第277話「武器食いの罠」
シャン・グリフが思いきり腕を振りかぶる。
鈍重とも言えるその動きに、俺は余裕を持って回避。だが、振り回された巨腕が目の前を行きすぎた。遠心力で腕の先端が千切れたのだ。
「――うぉわッ!?」
「おォッ!? コイツ、ちぎれても動くのかよ!」
アルソットの叫び声。ちぎれた腕はそのまま灰スライムとして動くらしい。集結するも分離するも自在ということらしい。飛び散った細かい飛沫は動かない。どうやら一定以上の大きさがあるか、スライム核が中にないと動かないらしい。
灰スライムとの間合いを詰めたアルソットが、繰り出される拳をよけつつ斬撃を叩き込む。その動きが止まった。その額に青筋が浮かぶ。食い込んだ刃が抜けないどころか、じりじりと灰スライムの身体に取り込まれていくのだ。
「ちッ!」
アルソットは武器を諦めると即座に距離を取る。灰スライムはその身に剣を絡ませたまま、アルソットの肉を求めてぐにぐにと形を変える。
「こちらです!!」
ロップの声の方に俺達は進路を変える。このあたりの地理はロップの方が詳しい。下草をかき分けつつ、張り出す木の根や枝をかわしながら速度を上げた。どうやら見た目どおりシャン・グリフの移動速度は遅い。このままなら振り切れる!
ぐんぐん小さくなっていく背後のシャン・グリフに気を取られ、異変に気付くのが遅れた。
先を行くアルソットの姿が消えている。立ち止まっているロップの隣に並ぶ。ちょうどその位置から森が途切れていた。地盤沈下でもあったのか、森のその一画だけが半球状に陥没している。まるでクレーターだ。一度転がり落ちれば、登るのには大変苦労するだろう。
ロップがそのクレーターを見下ろしている。俺も視線を向ければかすかにアルソットの姿が見えた。
慌てすぎて転げ落ちたのか……?
覗き込む俺の身体を、衝撃が襲った。
空中でバランスを崩した俺の視界に、申し訳なさそうなロップの姿が映る。その両手は突き出されている。
「ごめん……なさい……!!」
突き落とされたことに気付いた時には、すでに接地していた。すさまじい衝撃に歯を食いしばって耐える。頭を打たないように身体を丸める。何回かガン、ゴンとでっぱりだか岩だかに身体をぶつけたからか、傾斜がゆるくなったからか、土煙をあげながら俺の身体はようやく動きを止めた。
……痛ェ。
全身打撲のせいか鈍い反応の身体。腕を動かすが振るえるばかりでいまいち動かない。
いきなりの衝撃に驚いたのか、身に付けていた小鞄からクーちゃんが這い出してきた。いつの間にか鞄に隠れていたらしい。俺と同じくらいの衝撃を受けているはずなのだが、その動きに変化はない。俺の鼻先をふんふんと匂うと、何かに感づいたのか再び鞄へと潜り込んでいく。
「<治癒の秘跡>……!」
小声で回復魔術を起動させる。魔法陣が浮かんだのは一瞬。砕け散りマナの粒子と化した時には、身体を動かせる程度にはなっている。
顔を上げると、さほど離れていない地点にアルソットが転がっているのが見える。
「アルソット!」
「クソッ……! 油断した! あの野郎!!」
「何が……。ロップが……!?」
痛みが薄れゆく身体を起こし、アルソットに歩み寄る。アルソットは転がっていた大木の幹にもたれかかるようにして身体を起こしていた。俺は転がってきた縁を見上げた。すでにロップの姿はない。<空間把握>にも捉えられないところを考えると、すでに離脱したか。
見られていないならかまわないだろう。<治癒の秘跡>を起動してアルソットの傷を癒す。
一瞬何か言いかけたアルソットだったが、自分の傷が癒えていくのを見て口を噤んだ。
「アルソットも突き落されたのか?」
「気が逸れた瞬間にな」
「何が……」
「嵌められたんだよ。罠だ」
ほら、と指差された背後を振り返れば、そこには不思議な光景が広がっていた。木々は少なく、岩や土砂が多く見えるのはいい。だが、そのそこかしこに剣やら槍やらが突き刺さり、不吉な風景になっているのはいかな理由か。見れば腐りかけた服やマントのようなものも散乱している。
「ここはあの灰スライムの狩場だろうさ。武装はあれど死体は骨すら残っていない。あのスライム、肉だけを食べるんだろうよ」
