第275話「サイドハンド」
俺は反応を待った。
酒場の雰囲気から考えて、下手に出ていいことはないと感じたのだ。似合わない強気で挑んだが、正解だったようだ。大型犬獣人の顔に、面白がる表情が浮かぶ。
「まずはその被り物をとったらどうだ?」
「……そうだな」
そういえば酒場に入ってからもフードを被りっぱなしだった。
俺がフードを取り払うと盗み見をしていた酒場のごろつきたちから失笑が漏れた。むっとしたが表情には出さないでおく。あまり感情的になっている姿を見せるのは舐められるもとだ。
大型犬獣人が俺の顔を見てから、視線を角に動かす。
「半獣人か」
「何か問題があるか?」
「いや、問題ない。うちは来る者は拒まずだ。――――実力者に限るがね。わかるだろ?」
こちらを侮る視線。
大型犬獣人が全身に力を込めた。同時に圧が襲い掛かる。アルソットが一歩後ずさった。体格の大きさも相まって、普通なら尻尾を巻いて逃げるのが普通なのだろう。
だが、蟲竜や灰竜と比べると、大したことはない。
クーちゃんが俺の身体をかけのぼると、首筋にまとわりつくようにして顔を出す。クーちゃんが警戒していないところを見ても、それほど怖いとも思わない。
俺はにやりと笑った。
「それで、あんたを倒せば実力が認められるのか?」
大型犬獣人が白けた顔になった。俺がびびらなかったのが意外なのだろう。
その時後ろからくぐもった笑い声が聞こえてきた。店の奥に部屋から、下卑た声で談笑しながら出て来る人物が見えた。一人はブルドッグ顔の犬獣人、もう一人は猿の顔をした獣人だ。その後ろから細身の黒犬が影のように付き従う。鍛え抜かれたドーベルマンのような雰囲気に、コクヨウやハクエイのような印象を受ける。護衛だろう。
ブルドッグ顔の犬獣人がこちらに気付いた。はっとした表情になった猿獣人があわててフードを被った。
「ゴルドゥ、何事だ。誰も近付けるなと言っておいたはずだぞ!」
「ブルグニド様! いえ、これは……!」
ゴルドゥと言うらしい大型犬獣人につめよったブルドッグ頭は、焦りを含んだ金切声で叫んだ。
ブルドッグ顔の犬獣人、どうやらこれが例のブルグニド本人らしい。背丈は俺の半分ほど、こうしてみると子供に見える。だが、生地を見れば高価だとわかる服に、じゃらじゃらくっつけた金細工の装飾品がその欲深さを物語っていた。
ブルグニドは俺に気付くと、あからさまに嫌悪を示す表情になる。ひくついた拍子に、ほほ肉がだぶついた。
「あぁ!? 何だ、オマエは。えぇ?」
「はぁ……。それがブルグニド様のもとで働きたいとのことで……」
「コイツがか!? この半獣人が仕事人に!?」
ブルグニドが驚きの声をあげた。そこにあるのは竜をスプーンで倒すと聞いたかのような驚きだ。
「サイドハンド?」
「元締めの下でいろんな仕事をこなす者のことをそう言うんだよ」
アルソットが後ろから補足した。
ブルグニドが俺の姿をてっぺんからつまさきまで眺めると、ふんと荒い鼻息を吹いた。途中からは俺の持つ霊樹の棒やケイブドラゴンレザーコートをじろじろと眺める。
「ふん、ろくに牙も持たん種族を相手にしてる暇はない。さっさと追い――――」
興味をなくしたように言いかけたブルグニドの背後に、いつのまにかドーベル男が佇んでいた。ひざまずくようにして身をかがめると、ブルグニドの耳に何やら耳打ちをする。
最初は鬱陶しそうに聞いていたブルグニドの顔色が青くなったかと思うと、冷や汗をかきながら無理矢理作った笑顔になる。
「いや、すまない。少しイライラしていてね」
急に猫なで声を出すブルグニドは、ものすごくうさんくさい。さっきとは一転した表情のまま、にこにこと笑いながら話しかけてくる。
「君のような元気な人材を待っていたよ。ちょうどやってほしい仕事があってね。おい、〝垂れ耳”を連れて来い」
頷いたゴルドゥが巨体を揺らしながら酒場の奥へと去っていく。勝手知ったその様子。カウンターの奥にいる酒場のマスターが何も言わないところを見ると、ここは酒場というよりブルグニドのアジトなのだろう。
