第251話「メデロンの待ち人」
メデロンが目を細めた。ただ見られただけなのに、俺の背中が粟立つ。
俺の感覚じゃない。クーちゃんの感覚か。クーちゃんは肩の上に伏せるようにしてべったりとくっついている。いつもは離れて隠遁するクーちゃんがここにいるということは、安全地帯は無いということか。
周りを警戒して見渡すが何も変わった様子はない。<空間把握>にも変な反応はない。目の前のメデロンだけだ。
魔術が止められた光景がフラッシュバックする。攻撃に転用される前に、届かせるしかない。
「<氷刃・八剣>!!」
魔術が起動する。
俺が放った氷の剣は、ことごとく空中で反応を失う。メデロンの近くまでは飛ぶ。だが、刺さらない。まるで見えない蜘蛛の糸に搦め取られたかのごとく、その推力を失う。
「<雷瀑布>!!」
魔術が起動する。
斜め上空から撃ち出した雷の奔流は、メデロンに命中する前に不自然な軌道を描いた。先頭の雷が止まったから、しょうがなく脇に流れたように見えた。
なんだ、これ――――!?
攻めているはずのこっちが、焦っている。メデロンが何かをしているのはわかるが、具体的に何をされているのかがさっぱりわからない。
嫌な汗が背中を流れた。
「何度撃っても無駄だと学習しないのかい?」
開かれたメデロンの口から、場違いなほど落ち着いた声が流れる。
その余裕がむかつく。俺はさらに魔術を起動。<火球>を生み出すが、メデロンの前でやはり停止。じゅっと音を立てて消滅した。
ここまでくると、怒りで突っ込んだ頭も冷めてくる。魔術の起動自体はできる。だが、メデロンの前で何かに阻まれる。
まさか……。
俺は自分の考えを確かめるために、再びマナを練る。
「――――<氷閃刃>ッ!!」
魔法陣が割れた。即座に顕現した氷剣が、すさまじい出力を得て射出される。窓ガラスが一斉に砕けた。剣の切っ先が衝撃波を生み、目で捉えるのが困難な速度に達する。
だが、その<氷閃刃>すらもメデロンの目の前で静止する。俺は思わず舌打ちした。
だが見えた。
視線だ。それも<力ある視線>だ。メデロンは俺が起動する魔術を必ず視界に収めている。
<氷結の魔眼>のような特殊能力がメデロンにもある。
だが、どうしてメデロンは俺に直接<停止の魔眼>を使わない。使ってくればラーニングでこっちがメデロンの動きを止められるのに。
俺は魔術を放つのをやめた。メデロンの<停止の魔眼>をラーニングして、相手の動きを止めた方が確実だ。体が動かなくても、魔術は起動できる。お互い足止め状態なら俺の方が有利だ。
ぱらぱらと埃や何かの欠片が舞う中でメデロンを睨みつける。その顔を見ているだけで、ふつふつと怒りが湧いて来る。
来い……。
使って来い!!
「君は……。他の人間とは違うようだね」
メデロンがぽつりと漏らす。
どきりとするが、極力顔には出さないようにした。メデロンは何かを待つように俺を見ている。
逆か。逆なのか。メデロンの方が何かを待っているのか?
「ボクはね、生き物が好きなんだ。どんな生き物でも、美しく、素晴らしい」
「……は?」
「だが、人間はダメだ。美しくない――――生きる価値がない」
メデロンは椅子から立ち上がる。俺は思わず一歩下がった。謎の圧力が吹きつける。魔術でも視線でもなんでもない。本能的な恐怖。それは魔物の価値感か。
俺はメデロンの私室を思い出す。あの部屋には、確かに生き物に関わる物品が多くあった。〝蒐集家”の二つ名はスラムでもちらりと聞いたことがある。
そのメデロンの両目が光を放つ。禍々しい赤の光。クーちゃんの毛皮が逆立つ。
「君は、神話の魔物を知っているかい。神を殺す神話の魔物だ。相手を喰らった分だけ大きくなる獣。果ては世界よりも大きくなって、神を吞み込んだと言われている」
「…………」
「似てると思わないかい?」
確かに似ている。
穢れの死魂だ。
人や魔物に憑りつくことで、技術を得る。憑依回数が多いほど、ランクの高いレブナントになり、強化されていく。
シルメスタの話が本当なら、素体さえ適合すれば神の領域に足を突っ込めるという。
だが、俺が感じたのはそれだけじゃない。
もう一つ似ているものがある。
――――ラーニングだ。
相手を食べるわけじゃないが、俺もまたこの身に受けることで様々な技術を得ることができる。これも、同じじゃないか。
わざわざこの話をしたということは、ラーニングできるということに気付かれているということじゃないか。こいつ、クーちゃんのことを知ってるのか!?
