第258話「終焉、傷跡」
炎の鷹に見とれていた俺は、ひやりとした感触に視線を動かした。
炎の魔人が立ち直っていた。マナの大部分を失ったことで、逆に安定したのだ。身体を構成する炎はところどころ欠けているが、その全身から放射される敵意は感じられた。
腹のあたりが膨らんだかと思うと、ぶちまけるように炎を噴き出す。
「フェイ!?」
フェイは無事だった。フェザーが羽を広げてフェイの盾となっている。その身に炎を受けているだけでなく、どうやら引き寄せて吸収しているらしい。
「問題ないわ。もうここに残っているのは残り滓でしかないもの」
フェイが手を横に振る。合図を受けたフェザーが炎の魔人の腕を食いちぎる。もうそこには先ほどまでの恐ろしさはない。フェイの思惑が成功した今、それほどまでに炎の魔人は弱っているのだ。
今更ながら俺は慌てて<槍>の起動準備に入る。トドメを刺さないと。
そう思う間に炎の魔人の身体が透け始めた。<透明化>。こちらに勝てないと判断したのだろう。ここから逃げる気だ。マナが薄くなったせいか、<空間知覚>でも見えにくい。
「クソッ! 消える前に……ッ!」
<槍>の紅い水晶刃を投げ放つ。だが炎の魔人が透明になるほうが速かった。刃は虚しく地面に突き刺さるだけ。
俺は目を細めた。迂闊に動けない。このまま逃げ去るのかもしれないし、それともこちらに憑りつく機会を狙っているかもしれない。
「――――そう。できるのね。わかった。吞みなさい」
フェイがフェザーに話しかけていた。限界が近いのか、フェイの声は色を失っていた。
かすれるようなその言葉に応えるようにフェザーが羽を広げる。その身が輝いたかと思うと、家屋を焼いていた炎を吸い込んで吞んでいく。まるで息を吸う様に炎を吸い込んだフェザーは、鳴き声と共に魔法陣を生んだ。割れると同時に赤い光の衝撃波を放射した。
<体得! 魔法「炙出」をラーニングしました>
まさか!
俺は愕然とした。
契約しても魔物なのは変わらない。フェザーは始原の炎のままのはずだ。
「なるほどね……。<探知>の強化版といったところね」
目を見張る俺の背後をフェイが指さした。火の粉のような燐光がぱっと吹き上がる。<炙出>の衝撃波を受けた結果らしい。俺の背後に回り込もうとしていた炎の魔人が姿を現す。
「<雷瀑布>!!」
魔法陣が割れる。<氷刃>は選択しなかった。炎の身体とは相性が悪い。
咄嗟に放った雷の奔流が炎の魔人の身体を削る。
そこに<槍>を放った。
どすりと、思った以上に重い音を立てて、<槍>が突き刺さる。炎の魔人は赤い刃を抜こうとするが、触れる端から炎の手がぼろぼろと崩れていく。
音の無い絶叫が聞こえた。
霊魂系魔物にとって、マナの経路を断たれるということは、死につながるのだろう。内部のレブナントが這い出ることもなく、嫌な色の煙をあげて消えて行った。
「終わった……のか?」
静まりかえった魔術師ギルド敷地には、もう何の気配も感じない。確認のための俺の呟きにも、返事はなかった。
終わったのだ。
不意にフェザーの姿が薄くなった。フェイがその場に座り込むと、横倒しに倒れていく。
「フェイ!!」
慌てて駆け寄るとその身体を抱き上げた。その身体がものすごく軽いことにぞっとする。中に入っているものが抜け出たかの様だ。
かろうじて息があるのはわかる。
「<契約>は心身ともに疲労するからのう。マナの枯渇じゃろうよ」
ゴーレムが近寄ってくると、ミオセルタがゆっくりと言った。核のままで懐からぶら下がっていた時は一心同体にも感じたが、ゴーレムの身体を得た今は別個の生き物のように感じる。
「休息すればマナは回復するじゃろうよ」
「……ギルドにいた人たちは、どうなったと思う?」
「まあ、生きてはおらんじゃろうな」
「せめて、遺体だけでも……」
俺はフェイは横たえると立ち上がろうとした。だが、その足に力が入らない。
「わかっておるのじゃろう? 遺体が残っておれば幸運じゃ」
ミオセルタの気の毒そうな声に、足から力が抜けた。
ペタリと腰を落として座ってしまう。
