第244話「レブナントドーシュ」
「ふ、封印の鎖がッ!?」
神官たちは狼狽えていた。ドーシュ卿を縛っていた鎖は、簡単なことでは壊れないはずだったのだろう。焦りと恐怖がにじみ出ている声が俺のもとまで届く。
――――暴走状態。
「セプテロ様! どうすれば……!」
「これだから封印官どもは気に食わんのだ」
リーダー格のセプテロは吐き捨てるように言う。見渡しても、俺の<空間把握>でも封印官らしき影はない。儀式の手順だけ知らされていたか、封印の魔道具か。
だが、封印官の名前が出るということはこれは穢れの死魂なのか?
さしずめ、レブナントによって無理矢理変貌させられたレブナントドーシュといったところか。
その間にも近くにいた神官が殴られていた。奴らにとって敵であるはずの俺とミトナを狙うでもない。手あたり次第だ。鍛えているだけあって死ぬことはないが、骨が折れたのが一発でわかる威力。身につけている神官鎧がへこみ、血を吐いたのが見える。
すぐさま仲間が<治癒の秘跡>を掛けるのが見えた。
そうだよ。こいつら、回復魔術持ってるんだよな。
手加減は、いらないよな?
「この程度で狼狽えるな!! 我らはシルメスタ大司祭様に見込まれたエリートだ! 予定通りにいく!」
セプテロの叱咤の声が響いた。条件反射で神官たちが落ち着いたのがわかる。
暴れるドーシュ卿を中心とした輪が、一歩分拡がる。倒そうという動きじゃない。これは。
「再生者! 貴様は最後だ!」
「その呼び名をするんじゃねぇよ」
心底嫌そうな顔で、一歩前に出るココット。レブナントドーシュの目がギラリと光り、ココットに向かっていく。
その後ろでは、神官たちが撤退の準備をしていた。予想通りだ。俺達、特にサウロにぶつけるつもりなら、残る必要がないからな。
「――――大氷刃!!」
魔法陣が砕け、マナの粒子となって世界に散る。
術式はすでに練ってある。起動までのラグはない。一瞬で展開した三つの魔法陣から、とっておきの大氷刃が射出される。
部屋中に氷結の嵐が吹き荒れ、一瞬視界が真っ白に染まるほどの冷気。
「なッ!? んナっ!?」
セプテロの情けない声に、俺はニヤリとした。
視界が戻るまでは一瞬。だが、その一瞬で室内は大きく様変わりしていた。
レブナントドーシュに命中した一発が下半身を氷漬けにして動きを封じている。そして、残りの二発が出口という出口をすべて魔術の氷で塞いでいる。
「貴様! 正気か!?」
「ここから出たいっていうなら、ドーシュ卿をもとに戻してもらおうか!」
俺は聞こえるように大声で言う。セプテロの眉が歪んだ。
「そんな方法知るものか! これは存在昇華の儀式。レブナントを受け入れられない卑小な器なら、化け物となる。元に戻るのは死んだ時のみよ」
「〝存在昇華の儀式”! それは禁じられていたはずではありませんかッ!!」
「シルメスタ大司祭様は、霊魂系術式の専門家。サウロ様も知っているはずでは?」
「その儀式ってのは、化け物を造り出すものなのかよ」
これ以上ないくらい太った身体に、水を吸ってふくれあがった腕を足したような姿。全身真っ青を通り越して白い。その異形はもはや人ではない。
獣のような咆哮が部屋中を満たす。レブナントドーシュだ。
レブナントドーシュは動かぬ下半身を自由にするべく、猛獣のように吠えながら氷を叩く。あの怪力なら、閉じ込めておけるのもあと少しだろう。
恨みがましい目で、レブナントドーシュが俺を睨む。誰が魔術を放ったかわかっているらしい。
俺はそっと隣のサウロに聞こえるように問う。
「<浄化>でレブナントだけを焼くことはできないか?」
「……無理です。肉体を得たレブナントは身体の中に潜り込んでいます。<浄化>は直接当たった霊魂系魔物にしか効果はありませんから」
なら、ドーシュ卿をやってしまうしかないということか。
俺は胸の奥がぐっと詰まるのを感じた。目の前で暴れる化け物は、元は人間なのだ。
縛めの氷が割れた。とたんに巨体に似つかわしくない速度で突っ込んでくるレブナントドーシュ。
両手を広げ、抱きしめるように伸し掛かってくるが、そんなハグはお断りだ。俺達は咄嗟にバラバラに避けた。レブナントドーシュは掴みそこなった腕を不思議そうに見ると、再度俺に向かって突進してくる。
「狙いは俺かッ!」
まっすぐ巨体を見据えながら、俺は辺りの様子を頭に入れる。<空間把握>によると、ココットを含む数人は壁際。セプテロたち窓際に近い奴らは魔術を氷を壊そうとしていた。
その真ん中に突っ込んだ。
セプテロのぽかんとした顔。とっさに振り上げた武器を振り下ろす前に、レブナントドーシュが俺を追いかけて突っ込んだ。
激突音。悲鳴と迎撃の音。咄嗟に散開して反撃した神官たちの攻撃は、レブナントドーシュの身体にめり込んだがまったく効果がない。逆に振り回す腕に吹っ飛ばされる始末だ。
あの相撲取りのような体型、全て筋肉なんじゃねえだろうな。鉄製鎧でもない限り、殴られたら骨折だけでは済まないぞこれ。
窓は諦めたのか、何とかレブナントドーシュから距離を取るセプテロ。その周りに武装神官たちが集まる。
「<聖威>を叩き込む!! ココット、貴様は足止めだ!」
「…………チッ」
舌打ち一つ。ココットが前に出た。手を伸ばせば触れる距離でレブナントドーシュに向かい合う。武器はナックル。レブナントドーシュの腕を避け、拳を叩き込む。効いた様子はない。
もらえば重傷は必至。無表情に捌き続けるその様子は、死に急いでいるようにしか見えない。
レブナントドーシュの動きは速い。逃げる先を予測した打ち下ろしが、ココットにぶつかる。
「んッ!!!」
一撃が入る前に、ミトナが割って入った。
「ミトナ!?」
振った一撃はレブナントの膝裏を打ち、がくんとよろめかせる。ココットがかろうじて回避。ミトナは一撃を見舞った後も離れない。
「狙いが散れば、当たる確率も減るから……ッ!」
「ようしそれでいい、ようく張り付けよ……」
セプテロのマナが高まっているのがわかる。集まっている神官たちも一様に詠唱をしながら集中している。
魔術を起動するつもりか?
