第249話「黒幕」
「ぐッ!? ぐぅうう!?」
ミトナのうめき声。寒気をこらえるように自らの身体を抱きしめている。その動きには理性が見える。
まだ、乗っ取られていない!
マナの燐光が視界をかすめる。間一髪のタイミングで床に落ちたミオセルタから魔術を起動していた。
「<魂魄保持>じゃ! じゃが調整も設備もない状態じゃからの! 侵食からの保護しかできとらん」
ミオセルタの声。戸惑ったのは俺だけでなく、レブナントもそうらしい。いつもなら憑依して体内に潜り込むはずが、背中から生えるようにしてその気持ち悪い身体を見せている。
ミオセルタの<魂魄保持>がどこまでミトナの魂を保護し続ける保証もない。効果時間が切れたら終わる可能性もある。
どっと嫌な汗が全身から噴き出した。ぐだぐだ迷っている時間は無い。
「――――<浄化>!!!」
俺のかざした両手から、真っ白な波動が放出される。サウロが目を見開いたが気にしている場合じゃない。本体が露出しているなら叩くのみだ!
だが、ミトナは手に持つ〝ハクリ”を振り回すと、的確に浄化の波動を捉える。俺が放った<浄化>は分解され、効果を失った。
「ミトナッ!? 何してるのよ!」
「ん…………ッ! 身体が……!」
「魂は侵食できずとも、身体の操作を支配されておる!」
まるで人形繰りのようなぎこちない動き。意思と身体がバラバラだ。
突き飛ばされたココットが体勢を立て直した。拳を構えるものの、身体はミトナなので思うように手が出ない。
「ちッ! どうしてアタシなんかかばうんだよ!!」
ココットの叫び。
声に込められたイラつきは、むしろ自分に向けられているのだろう。
「ん……。ココットが捕まったら……。大変なことになる予感がして……」
「だからって……!」
「――――ココットさん、ミトナさんの動きを止めて下さい。遠距離攻撃を無効化するなら、直接浄滅させます!」
喋っている時間があるわけじゃない。サウロが前に出る。右腕の<聖刻>を構えた。ココットは素早く指示に従った。わざと打ち合うような軽い攻撃を繰り出し、ミトナを操るレブナントにわざと相手をさせる。
サウロが低く跳躍すると、下から打ち上げるような軌道でレブナントを狙う。当たればレブナントごとき一撃で滅する聖なる打撃だ。
「あッ……!? ぐゥ……」
レブナントの目が見開かれ、ミトナの魂をこじ開けようとする。ミトナがさらに呻き、唐突に声が途切れた。その表情が無になる。
とたんに一気に動きがなめらかになった。ココットの拳を捌き、がら空きの脇腹に痛烈な蹴り。正面から飛び込む形になったサウロに対しては、〝ハクリ”で<聖刻>を分解した上で、右手に持ったバトルハンマーを片手一本で打撃。サウロが噛ませた盾を軽々と打ち砕く。
勢いで一回転したミトナが、見慣れた構えを取る。右手にバトルハンマー、左手に〝ハクリ”を装備した出で立ちには隙が無い。
レブナントはその身体のもつ技術を写し取る。魔術、体術問わず。経験によって磨かれるものもだ。ミトナの持つ類いまれな戦闘に関する才能が、俺達に向けられていた。
「マコト! 何とかしないと……! 私の魔術じゃミトナの身体を傷つけてしまうわ!」
「<魂魄保持>はしばらくは機能するじゃろ。憑依されて身体が変質してしまえばおしまいじゃ! その前にレブナントを切り離すんじゃ!」
「クソッ! なんでこんなに……強いんだよッ!!」
「くっ! ミトナさん! 聞こえますか!! 気をしっかり持ってください!!」
フェイとミオセルタが何事かを叫ぶ。ココットとサウロが挑みかかるが、ミトナはそれをいなす。ココットもサウロも近接戦闘を主とする武装神官だ。それを寄せ付けもしない。
レブナントはおかまいなしだが、ココットとサウロは若干動きが鈍い。だが、諦めない。レブナントも必死だ。なんとか逃げようとミトナの身体を動かす。
そんな中、俺は動けないでいた。
身体の中が焼かれている。心臓の裏を直火で炙るような、この情動は、怒りだ。
どうしてミトナが身代わりになるなんて考えなくちゃならない。
どうしてココットやサウロが、ミトナに攻撃されなくちゃいけない。
どうしてシルメスタのバカは、こんなになるまで自分で自分を止められない。
どうして俺は――――もっとうまくやれないのか。
肩に爪が食い込む感触がした。視界の端で、クーちゃんの目が爛々と光っているのがわかった。
全身に力がみなぎる。両腕を形作る影の炎が、服を越えて染み出してきている。この腕なら、直接つかんで引きずり出すこともできる。
今の俺の目には、マナの繋がりも見えていた。レブナントから伸びる、操り糸のようなものが、ミトナの手や足をはじめ、全身にまとわりついている。
――――まずはあれを切らないとな。
