第264話「本心」
フェイの小さな身体から、プレッシャーが押し寄せる。
俺はたじろいだ。この段階まで来てもフェイが本当にやる気なのか信じられなかったからだ。
「手合わせって言っても、当たればやばい威力じゃないか……?」
「……いつものマコトなら、十分防げるわよ」
さっきの<火弾>も<火槍>も、普通の性能ではなかった。頭の片隅で防げるかを考えてみる。どう考えても厳しいだろう、これ。
<氷盾>も相性が悪い。熱と勢いで貫通してきそうだ。
じり、と距離を取る。初動が見えれば対応できるはずだ。
「<火炎杭>」
フェイの前方に滲み出すように魔法陣が出現する。四つの魔法陣は一斉に割れ砕け、炎の針を生み出した。大きさは以前の<火炎杭>と変わりない。だが、その数が異常。一つの魔法陣につき三十以上の<火炎杭>が出現していた。目測で合計百二十近い<火炎杭>。数が多すぎて壁のように見える。
威力や速度ではなく、出現数の増加。これもフェザーの天恵による火炎魔術の強化のうちなのか。
フェイの腕の動きに合わせ、針の先端が一斉に俺に向く。ぞわりと背筋が冷たくなる。
「――――<氷盾>!! ……<雷瀑布>ッ!!」
魔術は即座に起動した。<ばけのかわ>による偽装も維持できず、頭の角が出っぱなしになる。ひやりとした外気を角が感じた。フェザーの存在が放射するマナも熱として感じる。
間に合わせの防御に<氷盾>を設置、前方から迫りくる<火炎杭>の群れを雷の奔流が吹き飛ばし押し戻す。威力としては<雷瀑布>の方が上。極太のレーザーのように放出された雷が、通り過ぎた後には少しの<火炎杭>が残るのみ。
「うっ、おおおおぉお!?」
それでも十数発の<火炎杭>がミサイルのように降り注ぐ。数発は<氷盾>で防ぐが、すぐにもたなくなる。俺は慌てて叫びながら飛び退いて避けた。<火炎杭>が炎を吹きあげる轟音が耳を突き刺さる。
一瞬視界を塞いだ炎。灼熱の色が収まった視界に、蛍ほどの小さな光球が見えた。
視界の端に見えるフェイは、魔法陣の起動を示す砕けたマナに囲まれていた。すさまじい量から、中級以上の魔術だとわかる。
光球はすでに迫ってきている。溜め込んだ発条。引き絞った弓。火薬を詰め込んだ樽。
そういった、凝縮された力のイメージをひしひしと感じる。
輝点爆轟。
フェザーの力の強化された中級魔術は、どれほどの威力になるのか。
―――――マジかよ。
時間が凍り付いた。
ただでさえ防御のために魔術を起動した直後だ。なんとか起動できてあと一つ。
<氷盾>じゃ間に合わない。<雷瀑布>を起動するほどのキャパシティはない。
「ふざけんなッ!!」
俺は叫んだ。対象はフェイか、それとも俺自身か。
脳みそが過熱するほど術式を振り絞り、制御する。
「――――<加速>!!」
起動した。
魔法陣が割れると同時に出現するは、通過したものを加速させる光の輪。狙いたがわず、<輝点爆轟>の光球を通過させると即座に加速させる。
<輝点爆轟>は対象に光球が命中するか、術者の任意で猛火の柱が吹き上がる。ならば、命中する前にどこかに飛ばしてしまえばよい。加速してしまえばフェイも目で追えない!
