかったよ。すごい勢いで雷の柱が立ったから、何が起こったのかなって」
「あー……」
「ん。このあたりは灰スライムとシャン・グリフしか出ないから、雷のブレスでも吐く魔物が流れてきているのかと思って来てみたんだけど」
シャン・グリフを倒した時の<雷瀑布>の光。遠くから見えるほど目立っていたのか。
それにしても偏った生態系だな。もうちょっといろいろ魔物がいると思ったんだが。
とりあえず事態が収拾したと感じたのか、アルソットがおっかなびっくり戻ってくる。急に現れたミトナやイリやファンテルに自己紹介すると、大きく息を吐きながら言った。
「だいぶ危なかったがよ。この辺、あのスライムしかいないのか?」
「雷や火を使う魔物以外は全部消化する魔物だからな。それ以外の魔物が人目に触れる時は、かなり凶悪な魔物ということになる」
イリの説明に俺は頷いた。どうやら灰スライムは魔法を使えないかわりに、基礎能力に特化したタイプなのだろう。もしくは、あの合体が〝魔法”と言えるか……。
「――――もうすぐウルスス様も到着される頃だろう。魔物ではなくて一安心だな」
「今、なんて言った?」
青くなった俺は、かすれたような声でイリに聞き返す。
「我々を斥候だ。後詰めとしてウルスス様が完全武装でこちらに向かっておられる」
何一つとしていい要素が無い。
熊の嗅覚というのは、犬に劣らず鋭い。この距離から逃げ切れるものではない。それに、ミトナと再会できたというのに、どこに逃げるというのだ。
いつからそこに居たというのか。クレーターの縁から、巨体が覗いていた。
魔物に劣らぬプレッシャー。逆光の影の中に光る目だけが恐怖を呼び起こさせる。
――――咆哮。
熊の大声が身体に叩きつけられる。思わず目を閉じた瞬間に、大熊は跳躍した。着地点の枯れ木を粉砕しながら大地を踏みしめる。
目が離せなかった。その場から動くこともできない。まっすぐ意識は俺に向けられている。
アルソットが再び逃げていくのがわかる。イリとファンテルがなかば引っ張るように事態がわかっていないミトナを退避させている。
鈍色に光る鎧を上半身を中心に纏っている。ところどころは積層装甲でカバーされ、細い剣や槍程度では通る気がしない。顔面にもフルフェイスタイプの兜。急所を狙うのも至難の技だ。肩や腕まわりは打撃攻撃にも使えるように硬化装甲になっている。あれに打たれれば骨どころか肉すら爆ぜ飛ぶだろう。
ここにウルススさんが培ってきた武術と膂力がプラスされるのだ。
俺は伝ってくる冷や汗を拭うことなく、じっとウルススさんを見ていた。
ウルススさんが一歩踏み出した。地響きが重く身体を貫く。
「――――問うてやろう。ボウズ、何用じゃ」
すでに鎧大熊は銀打のバトルハンマーを抜いていた。
敵意や殺気は無いが、本気は伝わってくる。
正直、こうなることは予想していた。
できれば、こうなってほしくないと願っていた。ミトナを見つけ次第連れ戻してしまえば、なんて甘い考えも少しあったのも認める。
『どうしてもミトナが欲しいというのなら、ワシを倒してみるんじゃな』
頭の中に、あの時のウルススさんの言葉がリフレインする。打たれた雨の痛さや、叩きのめされた時の臓腑が捻じれるような焦りと諦めが走り抜ける。
ウルススさんは、自分の思いを全てオープンにした。
だから、俺も全部さらけ出さないと立ち向かえない。これまでの思い出、これからの状況、ぐるぐる回る思考は、やがて煮詰められて一点へ集束していく。
脳裏に閃くは、ミトナの笑顔。
なんだ、単純なことじゃないか。
意思を示せとウルススさんは言っている。四肢に力を。言葉に意思を。
「ウルススさん、問いに答えるよ」
俺は――――。
「娘さんを、俺にください」
ウルススがニヤリと笑ったのは、気のせいだろうか。直後に、城砦すら破砕する勢いでウルススが突撃を仕掛けてきた。