あの接近距離だと、巻き込むぞ!?
セプテロはニヤリと笑った。
「お前は再生者だからなァ」
まさか―――!?
咄嗟に起動した<氷盾>と<りゅうのいかづち>の防御は、二人ともをかばおうと思ったがゆえに、薄い。
「<その威、神を代弁し懲罰与える光。悔い改めよ――――聖威>」
魔法陣が割れる。勢いよく振り下ろされるのは光り輝くトゲ付き鉄球。シルメスタより若干小さいが、その一撃が床を粉砕する勢いで叩きつけられる。
セプテロから少し遅れて、起動の声が重なった。残りの武装神官が、ココットとミトナを巻き込む形で<聖威>を起動した。
爆発したかと感じるほどの衝撃。光っている水をぶちまけたかと思うほどの光の爆発。
レブナントドーシュは直撃を受け、焦げて白煙を上げていた。
ミトナはいつのまにか展開していた〝ハクリ”で魔術を分解していた。片手にハクリ、もう片方の腕でココットの襟首をつかんで引きずっている。余波を受けたのか、衣服はところどころ破れ、火傷のような状態になっている。すぐさま時間逆行するように治っていくのが逆に痛ましい。
「半人の手を借りるなど」
コイツ……。ココットも仲間じゃないのかよ。
セプテロの言動の端々には、ココットを軽んじて扱う響きがある。それだけでもイラッとくる。
無事なミトナと一瞬目線を合わせる。ほっとした途端、差すような冷たさを意識した。
俺も俺だ。
呪いの館の時も、今も。サウロを、人の目を気にするあまり、自分の強みを全く生かせない。
誰かが傷ついても、回復魔術があるからいいのか? 違うだろ。
不意にセーナを抱えて行ったヴェルスナーの姿が閃く。
失うことも、ありえるのだ。それからでは遅すぎる。
「セプテロ様、開きました!」
「よし、すぐ出ろ。シルメスタ様に報告だ」
<聖威>のうち一発は、窓を塞いでいた氷を粉砕していた。勢い余って壁に大きな穴が空いている。
セプテロがサウロに嘲りの視線を投げる。
「レブナントはまだ浄化されていませんよ。後はサウロ様にお任せしますよ」
「待ちなさい! シルメスタ大司祭殿は何を考えているのです! 禁忌まで持ち出して……。こんなことは教会の破滅にしかつながらないでしょうに!」
「シルメスタ様のお考えもお分かりにならないのか」
もぞもぞとうごめき始めたレブナントドーシュをちらりと見ると、セプテロはさらに笑みを深くした。
「失敗した器でさえ、強靭な肉体と、マナ量を得る。適合すればまさに神の使いとも言える高次の人間となれるだろう。いい報告がシルメスタ様にできそうだ」
言うなり踵を返すセプテロ。レブナントドーシュが起き上がり、憤怒の表情で手近な俺達に吠える。
「――――<魔獣化>」
自動化された手順。一瞬で解放される魔術の数々。
腕は影に置き換わり、伸びた尻尾がふぉんと揺れる。連続起動で生み出した八本の氷剣が、背後で翼のように広がった。
もはやその振動は、音と言うのは暴力すぎるものになった。
<りゅうのおたけび>+<困惑>。
<空間把握>で味方に当たらない位置取りを取ってからの一撃。逃げようとしていた全員の足を釘づけにする。
それでも動くレブナントドーシュの両腕、両足に、氷刃をぶちこんだ。動けないように厳重に串刺しにする。
「ひぇ…!? は……ッ!?」
天井も使った三次元移動で、一瞬でセプテロの背後に回り込む。
着地と同時に多重状態異常の<フレキシブルプリズム>をばらまくおまけ付きだ。
これだけ状態異常を重ねれば、レジストもできないだろ。
「八つ当たりで悪いが、少し付き合っていけよ。楽しいお喋りしようぜ」
いろんなこと知ってそうだしな。セプテロだけは昏倒しないように残したんだぜ?
ニヤリと笑った俺の顔を見て、セプテロの額に脂汗が浮かんだ。