「それで、武器だけが残されるってわけか……。でも、何でロップが……」
「肉だけ食べて武装が残る。残った武器は拾い放題だろうが。何か奴らに見つからない方法があるんだろうさ。案内するにも奴隷なら痛むことはないってことだ。オレ達が消化されたあとでゆっくりと回収にくればいい」
「…………」
まさか、という思いが脳裏を巡る。そんな俺にアルソットは呆れた顔を向けて言った。
「あんたが今までどんな生き方をしてきたのかはわからねえけどよ、もうちょっと世の中ってもんを見たほうがいいんじゃねえか? ま、ここを生きのこってからのことだがな」
アルソットはクレーターの縁を見上げる。どれくらいの灰スライムが集結しているのか。そこには三メートル級のシャン・グリフが姿を見せていた。
ぐにんと一度波打つとシャン・グリフは跳びあがった。どうやってこちらを捕捉しているのかはわからないが、落下地点は正確に俺達を狙っている。
俺とアルソットは左右に別れるように回避。ちょうど中間地点にシャン・グリフは落ちた。両腕を広げると、角の生えた頭頂部をめぐらせて俺達を探す。
違うな。俺達を品定めしているんだ。
どうやら体格の差でアルソットに軍配が上がったらしい。のそのそとそちらに向きを変えていく。アルソットの顔色が変わる。武器攻撃は効かない。打撃攻撃もあの灰スライムの身体に吞み込まれ、消化されるのみだろう。
「アルソット! 魔術を使う! いいな!? ――――<氷刃>」
すでに術式は準備できている。マナを巡らせて魔術を起動。魔法陣が一気に浮かび上がるまで一息もない。初手は<氷刃>。溜めも見せずに速射する。
「いぃッ!?」
射線にさらされないようにアルソットが慌てて逃げ出す。追いかけようとしたシャン・グリフの両手足に<氷刃>が着弾した。空気に悲鳴を上げさせるような冷気が、一瞬で氷漬けにしてシャン・グリフを拘束する。
<浮遊>で軽くなった身体を、空中へ跳びあがらせる。
次弾はすでに準備完了だ。
「<雷瀑布>!!」
上空からの鉄槌。雷が光の柱となって大地に突き立つ姿は、何かの冗談のようだ。動きを拘束されていたシャン・グリフは一瞬で飲み込まれ、塵と化していく。まとめて消し去れる大出力はやはり重宝だ。
大地とシャン・グリフの肉が焼ける嫌な臭いが拡がっていく。焦げ臭い匂いは転がっていた枯れ木も巻き込んだからか。
アルソットはその跡を見て微妙な顔をしていた。
「…………恐ろしいもんだな、魔術ってやつは」
「とりあえず助かったんだからいいだろ?」
「命拾いはしたな」
アルソットはため息をついた。あたりに転がっている武器を手に取ると状態を確かめる。だが、野ざらしの状態ではぼろぼろになっていたらしく、結局は投げ捨てる。
「それで、どうするんだ? シャン・グリフの角ってやつをまだ集める気か?」
多分、あいつらは俺をサイドハンドとして雇う気は無い。
シャン・グリフの角を持ち帰ったとしても、難癖つけられて追い払われる可能性が高いだろう。
うーん。資金繰りと言っても、大きな依頼を受ける信用を集めるには時間がかかるのが当然。焦りすぎた自分に、少し反省する。
「っと、アルソット。誰か来る」
<空間把握>に人間大の反応。反応が三つの時点でロップではないだろう。何より方角が反対だ。かなりの速度でこちらに向かって突き進んできている。
クレーターは視界が開けていた。身を隠すような大岩もなければ、小さな障害物は先ほどの<雷瀑布>であらかた吹き飛んでしまっている。
敵だったら、突破するのみだ。
俺が覚悟を決めて拳に力を入れる。アルソットの耳にも音が聞こえてきたのか、そちらを向いて身構えた。
ぐっと足に力を込めた瞬間、鞄の中からクーちゃんがするりと抜け出した。
「えっ、ちょっ!?」
俺を見上げるクーちゃんには、接敵中の緊張はない。
「あれ……? マコト君……?」
「―――――ミトナ!?」
なんで!?
どうして!? 本物!?
一瞬で脳内がパニックになる。だが、見間違えることなんてあるはずがない!
クレーターの縁から顔を出しているのは、ミトナだ。服装は違っているが、確かだ。
疑問符を浮かべるアルソットの横で、俺とミトナは驚きの顔のまま見つめ合っていた。