加速しながら<輝点爆轟>が炸裂した。移動する炎の竜巻に見えたのは一瞬。ジェット機のアフターバーナーのように全てが加速方向へと噴出した。
空気が焼ける匂いがする。荒い息の音は、俺自身の息の音か。いつのまにか俺は膝をついていた。
フェイは髪をかき上げる。かざしたその腕にフェザーがとまった。
「……殺す気か、フェイ」
「逆に聞きたいわ。死ぬ気なの?」
「そんなわけないだろ……」
フェイはため息を吐いた。いきなりノーモーションで<火弾>。魔法陣を見て、なんとかヘッドスライディングで避ける。
起きる時間を稼ぐために<氷刃>を起動。フェザーの羽の一振りであっさり落とされた。
「いつもどおりなら、これくらいで苦戦してるわけないわ」
「……あ?」
言いながらフェイは魔法陣を連続して起動した。
<火炎杭>を連続で射出しながら、合間に<火槍>を織り交ぜる。射出位置は高く、俺を頭から押さえるようにぶつけてくる。
「ぐっ……! ぐゥッ!?」
<氷盾>は出すそばから砕かれ、<やみのかいな>の炎の腕で防ぐ。火炎の威力は抑えられている。熱で身体に穴が空くことはないが、爆発するような威力は全力のパンチと遜色ない。火炎が抑えられていると言っても、飛び散る火の粉から察するに、生身なら火傷は負うレベル。
フェイは連続してぶつけてくる。正確な魔術は、俺に逃げる隙すら与えない。
「いつものマコトなら、初手で高速移動。狙いを付けさせることすらしなかったはずよ。アンタ、調子に乗ってない?」
返事などできるわけがない。頭上から殴るような火炎はすでに何発も命中している。今や耐えるくらいしかできない。
「それとも魔術が使えない獣人ならいじめられるってわけ? 知ってるわよ、サウロの護衛をしながら魔術で撃退しまくってることも。殺さないで返すから報復のために毎回人数が増えてるってことも」
<火炎杭>が途切れた。起こそうとした身体の至近距離で二又の火炎槍が爆裂した。爆風に飛ばされて、うめき声すらかき消されて空中へと放り出される。
「うじうじしちゃって、みっともない。怒ってる私もみっともないわ。ミトナ。あの子私達に何か言ってからいなくなった? マコトのところには来た? 来てないでしょ。じゃあ何もわからないじゃないの!」
<炎刃>。魔法陣が割れ、そこから巨大な炎の剣が振り下ろされる。
「言わなくてもわかるだろうがよ! ウルススさんから言われたんだ! 俺と一緒だとまた命の危険があるって!」
叫んだ。叫んだ分だけ力になるというのか、俺の全身から雷が噴出する。<りゅうのいかづち>。さらに無意識レベルで起動した<氷刃・八連>が、がっちりと炎の刃を抑え込んで軌道を逸らす。
地面にめり込んだ炎が、膨大な火の粉を上げながら砕けた。
「へえ、だからどうしようもない分だけ、襲ってくる獣人に合法的にぶつけてるってわけ?」
「どうしろってんだよ!」
「自分で考えなさいよ! ああもう! なんで私もこんな話をしてるわけ!?」
フェザーが鳴いた。天に奏上するような美しい鳴き声。掲げたフェイの手の先に留まると、その全身に力を込め始める。フェザーの背後に魔法陣が浮かび上がる。何の魔術がわからないが、狙いはわかる。爆発を推進力にしてフェザーを撃ち出すつもりだ。
フェイの問いはシンプルだ。
ミトナに会いたいかどうかだ。
――――会いたい。
ウルススの言うことはわかる。だが、諦めるなら本人の口から言ってほしいと思うのは贅沢なのだろうか。
フェイは腑抜けていた俺に喝を入れるために、〝手合わせ”などということを始めたのか。
思わず苦笑が漏れた。俺、どんだけ人に気を遣ってもらってるんだろうか。
それだけの価値が俺にあるのかはわからないが、それに対して恥ずかしくないようには、生きたい。
「マコト! アンタなんて――――」
フェイが叫んだ後半は、魔術の爆発音で掻き消えた。
俺がどうしたいかうんぬんの前に、この一撃を凌がないと命がない。フェイのやつ、ヒートアップしすぎて手加減なんてものが頭からすっぽ抜けてる!