「――――<魂断>」
魔法陣が割れ、霊樹の棒の先に刃が形成される。魔物が見る純粋マナのような赤色は、不安を掻き立てるような色だ。まるで神話の槍のような姿にフェイが息を吞んだ。
「マコト……、あんた、それ……!」
一歩踏み出した。
レブナントの制御化に置かれているミトナは無表情。だが、その上に露出しているレブナントはすさまじい表情になった。俺とクーちゃんを視界に捉え、目を剥いた。恐怖と絶望が直接伝わってくるかのようだ。
バトルハンマーをかなぐりすて、両手で〝ハクリ”を保持する。こちらの<魂断>を分解するつもりなのだろう。
だが、それは甘い。
ミトナの戦闘能力をもっているなら、俺を即座に叩くべきだった。
「――――――っ!!」
<氷結の魔眼>と<きよきみず>を同時に起動、ミトナの靴を氷が覆い、その動きを封じる。一瞬動きが鈍った瞬間をねらって<りゅうのおたけび>+<フレキシブルプリズム>。レブナント本体を狙った集束タイプの咆哮。
あわててレブナントが〝ハクリ”を振り回すも、分解しきれなかった<りゅうのおたけび>が本体を打ち据える。
その隙に距離を詰める。接近した俺に向かって〝ハクリ”を振り回すが、足を止められては思うように振り回せないらしい。俺でも充分避けられる。
<魂断>の槍、その石突きで〝ハクリ”を弾き飛ばし。時間差で起動したミトナの<くまの掌>を刃で切り裂いた。
レブナントの操り糸を切り裂く。
奴にとっては手足だろう。切られるたびに悲鳴が垂れ流される。鬱陶しい。
触手の何本かはミトナの魂を狙ってか、身体の奥深くにまで侵入していた。切り離すには、刃をミトナに撃ち込まなくてはならない。
「悪い」
ぐっと押し込んだ。実体のない刃が、するりとミトナに突き立つ。
怒り、後悔、うずまくもので頭が真っ白になる。鳥肌が立つ身体を無視して、切り離した。
レブナントが離脱した。手足のいくつかを失い、よろよろと離れていく。
「逃がすかよ!!」
<魂断>にレブナント本体を滅する効果があるかわからない。だから<魂断>、<浄化>、<氷刃>で複合魔法陣を描く。マナ切断、魂魄系魔物特攻、物理攻撃の三段を揃えた。鋭く美しい赤い水晶刃の槍を、思いっきり投げた。
槍は狙いたがわずレブナントに突き刺さると、一瞬で浄化した。汚泥のようなものになりはて、ずぶずぶといやな煙を立てて消えていく。
レブナントが離れたミトナから力がぬける。
俺は崩れ落ちる身体を慌てて抱き留めた。マナ経路を切られれば、全身に不調をきたす。この一瞬でどれほどの体力を使ったのか、目の下にくまができたミトナが腕の中で微笑む。
「さすが、マコトくん」
「無茶しすぎだろ。怒ってるからな、俺は」
「ん。ちょっと疲れたから……。よろしくね……」
言って安心したように目を閉じるミトナ。思わず息を確かめるが、思ったよりしっかりしていた。どっと精神的な疲れが押し寄せる。よかった。無事だった。
「……なぜだ……どうして」
見ればよろよろと満身創痍のシルメスタが身体を起こしていた。乱れた髪、落ちくぼんだ目、疲れた表情はまるで別人のようになっている。
「必ずうまくいくはずだった……。私の計画が……」
「シルメスタ大司祭。続きは中央の査問会にてお聞きしましょう。ここまでやっては取り返しはつかないと思いますが……」
「なぜだ……」
サウロの言葉も、シルメスタは聞いていないようだった。まるで薬が抜けた中毒者のようにふらふらとしながら立ち上がる。ココットが身構え、サウロが手を伸ばす。
「そうだ……。メデロン卿に……。あの方から新しいレブナントをもらえば……」
「っ!? ちょっと待ちなさい! あのレブナントは教会が持ってたものではないのですか!?」
「そうだ……。いくつかは教会保持だが、ランクの高いレブナントはすべて、メデロン卿が私の境遇を重く見ていただき、救済として授けて頂いたものだ」
ひきつった顔のサウロに、シルメスタは肩を落としながら答える。
俺は再び胃が燃え上がるのを感じていた。
ベルランテ執政会議でのメデロンの態度。あの結果を気にしていない謎の動き。レブナントを渡していたという事実で繋がった。
どういう理由かしらないが、メデロンはレブナントが街中に放たれるのを望んでいたのだ。
貴族の遊びか。気まぐれか。あの趣味の悪い屋敷と、メデロンの顔が浮かんだ。
――――奴が、黒幕か。
「フェイ……。ミトナを頼む」
「え、ちょっ! マコト!? 待ちなさいよ!!」
ミトナの身体をフェイに預けると、俺は階段を駆け上がる。外に出ると、魔術で生み出した氷の足場を蹴り、一気に空中に躍り上がる。
メデロン邸へ向かって、薄暗くなり始めたベルランテの空を俺は跳んだ。




