第274話「血族重視主義」
アルソットに連れられて、港町の宿屋に入る。不愛想な土竜人店主は、先払いの金を差し出したアルソットを見もせず部屋を示した。好きな部屋を選べということらしい。
踏み込んだ木の階段がギシギシ鳴るのに俺は眉をしかめた。建て付けが適当なのか、木材の大きさが不ぞろいの木製階段は今にも崩壊しそうに見える。ベルランテとは違って建物の造りはよくない。
とにもかくにも、三人部屋に入った俺達はようやく一息をついた。
「すごい宿屋だな」
思わず出した声が、若干アルソットを責めるような声になったのもしょうがないだろう。
ベッドすらなんだかわからないすえた臭いがしていたからだ。古い布を使っているせいだろうか。これなら自前の毛布で床で寝た方がマシかもしれない。
クーちゃんが走っていった先でほこりのかたまりにぶつかり、何度もくしゃみした。マカゲがクーちゃんを持ち上げると、比較的きれいだったテーブルの上に乗せる。
アルソットはにやりと笑った。
「まあ、そういうなよ。無駄に金も使えないだろ? 節約できるところはしていくもんだ」
「限度があるだろ、限度が。これじゃ休息にもならないんじゃないか?」
「この宿にもいいところがある。ここなら誰かに話を聞かれる心配は、ない」
窓から通りを眺めていたマカゲが苦笑しながらそう言った。
確かにこの部屋に来るにはあの軋む階段を登らなければならない。誰か来たなら気付くだろう。
アルソットはブーツのベルトを緩め、かび臭いベッドに寝転ぶと、楽な姿勢になった。
「それで、これからどうするんだ。ひとまずここに泊まっていればゼネルカンのところから連絡があるだろうよ」
俺は考え込んだ。今やらなければならないこと。できればミトナの捜索もしたいが、まずはフェイのことだ。ミトナはウルススが連れていった以上、差し迫った危険はないはず。
「まずは金稼ぎだ」
「へぇ!? 人探しじゃないのか?」
驚いたアルソットがベッドの上から身を起こす。
「ゼネルカンから連絡があった後なんだよ。首尾よくフェイを買い取ることができたとしても、それで路銀が尽きたら意味がないだろ。少しでも足しになるように金を稼いでおきたい」
「その鞄には入ってないのかい?」
アルソットが指さしたのはフェイの鞄だった。こいつ、案外抜け目がない。行きしなにフェイがそこから金を出したのを覚えているのだろう。
だが、俺はフェイの鞄を勝手に開けるのはためらわれた。人の鞄を勝手にあけることへの罪悪感と、フェイなら魔術的な罠を仕掛けている可能性があるからだ。アルソットを無視しておくことにする。
「それで、この町には冒険者ギルドに行って、とりあえず登録と仕事を……」
「マコト殿、獣人国には冒険者ギルドがないのだ」
「……へ?」
マカゲの言葉に、思わず俺はぽかんとした表情になる。
冒険者ギルドがない?
それだとこの町はどうやって魔物から身を守るなど、やっかい事の解決を行っているというのだ。
「拙者はむしろ、獣人国から聖王国に行った時は、冒険者ギルドという存在に驚いたものだ」
興味があるのか、アルソットがマカゲに注目する。
マカゲが真剣な表情で先を続けた。
「獣人というのは血族を重んじる。排他的と言ってもいいだろう。だから、冒険者のようなどこから来たのかわからない者に物事を任せることが嫌いなのだ」
「いや、この港町でも多くの獣人たちが働いているだろ!?」
「一つの血族だけで衣食住すべてを完結することはできぬ。だから、他の血族と商売などで交流することはある。だが、一見協力しているように見えて、その実すべての利益は血族のためにあるのだ。そのために共に戦ったり、共に住んだりするのだ」
「まあ、オレらみたいなそういうしばりがゆるいのもいるけどな。犬獣人や猫獣人あたりはうまくやってんじゃねぇか。人間はどの獣人にもだいたい嫌われてるぜ、理由は様々だけどな」
アルソットが自分は違うと示すようにひらひらと手のひらを振った。マカゲが頷いた。
「ベルランテが異質なのだ。拙者が見た限り、あそこまで獣人と人間が共存しておる街も珍しい。何か、一つの道となるとよいのだが」
話が逸れたことを感じたのか、マカゲは一度尻尾を振ると話を切った。
元に戻すために俺はアルソットに話しかける。
「じゃあ冒険者ギルドのような依頼ってここにはないのか」
「ここでは町の権力を握る人物の手勢がそれを行うことになるな。もちろん傭兵としてそこに参加し、金を稼ぐことも可能だが、他の権力者の下で働けなくなるなどの縛りが存在する。アルソット、シャラン港での今の権力者は誰だ」
「特に大きなのはヌィミーズとブルグニドだな。ヌィミーズは魚獣人、ブルグニドはオレと同じ犬獣人だ。ヌィミーズは海の中や海の上が中心だから、売り込むならブルグニドの方にしたほうがいいぜ。だけどな」
そこまで言うとアルソットは俺を上から下まで眺める。
「魔術を使わなきゃ、あんたは採用されるかねえ。オレらの厄介事なんて、荒事ばっかだからな」
「できることはやってみるさ。アルソット、案内してくれ」
「うええ。今からいくのか?」
「船長は何ていうだろうな。熱心なアルソットの仕事ぶりを聞いて」
「わかった。わかりましたよ。まったく人づかいの荒いヤツだ」
フェイの荷物を置き、俺は身の回りの品をチェックする。大きな荷物に入れておいた霊樹の棒を取り出すと、手に持った。しっくりと馴染む。吸い付くような木肌を掌に感じながら、俺は他の装備を確認した。
こんなことなら、もっと路銀を持ってきておくんだった。
大金を持ち歩くのも危ないと思って、必要最小限に限って持ってきたのが仇になっている。
「マカゲ、留守番を頼む。もしかすると連絡があるかもしれないしな」
「承知した。マコト殿、無茶はされるな」
「わかってるよ」
ゼネルカンのところから連絡が来た時の場合に備えて、マカゲには宿で待機してもらうことにする。
アルソットと連れ立ってシャランを歩くと、俺をじろじろと見てくる視線に気付く。視線から顔を隠す意味も込めて、フードを目深にかぶることにする。
俺はちらりと隣を見た。
アルソットはどうやら嫌なようだ。表情より、尻尾にその様子が表れている。
「場所はわかるが期待はするなよ。苦手なんだよ、あの人。取り次ぎができはしないから、自分でなんとかしてくれ」
「ひとまず話をしてみるさ」
「オーケイ。武運を祈る」
――――武運?
俺が疑問符を浮かべる前に、アルソットはある酒場の扉を開いた。酒場だとわかったのは、その扉がスィングドアだったからだ。俺達が一歩踏み込むと、店中の客の視線が一斉に集まるのがわかる。
テーブルに座っているのはほとんどが犬獣人。
奥には特に大きな犬獣人がいた。身長3メートル近くなのは、熊に匹敵するんじゃないだろうか。顔の形を見るに、大型犬の系統だ。
酒場が静寂に包まれた。
雰囲気からすると、さしずめ俺達はアジトに潜り込んだとあわれな獲物か。
上等だ。
俺達は食われにきたんじゃなくて、食いに来たんだからな。
俺は心を強く持つ。真っ直ぐと大型犬獣人を睨みつけた。ぐっと腹に力を込めて、言う。
「ブルグニドってやつがここに居るって聞いた。金がいるんだ、俺を雇わないか?」