このタイミングだと、避けることができない。当たれば死ぬ。フェザーの身体そのものが、高濃度のマナだ。中級以上の魔術をぶつけられているのと同じことになる。
このまま死んでもいいのか。湧きあがった問いに、即座に「否」と答える自分がいた。ミトナの顔が浮かぶ。考えてみれば、<魂断>を突き刺したのが最後だなんて、別れにしても最悪だ。
やっぱり、ダメだ。
このままじゃ、ダメだ!
フェイの魔術起動直前に<いざなうまなこ>を起動。フェイの射出角度を少しでもずらすように誘導する。相手の動きを誘導するこの<いざなうまなこ>は、メデロンとは条件が違うためか少しの効果しか相手に及ぼせない。
即座に<氷結の魔眼>に切り替えて、フェザーの威力を削ぐ。<氷>中級+<りゅうのおたけび>による<氷結咆哮>で、勢いと威力をさらに削る。
得た微かな時間を、術式の制御と〝転移場所の安全確認”に費やした。
「――――<空間転移>!!」
魔法陣が割れ、ぐにゃりと視界が歪む。
相手の体内に直接転移させようとした時には失敗した。だが、自分の身体のみを、何もないとわかっているところに放り出すくらいなら、できるんじゃないか。
転移に失敗すれば、フェザーを防ぐ手段はない。貫かれて終わりだ。<加速>の時より必死に術式を制御する。
引き延ばされたような一瞬の後、俺の視界は十メートルほどの高さにあった。
――――うまくいった!
眼下をすさまじい勢いでフェザーが通り抜けていく。ほっと安堵したのもつかの間、重力に引かれて俺の身体がどさりと落ちた。
熱い息を長く吐くと、俺はあおむけになった。転移の影響で気持ち悪い。これ、転移酔いってやつか。熱せられた地面が熱いが、動ける気がしない。そうしているといきなり俺のお腹に衝撃が走った。ずどんと重い一撃。
「ぐぇッ!?」
見るとフェイが俺のお腹の上に、背を向けたまま座っていた。思ったより重……、いや、何でもない。
どこかで放りだしてしまったのか、クーちゃんが心配そうに俺の肩をかりかりと引っ掻いている。
風が吹いた。熱気が去っていく。
「もう一度言うけどさ。フェイ、本当に俺を殺す気か」
「……フェザーには私の狙いは伝えてる。命中する直前に威力を無力化することができたわよ」
いや、ほんとかそれ。すっごい勢いで通って行ったぞ。そう思ったが口には出さないことにしておく。
それより、フェイには言っておきたい。固まった俺の気持ちを。
「フェイ、俺――――」
「言わなくていいわよ。行くんでしょ、会いに」
フェイは何故か肩を落とし、深くため息を吐いた。その表情は見えない。
「だからいやだったのよ。なんで私はわざわざ相手に塩を贈ることをするのかしら。でもあのままのマコトなんて正直見てられないし。そもそもあの子が……」
「あ、あの、フェイさん?」
完全に俺を無視してぶつぶつ言い始めたフェイ。一体何を言ってるのかわからない。やがて呟きが止まる。
いきなりフェイはこちらを向いた。その時にはいつものフェイの表情に戻っていた。たぶん。
「二日後に獣王国行きの船が出るわ」
「わかった。ありがとう。行ってくるよ、俺」
口に出して言えば、スッキリした。
今まで抱えていたどろどろしたものが、今は感じられない。フェイには感謝だ。もちろん、ここまで支えてくれていたサウロやルマルにも。
どんなところかわからないが、俺一人なら何とかなるだろう。
俺はフェイを見上げた。にんまりと笑うフェイと目が合う。嫌な予感。
「何言ってるのよ。私も行くわ。一緒に行かないならそれでもいいけど、私は一人でも行くわよ?」
反論しようとした俺は、開けた口をぱくぱくと動かした。動かしただけで声は出なかったが。




