第263話「手合わせ」
「マコト、いるわね。入るわよ!」
フェイがサウロの屋敷を訪ねてきたのは、俺が護衛の仕事に慣れはじめたあたりだった。
俺がいつも寝泊りしている部屋にノックもなしに乱入してきた。ドバーンと開いた扉に驚いて、クーちゃんがベッドの下に隠れる。
何もやましいものを置いているわけではないが、どうしてこうドキドキするのか。俺は引きつった顔のまま、入り口に立つフェイに片手を挙げた。
「よ、よう。久しぶりだな」
「久しぶり……じゃないわよこの馬鹿! あんた、一体何やってるわけ?」
やってくるなり不機嫌な顔のフェイは、俺に向かってびしりと指を突きつけた。
フェイは片目に眼帯をしている。炎の魔人と戦った際に失った方の目だ。だがそれ以外に変わった点は見えない。元気そうな様子を見ても、体調に問題はなさそうだ。
そのことに少し安心する。
「何……ってサウロの護衛やってるんだけど」
「そういうことじゃないわよ! 私が言ってるのは……!」
言いかけたフェイの言葉が途切れた。俺の表情を見たからか。
「マコト……。あんた、知ってるのね。大熊屋――――ミトナのこと」
ため息と一緒に出てきた言葉は、意外にも俺を心配する声になっていた。
フェイは部屋から出ろと手招きすると、俺を無視して先に廊下へと出てしまう。付いて来いということだろう。
おそるおそる顔を出したクーちゃんと顔を見合わせる。
俺は首を捻りながらフェイの後を追いかけることにした。
ベルランテの街には獣人が増えたが、貴族街にはそんな感じが全くしない。なぜなら貴族街では獣人が入ってくることを認めていないからだ。
法的な効力はないが、鍛えられた兵士が貴族街への入り口を固めていれば、わざわざ入りたいと思う獣人はいないだろう。
すっかり顔見知りになった兵士に会釈して、俺とフェイは貴族街を出た。
「最近、冒険者ギルドにも顔を出していないらしいわね。どうしたのよ」
「まあ……。なんとなく、な。気が向かないんだよ。生活するだけの金なら、もう持ってるわけだしな」
「どうかしらね」
フェイは振り向きすらしなかった。俺は口をつぐむ。フェイの言う通りだ。本当は気が向かない理由も自分で分かっている。
ミトナがいないからだ。冒険者ギルドの前で待ち合わせて、いつも依頼をこなしていた。行けば思い出す。だから行かない。
「見に行ったわ大熊屋。閉まってたわね」
「……」
その話題には触れてほしくなくて黙っていたが、俺を無視してフェイは続ける。
おそらく言われるだろう質問に、俺は身を固くした。
「――――マコト、一度手合わせするわよ」
「はァ!?」
「そうね、迷惑が掛からない場所なら、魔術師ギルド跡地がいいわね」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
こんな時に何を。
決まりね、とすたすた歩いていくフェイに何を言っても無視されるばかり。結局、鎮火されて瓦礫の残る魔術師ギルド跡地までたどり着いてしまう。
どこまで行くのかと訝しんだころに、先を行くフェイが振り向いた。いっそ無表情と言っていいほど感情が読み取れない顔。俺は立ち止まった。
ここまで来たということは、フェイはやる気だ。
魔術師ギルドの訓練場でも何度か手合わせしたことがあったが、あの時とは状況が違う。俺は数多くの魔術を覚えている。物によっては城を攻めることすら可能な魔術も保持している。
いまさら手合わせっていうのは、どういうことだ。
「ここなら他を巻き込む心配はないわ」
「……まあ、<雷瀑布>とか、<氷閃刃>とかは周りにも被害出るからな」
「違うわよ」
フェイは俺の言葉をバッサリ切って捨てると、眼帯を解いた。閉じていた目を開く。
眼窩は、何もない空洞が拡がっているか、あまり直視したくない状況になっていると思っていた。だが、俺の予想を外れ、そこにはきれいな眼球が収まっている。
義眼……?