しばらく待つと、ゴルドゥが一人の男の子を連れて戻ってきた。
ぼさぼさの髪の毛は伸び放題で、前髪で表情を隠してしまっている。その頭には子犬を思わせる〝垂れ耳”がついていた。犬系の半獣人だ。
その子の様子に、俺は思わずしかめっ面になった。
薄汚れた貫頭衣を粗末なベルトで留めている。その手は薄汚れて真っ黒だ。靴を履いていない足も汚れ放題で真っ黒になっていた。
首に付けられた首輪と、足にも輪っかがつけられている。
奴隷だ。
状況がわかっていないのか、怯えたように縮こまりながら歩いて来る。歩みがゆっくりになると、ゴルドゥが後ろからその肩を強く押した。
アルソットがそっと肩に触れてくるのを感じる。どうやら思いっきり拳を握っていたらしい。俺はゆっくりと拳を開いた。
「シャン・グリフという魔物をご存じかな。ここから南へいった密林地帯に生息する魔物だ。その角を持ち帰ってほしいのだよ。この〝垂れ耳”が魔物の生息場所を知っている。案内として同行させよう」
「おい! わかってるな!」
ゴルドゥが大きな声を出すと、〝垂れ耳”は耳を押さえて何度も頷いた。
ブルグニドが、瞳の奥は笑っていない笑顔で俺達に告げる。
「角を持ってきたらもちろん相場の報酬を支払おう。さらには、これからも仕事をまわさせてもらう」
「魔物が出るなんて危険なところだろ? ……場所さえ分かれば俺達だけで行ける」
俺の言葉に、ブルグニドはちらりと〝垂れ耳”に目をやった。
「〝これ”のことなら死んでも代わりはいる。気にするな。むしろ、連れていけないというのならこの話はなかったことにしてもらう」
ブルグニドはどうしても連れていかしたいらしい。つまり監視役も兼ねているということか。
俺はため息を吐きそうになったが、なんとか我慢する。人の命を軽く見るブルグニドを、好きになれそうになかった。
「わかった。すぐに出る。案内してもらおうか」
ブルグニドの酒場を出た俺達は、マカゲに連絡するために一度宿屋に戻ることにする。俺とアルソットの後ろを、縮こまりながら〝垂れ耳”がついて来る。整備されていると言い難い港町の街路は、瓶の破片や金属片があってもおかしくない。
露店が軒を並べているエリアまで戻ってくると、俺は靴を購入した。靴底に布がついていて、巻き付いて靴にするような見たことない靴だ。これなら〝垂れ耳”の小さな足でも履くことができるだろう。
俺は振り返ると靴を差し出した。
〝垂れ耳”は差し出された靴をどうしていいかわからないらしく、しきりに靴と俺の顔とを見比べている。じれったい。
「そのままの足で外を歩かせたくない。これを履いていい」
「…………」
なおも動かない〝垂れ耳”に靴を押し付けると、履くまで様子を見守ることにした。信じられないような疑りぶかい目で見ていたが、しばらくすると靴をはいた。様子を確かめるようにあたりを飛び跳ねる様子は、かわいいもんだ。
こんな小さい男の子でも奴隷になるなんてな……。
「それで、君の名前は?」
「〝垂れ耳”!」
「いや、それはあだ名じゃないか。君が生まれた時につけてもらった名前だよ」
「――――ロップ」
やがて消え入りそうな小さな声で、ロップは名乗った。俺は思わずぐわしぐわしとその頭を撫でる。見た目は中学生ぐらいに見える。こうされるのは嫌がるかと思ったが、存外素直に受け入れいた。
「よし、ロップ。魔物と戦うのは俺達がやるから、危なくなったらすぐに逃げるんだぞ。魔物の形と場所さえ教えてくれればいいからな」
「…………」
「え、オレも戦うのかよ!? そりゃないぜ」
「面倒見ろってプラティーベ船長に言われてただろ。付き合ってもらうからな」
「そんなぁ」
さっき、ロップが何かを言いかけた気がするのが気になるが、しばらく顔を見ていた。だが、何も言わないうちにロップは先に立って歩き出す。まずはマカゲのもとに寄るので、宿屋の位置をロップに告げると、わかったとひとつ頷いて歩きだす。宿の場所はわかるらしい。
ま、いいか。
なおも情けない声を出すアルソットに笑顔を見せながら、ロップの後を歩き出した。




