第266話「種族の差」
「船室というよりは、貨物室だな、これ」
「そうね」
「拙者もそう思う」
目の前にうずたかく積まれた木箱や麻袋。ずっしりと重い木の樽がときおりぎしぎしと軋む音を立てている。衣服や装飾品が多い荷物だらけのここは、どう見ても寝泊りする船室ではないだろう。
鼻に香る潮の匂い。断続的な揺れが続き、たまに大きく左右に揺れる。船が海に出たのだ。
アルソットの言う通り、ここに来るまでは誰とも出会うことはなかった。後は獣王国の港に着いてからこっそりと降ろしてもらう手筈になっている。
魔術の光源が貨物室を照らす。アルソットからの差し入れなのか毛布が人数分用意されていた。フェイはその一枚を受け取ると、樽の間のスペースへと潜り込んだ。マカゲは壁を背にあぐらをかいた。鞘に納めた刀を肩に立てかけるようにしている。その髭がひくひくと動いた。
アルソットにはこっそりと<印>を仕掛けてある。さらに<空間把握>も併用して、接近したのがアルソットがどうかわかるようになっている。誰も来ないとは言っていたが、何か不測の事態が起きた時には<ばけのかわ>で誰もいないように視覚偽装できるだろう。<いざなうまなこ>は催眠系の能力なのか誘惑系の能力なのかがわからないため、あまり当てにしてはいけないと思う。
だが、感覚の鋭い獣人をこれで騙せるものなのか?
「なあマカゲ、ここにいて乗組員の獣人って気付かないものか?」
「拙者は見つかったことがないな。そもそも、海上だといまいち感覚が鈍るのだ。潮騒や乗員の足音はいつでもしているし、潮の匂いが誤魔化すからな。実際、拙者も今はあまり感じ取れない」
そういうものなのか?
俺は思わず鞄を開いて中に入ってもらっているクーちゃんを見た。丸くなって寝ているのは、感覚が鈍くなっているからなのか。見ただけではわからない。感覚が鋭敏になりすぎるっていうのも難点があるんだな。いらない音も全部拾うってことだよなあ。
ただし、と言い置いて、マカゲは人差し指を立てた。
「拙者がそうなだけで、すべての獣人がそうというわけではないな。もしかすると気付いている者もいるかもしれん」
「アルソットを信じるしかない……か」
「そうよ。仕事はちゃんとする奴よ?」
そう言ったフェイに、俺は胡乱な目を向けた。気になることがある。
「フェイ、お前さ。落ち着きすぎだろ」
「え、そ、そう?」
「こういう感じに船に乗り込むのって前にもやったことあるんじゃないのか?」
「そそそそんなわけないじゃない」
フェイは思いっきりそっぽを向いた。どう見ても怪しすぎる。
経験者か。
どうりで獣王国までの足がすぐに見つかったわけだ。伝手はあったというわけか。ただ、アルソットが出港する日が迫っていたから急に押しかけてきたというわけか。
そのあたりは感謝だな。こうやって発破かけてもらわなければ、行動に移してなかった。
そこまで考えて、俺は気持ちを切り替える。
「それで、獣王国についたらどうするんだ。向こうに行く船が無いってことは人間はいないんじゃないか。見つかったら即逮捕みたいな展開は嫌だぞ」
「最初につく玄関港には人間の姿もあるわね。運ばれてきた物資の管理とか、人間じゃないとできないものも多いし。でも、奥に行くにつれ人間の姿は確かに少なくなるわね」
「完全にいなくなるわけではないな。首都モリステアでも人間の姿は見かけたからな」
「それなら―――――」
「まあ、そのほとんどは奴隷だ」
「……」
俺は開きかけた口を閉じた。
不快感がざっと頭を通り抜ける。
「犬獣人や猫獣人あたりの人間に対して友好的な種族なら、人間を見ても危険はないかもしれないな。半獣人の数もそれなりにいる。フードを被ればそう気にしすぎることはないだろう」
マカゲはそう言うと刀を抱えて目を閉じた。体力を温存するために眠るつもりだろう。俺はフェイの方に向き直る。
「種族が違うったって、話もできるし、飯も一緒に食べれるだろ。こんなふうになるのは、どうしてだろうな」
俺はマカゲやウルスス、パイロンを思い出しながら呟いた。ベルランテの街でも、人間と獣人は実際にうまくやっているのだ。
フェイはしばらく考えていたが、やがて違うことを口にした。
「まあ、到着するまでしばらくかかるわよ。私も寝るわ」
フェイが黙ると、貨物室は静かになった。船が波を割って進む音が聞こえてくる。寝たわけではないだろうが、わざわざ話しかけるのも躊躇われる。この貨物室内なら、少しくらい見て回ってもいいだろう。そう考えて二人から少し離れた。
魔術の光源は二人の近くに残しておく。俺の視界は暗いが<空間把握>があればぶつかることはない。考え事をするにはちょうどいい。
「――――獣人は人間を怖れておるんじゃよ」
背後からかかった声に、俺はゆっくりと振り返った。小さな足音を立てながら近付いてきたのはミオセルタだった。魔術ゴーレムの視界がどうなっているのかわからないが、この暗闇の中でも見えているらしい。
「怖れてる?」
「そうじゃ。肉体的には人間は獣人にはかなわん。同じ条件で戦えばひねられて終わりじゃ。じゃが、人間にはその不利をひっくり返す方法がある」
「――――魔術」
「そうじゃ」
ミオセルタが頷いた。腕組みをした魔術ゴーレムは、近くにあった小さな木箱に座る。
「獣人は魔術を使えん。じゃから、重要になってくるのはどの種族か、ということよの。生まれてきた種族によってある程度の優劣が決まってきおるからの」
身体の大きさ、爪や腕力といった種族的強さ。そういった身体的特徴が顕著に出る獣人は、生まれた時から優劣が決まる。
「人間はそれをひっくり返すからのう。種族で言えば弱い部類じゃ。じゃが、武器を持てば格上をも屠る。その上魔術じゃ。しかも魔術は誰が使えるか外見からはわからないときておる」
たしかに魔術師は身体的な特徴といったものはない。服装などで魔術師っぽい服装などはあるが、魔術を使わなければ魔術師とはわからないのだ。弱いと思って接近を許すと、射程に入った瞬間に魔術でやられる。そういうことも考えられるのか。
「マコト、おぬしもできるかぎり魔術を使うのは控えたほうがいいかもしれんの。魔法陣が出れば魔術師と知れる。そうなればどういう扱いを受けるかは想像できるじゃろう?」
あまり想像したくない事態になるだろう。アルソットは俺達が魔術師と知ってるのだろうか。いや、多分知らないだろうな。
「それ、フェイは……」
「もちろん伝えたわい。聡い娘じゃ、わかっておるとは思うがのう」
ウルススは俺が魔術師だということを知っている。会いに行けば俺が魔術師だとバレるだろう。
それでも。
俺は拳を握りしめると、ミオセルタを残してフェイとマカゲのところへ戻る。船旅はまだ長い。体力は温存しておかなければ。