<空間把握>では人型の物体はスキャンできなかった。つながっているミオセルタは何かを感じ取ったらしい。レブナントが何をしたのかわからないが、もう何も残ってはいまい。
家がくすぶる匂いがぷんと鼻についた。俺は疲労感に、ぐったりと頭を垂れた。
最悪の事態はなんとかなった。ちょっと、疲れた……。
どこからか虫の音が聞こえてきた虫の音を聞きながら、俺は少しの間休息を取ることにした。
貴族街は蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。
原因は火事だ。住宅街で起きた火事は隣家へと燃え移り、かなりの火勢を以て夜空を焼いていた。
「おい、火元はどこだ!」
「メデロン卿の屋敷らしいぞ!」
「延焼を防げ! 市庁舎に連絡!!」
様々な怒号が飛び交い。被害の拡大を防ぐために奔走する。ようやく火が消し止められたころには、みな顔が煤で黒くなっていたほどだ。その誰もがぐったりと疲れていた。
貴族街に住む貴族は、そう簡単に避難しなかったのが原因だ。家財やプライドを守るために無茶なことを言っていたのだ。
「おさまりましたね……」
「ルマルさん」
ルマルもまた疲れた顔で焼け跡を眺めていた。コクヨウを護衛に残し、ハクエイは騎士団長であるバルグムのもとへと向かわせていた。マコトの様子が気になり、戻って来た時にはすでに火が回り始めていたという次第だ。
近隣の住民と、市庁舎からの消防隊と協力して火は消し止めることができた。
だが、マコトがどうなったかはわからないのだ。焼け跡からは死体も見つかっていない。
「そう簡単に死ぬ人とは思えないのですがね……」
「ルマル様。どうやらスラム街と開発中の獣人街では動死体が出たようです。サウロ様とヴェルスナー様で解決されたとのこと。ですが、レブナントはいなかったようです」
「……マコトさんがいないのなら、レブナントを追いかけていったと考えるべきでしょう」
もう少し詳しい情報が集まるかもしれないと、ルマルとコクヨウは市庁舎まで移動した。火災の後始末のためか、夜なのに灯りが煌々と焚かれ、みなせわしく動いている。
ハクエイが戻って来た。情報収集能力に優れているハクエイは、バルグムに警告を伝えると共に、街中から様々な情報を拾っていた。
「バルグム様は無事でした。ご家族も健在です」
「それはよかった」
「ただ、街中だけでなく、ベルランテ市外でも火の手が上がるのを見たという噂も」
ルマルは一瞬考え込んだ。ベルランテの外には、シルメスタが狙うような重要な施設はないはずだ。
「それと、メデロン卿が死体で発見されました」
「……マコトさんがやったんですね」
「それが、発見されたのは獣人街の近くだそうです。武器による傷はなかったのですが、呪いを受けたのか全身が腐っている状態で発見されたそうです」
ルマルは気配を感じて顔を上げた。見れば遠くをベルランテの執政者たちが歩いていくところだ。どうやらハクエイはバルグムについてここまで戻って来たらしい。
夜中だが、シルメスタとメデロンのことが伝われば執政会議はすぐに動かなければならないだろう。ルマルは気にしていない風をよそおいながら、漏れ聞こえる声に耳をすませる。
「しかし……。厄介なものだな」
「逆にチャンスかもしれない。メデロン卿とシルメスタ大司祭の代わりになる者次第だな」
「すぐにそんな人物を選定できるかね? まあ、やるしかないのだが」
「ところでフェリス外交官、その眼帯はどうしたね」
「少しばかり騒動で怪我をしたのですよ。深手ではありません。まあ、〝ボク”のことは気にせず。大事なのは、ベルランテの未来のことですからね」
フェリス外交官の猫頭には眼帯があてられていた。眼帯のある左目を軽く押さえると、フェリスはにこりと笑った。
一瞬執政者たちが首をかしげた。不思議そうにしたまま、会議室へと入っていく。
「あれは……」
ルマルは思わず会議室へ消えていく背中を見送った。マコトもいなければ、ミオセルタの核もない。ルマルは情報屋の顔を思い浮かべながら市庁舎を後にすることにした。




