第254話「イフリート」
<浮遊>で重量を軽減した身体は、地面を一蹴りするだけでやすやすと屋根上まで昇ることができる。メデロン邸から離れ、俺は眼下に広がる風景に<空間知覚>の眼を向けた。
ベルランテの夜は明るい。街路には魔術による灯りが灯され、食べ物を供する酒場や料理屋は仕事終わりの者達を迎え入れるために明かりを増やす。
灯りがたゆたう様子を眺めるだけで、喧騒が再現できそうな風景。いつもなら安心して見るこの風景を、これほどまで怖いと思ったことはなかった。
<空間知覚>の視界には、マナ保有量が多い人物が輝いて見える。範囲内であればはっきりと捉えることができるが、遠距離だと、どこにいるか見えるくらいでしかない。街の何か所かに強いマナの光を感じる。そのどれかを狙う確率が高いだろう。
サウロやルマルの忠告が間に合えば、対策をしてくれていると思うが。
目をこらし、<空間知覚>の感覚を研ぎ澄ますが、すでにサウロもルマルも捉えることができない。フェイの居場所もわからない。
「フェイは……ミトナのところか?」
最後にミトナを託したのを思い出した。
大熊屋だ。
ミトナの安全を確かめることも考え、俺はそこに向かうことにした。
円形広場を横目に路地に入る。一瞬見えた冒険者ギルドの看板に、駆け込みたい衝動に駆られる。多少名が売れてきたといっても、街中にレブナントが入り込んだなどという話、信じてもらえるかどうか怪しい。何しろ証拠がないのだ。さらには魔物だったとはいえ、メデロン卿を殺してしまっている。そのことを言うのも憚られた。
俺は気持ちを切り替えるふりをして、その問題を無視した。まずはミトナだ。
大熊屋は静まり返っていた。いつもならこのくらいの時間でも開いているはず。若干冷や汗をかきながら店の扉を押し開けた。鍵はかかっていない。
暗い店内には、ウルススさん一人が座っていた。<空間知覚>で、二階で寝ているミトナを捉えた。フェイはいないみたいだが、きちんと大熊屋まで届けてくれたらしい。
クーちゃんがひくひくと鼻を動かす。匂いを嗅いでいる。どうやら不審な気配はないらしい。
ここにはレブナントは来ていない。
「……ボウズ、その姿」
「ウルススさん、フェイはどこへ!?」
フェイはここにいない。メデロン邸にも来なかったとなると、サウロやルマルとも合流していない。
となると、一度態勢を立て直すために自宅に戻ったか、同じ魔術師のよしみで騎士団へ向かったか。
――――待てよ。
何かを忘れている。
「おい、ボウズ」
マナ保有量が多い人物は、たいていが魔術的な攻撃手段を持っている。これだけ経験を積んだレブナントなら、できれば接近したくないはずだ。探知手段や、冷気を使った対抗手段もある。
だが、ベルランテ近辺でものすごい量のマナを持ち、かつ身動きできない奴がいる。
俺はばっと顔を上げると、ウルススさんの顔も見ずに駆け出す。扉を開けるのももどかしく、開いた隙間から身体をねじ込むようにして外へ。
ウルススさんが何かを言ったような気もしたが、かまっている余裕はなかった。
屋根上に跳びあがりながら、懐のマルフ笛を吹く。マルフやアルラフにしか聞こえない特殊音域の笛の音が夜のベルランテに響き渡った。
アルドラは賢い。近くまでくれば俺の意図をわかってくれるはずだ。
俺はそのまま南門を目指す。南門を越えたところに、アルドラが待っていた。さすが。
そのまま鞍上に着地すると、ちらりとアルドラが俺に視線を寄越すのを感じる。
「アルドラ、魔術師ギルド……。いや、フェイの家だ!」
――――始原の炎だ。
フェイが憑りつかれ、空転させることで無力化している魔物。今のアレは、ただのマナの塊だ。そこにレブナントが憑依したなら……。
(御意……!)
アルドラが地を蹴る。ぐん、と加速する。屋根上を行くのが速いのは、住宅が密集している街中だからだ。ひらけている外に出た時、アルドラの速度はかなり助かる。
できるかぎり身を伏せて、アルドラと一体になる。アルドラの動きを読み、筋肉の流れを感じ、アルドラの邪魔にならないようにしていく。
まるで一匹の白妖犬に。揺れる視線、全身で伝わる拍動。まるで自分が魔物になったかのような感覚に、全身が熱くなる。
いつもを上回る速度を叩きだしたアルドラが、魔術師ギルドの敷地へと駆けこんでいく。
ベルランテと違って街灯がないため、いやに暗い。夜に来た事がないからわからないが、誰もいないことがおかしいのかどうか、いまいちわからない。
「見えた……ッ!」
フェイの家が見えた。アルドラが速度を緩める。
突如、フェイの家が爆発を起こした。
「うオ――――ッ!?」
咄嗟にアルドラが制動をかける。爆風が押し寄せ、こちらの身体を浮かす。もろに瓦礫と爆風を浴びたアルドラが、苦悶の声をあげた。
振り落とされる。地面を何回か転がされて、息が詰まる。
「クソっ!? 何が……!」
俺は無理矢理起き上がった。
耳がやられている。自分がしゃべった声もいまいち聞き取りづらい。しかめっ面のまま、視線を動かせば、燃え盛るフェイの家と、横倒しに倒れたアルドラが見えた。
「アルドラ!!」
(不覚……!)
「盾になってくれたのか……」
アルドラの身体には、飛んできた瓦礫がいくつか刺さっていた。大きな物は手で抜くと、血が溢れる。すぐに<治癒の秘跡>で回復させておく。
「燃えてる……ってことは、やっぱ何かあったってことだよな」
ぐぼん、とくぐもった音が聞こえた。音が聞こえたのはいまだ俺は燃え盛る建物からだ。
炎にまみれた外壁が内側から膨れ上がると、中から人が一人入れそうなほど巨大な球体が飛び出してきた。ずどんと地面に着地すると、何回か転がる。
俺が身構えて見つめる中、球体が溶けるように消えた。中から出てきたのは少し煤けてはいるものの、十分元気なフェイだった。思わず力が抜ける。
「くっ……! 何が……、ってマコト!? どうしてここに!」
「いや、こっちのセリフだろそれ。何があったんだよ」
「レブナントが元始の炎に憑依したんじゃよ」
そして状況は最悪の予想通りだったようだ。
答えたのはミオセルタ。なぜかフェイの手元から声が聞こえた。俺ははっとして懐を探るが、そこにミオセルタの核はない。いつのまにか落としていたらしい。さっきフェイを包んでいた球体も、おそらくミオセルタが起動した防御魔術だ。
「それって、どうなるんだ……?」
<輝点爆轟>にも匹敵する炎柱が吹き上がった。花弁が開くようにフェイの家の壁が四方に倒れていく。 まるでそこから生まれたかのように、人型の炎が存在していた。身長二メートルほどの男の形だ。
珍しい物を見るかのように、自分の両手をじっと見つめて動かない。
炎の魔人。思わずその名前が脳裏に浮かぶ。
今更ながら、吹き付ける熱気が頬をあぶるのを感じた。原始の炎に内包されていたマナが、あの人型に凝縮されているのだ。
俺とフェイは、炎の魔人から目を離せなくなっていた。固い表情のフェイは、ぐっとショートワンドを握りしめた。
「あいつが街へ行ったらおしまいだわ……。ここで、何とかしないと……!」




