第262話「没頭」
あれから何日が過ぎただろうか。ベルランテ執政会議は連日行われている。その行き帰りにも、サウロの護衛にも、なんとなく慣れていく。
ベルランテの夜の街。俺達は帰り路を歩いていた。
俺とサウロ、あとはパルスト教会の武装神官たちが数名だ。武装神官達はサウロのもともとの部下だ。サウロがベルランテに来ることがわかりしだいこちらに移ってきた者達で、サウロの部下らしく、かなり鍛えてある。
まさか俺がパルスト教会に協力する日が来るとは。少し意外だ。何があるかわからんものだ。
俺もサウロもお互い無言のままで歩く。その原因はこの時間までかかったベルランテ執政会議にあった。かなり揉めたのだ。
「獣人と人間の対立……かぁ」
「ええ。やはり表面化してきましたね」
渋い顔をしたサウロが重い声で言った。
聖王国から独立を表明したベルランテは、獣人に対しての制限が大きく緩和されている。その特別需要のため、今のベルランテの獣人人口は増加の一方になっているという話しだった。
獣人が多くなるほど、もともとベルランテに住んでいた人間と諍いが増えているのだ。
「それにしてもあのフェリスっていう猫獣人、ずいぶんつっかかってきてたな」
「そうですね。あれでは言いがかりと言ったほうがいいくらいです」
中でも獣王国の国交管理官は、しきりにベルランテの主導を獣人に任せるべきだと主張をしていた。騒ぎを起こしたメデロン卿やシルメスタ大司祭の名前を挙げて言われれば、こちらも口数が減ってくるというもの。
そんな中でも、特に攻撃の対象にされた騎士団長のバルグムは毛ほども表情を動かさず対応していたのだから、すさまじい胆力と言える。俺ならプレッシャーに押し切られていたかもしれない。
「それに、だいぶフェイのお母さんもまいってたみたいだしな」
「魔術師ギルド長のことですか……」
魔術師ギルドの再建も目途が立っていない。燃えて倒壊した瓦礫を撤去するのに時間が掛かっているのだ。炎の魔人の炎に触れれば呪われる。そんな噂が立ってしまい、撤去にかかる人手がなかなか集まらない。
今は仮の魔術師ギルドを騎士団内に開設している状態だ。ベルランテから少し離れた位置にある騎士団なら、魔術が暴発した際の被害も少なくてすむという理由だからだ。
俺は不意に足を止めた。少し遅れた俺を不思議そうな顔でサウロが見る。
「どうかしましたか?」
「……サウロはこの後は教会か?」
「ええ。一度今日の会議録をまとめておかなければなりませんから」
「ちょっとルマルに頼まれていた買い出しがあるんだ。ここで別れていいか?」
「この時間に開いてるお店が……? いえ、わかりました。お任せします」
「サンキュ。それじゃな」
俺が手をふるとサウロと武装神官達はゆっくりと歩き去っていく。その後ろ姿を見送ると、俺は<浮遊>を起動した。自分の意識を消すくらいの気持ちで、目的地までの距離を測る。
次の瞬間、俺の身体は屋根の上まで跳んでいた。蛇のような動きで屋根上の人影に近付く。
「――――<麻痺>」
魔法陣の光は相手の身体で隠す。悲鳴すら上げさせずに転がったのは縞柄の猫獣人だ。屋根から転げ落ちそうになるのを頭を掴んで止める。
サウロの護衛をするようになってから、<空間把握>や<身体能力向上>は常時起動している。その把握範囲にこいつがひっかかったのだ。
何が起こったのかわからない目が俺を見た。その後ちらりと別の屋根の上に視線が動く。もちろんそっちに隠れていることはわかっている。
「ちょっと来てもらおうか」
俺は猫獣人の首根っこをひっつかむと、そのまま路地へと飛び降りた。<浮遊>の効果を拡張し、掴んだ猫獣人の身体を軽々引きずりながら着地。
大きな声はいらない。奴らの耳の性能なら充分聞こえているはずだ。
「聞こえてるだろう。すぐに出て来い」
ずるりと闇から這い出すように、隠れていた獣人たちが姿を現した。夜に合わせた暗めの装束。手に持つは抜き身の短剣だ。光消しのため黒く塗られた刃は暗殺仕様。サウロを狙う獣人勢力だ。
路地に姿を現したのが七名。物陰に隠れたままなのが二名。屋根上から狙っているのが二名。荒事が得意な狼と猫系の獣人がほとんどだ。
すべて見えている。
「正直、サウロを狙って何の利益があるのか俺にはわからないけどな」
もしかするとサウロを捕らえて何かをするつもりなのかもしれないな、と投げやりに思う。
じり、と獣人達は短剣を構えながら包囲を狭めてくる。俺に向けられた殺気に、肌が粟立つ。気持ち悪さと、怖さ。
相手は本気だ。俺はこの場を切り抜けることだけに集中していく。
それだけを考えればいい。他のことなんて、考える必要がなくなる。
屋根上の二人が動く。手に構えているのはボウガンか。射線上にさっき捕まえた猫獣人を持ってきて盾にする。刺さる鈍い感覚と、血の匂い。くぐもった悲鳴が聞こえた。
「こいつ……!」
「――――<氷刃・八連>」
魔法陣が割れるのと同時、八本の氷剣を射出した。<空間把握>で位置を確認。まずは物陰に隠れている二人に突き刺す。
掴んでいた猫獣人を俺は放りだした。氷剣を周囲に旋回させたまま、俺の方から刺客たちの間に突っ込む。ぎょっとした顔をする刺客。反応の速い順から氷剣を射出して容赦なく刺しておく。
パッと血の花が咲いた。獣人たちが顔をしかめるのが見えた。
俺にとってはそうでもないが、こいつらにとって血臭はかなり刺激の強い匂いなのだろう。動きが鈍くなった獣人たちを、霊樹の棒でなぎ倒す。
普通ならこれだけの数の獣人を、近接格闘だけで翻弄することなどできない。<いざなうまなこ>の力だ。もとは強力な催眠か暗示なのだろう。これにまでに実験してわかった。メデロン卿が使っていたように、強制的に何かをさせるような<誘惑>は俺には使えないが、蛇に睨まれた蛙のごとく、身体の調子を崩してしまう程度はできる。
俺の視線を受けて、獣人が一人小さく悲鳴を上げた。メデロン卿と同じく、さぞや俺の瞳も赤く染まっているだろう。
俺は動き始める。これだけ密集している中に入ってしまうと、屋根上からの狙撃はできまい。動けぬように氷剣をぶちこんでいく。行動を阻害するために、できるだけショートレンジで<雷撃>や<麻痺>も叩き込んでいく。
しばらくすると、路地には倒れ伏す影と、うめき声が充満する事態になっていた。
こいつらのような刺客と対峙するのはすでに三回目。始めこそは緊張し、いっぱいいっぱいだったが、今は違う。
サウロの襲撃に失敗してから、こいつらは懲りずに来る。こいつらが来てくれた時は、他のことを考えてなくて済む。だから、毎日でも来てくれていいくらいだ。
空気に漂い血の匂いをかぎながら、俺はどんよりとそう考えていた。