俺がそう感じたのは、その瞳が燃えるような赤色をしていたからだ。普通ではありえないような赤の瞳は、一瞬揺らめいて輝いたように見えた。
ぞわりと総毛立つ。がつりと肩に振動を感じる。クーちゃんが飛びついてきたのだ。
その毛も逆立ち、フェイを見据えている。
「私の魔術が、他を巻き込む心配がないってことよ。来なさい、フェザー」
呼び出す声を受けて、フェイの赤瞳から炎が一筋吹き上がる。花火のように空中で花開いた炎は、やがて一対の翼を形作る。
始原の炎。契約によって形と意味を与えられた使い魔。
「この仔の性能チェックは、一人じゃできないのよね。魔術師ギルドで保有する障害物はみんな炎で燃え尽きるし。ある程度魔術防御が高くて、自衛能力がある人じゃないと」
「……俺かよ」
「ええ。あとは、八つ当たりね」
八つ当たり!?
問いかけようと開いた口の機先を制して、フェイが言う。
「いいの? 準備しなくて。――――行くわよ」
「くッ……! <魔獣化>!」
俺は慌てて<魔獣化>を起動する。一瞬で身体を戦闘状態へと持って行く。アレンジとして腕には<火・中級>を練り込んである。フェイが使うのは炎系の魔術。フェザーという使い魔がいる今も変わりあるまい。ならばここは耐性を考えて影炎の腕で行くべき。
フェイを殴る気はなかったので、霊樹の棒を持ってきていない。そのことをちょっと後悔した。フェイは叩けずとも、フェザーは叩くことができるからだ。
俺が両腕を構えるのと、フェイが一発目の魔術を起動するのは同時。フェイの手の平に魔法陣が出たかと思うと即座に砕け散る。溜め無し、詠唱無しの一撃。赤色のレーザーが俺に食らいつく勢いで宙を走る。
「――――<氷盾ッ!?」
詠唱は最後まで言わせてもらえなかった。なんとか出現した盾ともいえぬ氷の塊が一瞬で砕ける。両腕でガード。丸太に激突されたかのような衝撃。ラーニングはない。熱気と、膨らんだ空気が頬を撫でた。
飛んできたのは熱の塊。
魔法陣の形状から、俺は直観でフェイの魔術を特定した。これ、ただの<火弾>だ。どうりでラーニングもしない。すでにラーニング済みだからだ。
温度が高すぎる上に、射出速度が速いため、レーザーのように変化してしまっている。
「速いけど、軽いわね」
モルモットを見るような目で俺を見ながら、フェイはさらに魔法陣を用意する。四つの魔法陣が同時に出現すると、割れ砕けた中から、炎で出来た二又の槍が浮かび上がる。
「それ、まさかただの<火槍>か?」
「……みたいね。フェザーには火属性魔術を強化する天恵でもあるのかしら」
言い終わると同時に、フェイは指を突き出した。銃口のように俺に狙いを定める。ぎゅる、と空中で回転したかと思うと、炎の二又槍はかなりの速度で射出された。
「お、おおおおおおッ!!?」
回避する。
地面を蹴り、残骸に足を引っ掻けて無理矢理軌道を変え、回避コースを作る。
<浮遊>に<身体能力向上>。<やみのかいな>の膂力が合わさってできる力技だ。
移動の慣性に押された内臓が悲鳴を上げるが、無理矢理抑え込む。
足を滑らせながら動きを止めた俺に、フェイは視線を注いでいた。
「いいわ。――――手加減なしでやれそうね」
ウソだろ。
俺の心の声は、欠片も声に出せなかった。そこにはフェイの不機嫌そうな顔があるのみ。ウソなどない。全力でやる気なのだ。フェイは。
俺は腰を落とすと、いつでも対応できる構えを取った。
 