「<氷刃・八剣>!!」
再び俺は氷の剣を生み出した。今度は正面から三本、迂回して視界の外から穿つように操作する。
メデロンが初めて動いた。正面からの氷剣は止め、背後からの氷剣は少し動いただけで避ける。標的を失った氷剣が椅子を貫いた。
〝魔法”の一種。魔術でもなんでも、運動エネルギーをゼロにして静止させる眼。俺の脳内をある単語がかすっていく。全ての動きを止める眼――――石化の魔眼、だ。
<石化の魔眼>を俺に直接ぶつけてこないのは、ラーニングされるのを怖れているのだろうか。石化ができるなら、解除もできるはず。それをラーニングされては困るというわけか。
俺が放った魔術の余波で、床や壁は悲惨な状況になっていた。だが、メデロンは無傷のままだ。メデロンに手を打たれる前に、叩き潰す。
「おおおッ!!」
俺はメデロンに飛びかかる。魔術が当たらないなら直接打撃で攻撃するだけだ。
走った勢いをそのまま叩きつけるように霊樹の棒を振り回す。尻尾で足首を掴んで体勢を崩し、肩口に叩き込んだ。
硬ッ!?
大岩や大木を殴ったような感触に手が痺れる。霊樹の棒を取り落とすことはなんとか防いだが、殴ってなんとかなるような相手でもない。
ふつふつと怒りが再燃する。
「<魂断>!!」
複合魔法陣が砕ける。舞い散る吹雪のようなマナの中、輝く刃が生み出される。
<魂断>、<浄化>、<氷刃>を備えた赤水晶の槍。それを見て初めてメデロンの表情が変わった。
聖剣の能力。これなら、効くか!?
踏み込む。強化された身体能力は十メートル程度の距離など一瞬で詰める。メデロンの顔面めがけて真っ直ぐに突きこんだ。棒術の打突と手順はそう変わらない。弾丸のように宙を飛ぶ切っ先。
メデロンが綺麗に回避した。
「――――ぐげッ!?」
衝撃。視界が流れていく。見えたのは右足だけ。気付けば腹に重しを吞み込んだような痛み。身体が床でバウンドしながら転がった。
「ぐ……ほッ! くそっ……!」
<治癒の秘跡>を起動しながら、床に手をついて立ち上がる。まだ足は震えるが、ゆっくりとメデロンが歩いてきているのがわかる。
つま先が突き刺さるようにしてメデロンの蹴りが入ったのはわかった。その後はコンビネーションの左の回し蹴りだ。あの野郎、戦えないわけじゃないのかよ。
「長い間存在していれば、人間の技の一つも身に付くというものだ。人間は醜い。自分たちを狩る技術を、自分たちで拓いてしまうほどに」
槍を手放さなかったのは運がいい。それにさっきの蹴り。メデロンが戦えると言っても、ミトナやマカゲほどじゃない。一太刀入ればこっちのもんだ。
ぎり、と強く柄を握る。
「魔物を殺すのは忍びないが、君は宿主には向いていない。神に至る刃にはなれない。ここで死にたまえ。還してもらおう、我らが同胞を」
メデロンから殺気が膨れ上がった。クーちゃんと繋がっていても、肉体の主導権は〝俺”にある。だからクーちゃんごと俺を殺る気か、こいつ!
メデロンの繰り出す拳や蹴りを避けながら、槍での攻撃を繰り出す。拳はココット以上の威力を秘めているらしく、柄で受ければミシミシと嫌な音が立つくらいだ。
不意を突くように<氷刃>を生成してぶち込んでみるが、やはりそれは止められる。
これだけ近距離で<停止の魔眼>を使われればラーニングしそうなもんだがな!
お互いに決定打が繰り出せない。<停止の魔眼>が俺に使えない以上、メデロンも持ち前の身体能力だけで俺を退けなければならないのだ。
槍を振り回すが、捌かれ、回避される。
――――そもそも、何でコイツは待ってたんだ?
身体を動かしながら、隙間に挟まるように疑問が頭をもたげる。深く考えられない頭に、イメージだけが通り過ぎて行く。
レブナントを進化させる。憑依で乗り換える。宿主。俺か、サウロか、ルマルを待っていた……。
ふと、気付く。
<透明>を獲得したレブナントは、どこにいった――――?
その時、俺は<空間把握>の感知範囲内に誰かが入ってくるのを捉えた。




