第236話「神の使い」
メデロンの館。メデロンの書斎で、シルメスタとメデロンは向かい合って座っていた。
ルマルとマコトが招かれた、博物館のようなあの部屋だ。
紅茶が注がれたカップを手にソファに深く腰掛けているメデロン。その向かい側のシルメスタは、背後にココットを含めた手駒の武装神官を控えさせていた。
完全武装の神官が揃うと精神的な圧力が発生する。シルメスタは怯えさせるつもりで手駒の中でも戦闘能力に優れ、かつ威圧感のある部下を選りすぐったというのに、メデロンはまったく意に介していないようだった。それがシルメスタの神経を逆なでる。
「シルメスタ大神官殿。どうしましたか?」
(よくもぬけぬけと……!)
ティーカップをぶつけてやろうかと思ったのも一瞬。シルメスタは何とかそれをこらえた。シルメスタの目的はまだ達成されていないし、達成する力を持つのは目の前の人物しかいないからだ。
だが、シルメスタは憤慨していた。
メデロンに協力を持ちかけたのは、勝算があると言っていたからだ。
それが裏切られたのだ。怒りもしようものだ。
「どういうことか説明してもらおう。メデロン卿」
平静を装おうとしたが、シルメスタの口から出たのは怨嗟の声にしか聞こえぬ声だった。
シルメスタは凶眼と言っていいほどつり上がった目で、メデロンを貫いた。平静になろうと思うも、ふつふつと内側から怒りが湧いてくる。
この執政会議のために危険な橋を渡ったのだ。
穢れの死魂の封印解除。より強く危険性を印象付けるために、何も知らないサウロを巻き込む。死んでくれればなおよかったが、さすがというべきかサウロは生き残った。それはそれで生き証人となるから問題ない。
メデロンとの取引も、危険な橋の一つだ。貴族と癒着するのは裏では当たり前のことだが、表だってその繋がりが見えるのはやはり体裁が悪い。
清く、正しくあらねばパルスト教ではないとシルメスタは考えていた。そのことはメデロンも了解していたはずだろうし、そのように動くと思っていた。
執政会議での動きはやりすぎだ。あれでは勘ぐってくれと言っているようなものだろう。
「こちらも手を尽くしたのですがね、まさか騎士団長がこちらの意向を無視するとは思いませんでした」
「それはそちらが手綱を握れなかったせいではないかね。メデロン卿ともあろう者が」
あえて侮蔑の色を隠さずにシルメスタは言う。だが相変わらずメデロンは微笑むばかりで堪えた様子はないが。
「騎士団長の彼はなかなかの堅物でね。搦め手では落とせそうにない」
メデロンはお手上げという様子で肩をすくめた。シルメスタは片眉をあげる。
「落とせれば勝機はある、と?」
「挿げ替える首くらいは用意しているよ」
メデロンはわざとらしくシルメスタから視線を外す。小怪物の石像を眺めながら、何でもない話のように言葉をこぼす。
「そういえば、彼はどうやら王都からベルランテに妻子を移すらしくてね」
色にした赤。血のような味のついた言葉を。
「――――野盗に襲われないといいんだけどね。心配だなぁ」
「……もし、そんなことがあったら、どうなるのかね」
「彼の心も心配だからね。少し休んでもらうことになるかもしれないね」
メデロンは紅茶を口に運ぶ。沈黙が部屋に満ちた。
シルメスタはちらりと後ろを見た。シルメスタの視線の意味を正確に理解した武装神官数名が、一礼すると部屋を退出する。
これまで様々なシルメスタの要望に応えてきた、腕の立つ者達だ。必要な成果を上げてくるだろう。
たとえこれで反対票の一つが覆ったとしても、シルメスタの理想にはまだ足りない。
教会の権威を、これ以上ないくらい示さなければならない。
(そのための方法は……あると言えばあるのだがな)
シルメスタは懐の封印をそっと撫でた。メデロンに言うことはできない。教会の秘奥に関わることだからだ。
内側へ思考を落とし込んでいたシルメスタは、メデロンの視線に気付くことができなかった。
「穢れの死魂の封印ですか」
メデロンの声にシルメスタはハッと顔を上げた。手を浮かせる。
「元は人の魂だという話を聞いたことがありますね」
「罪人など穢れた魂から生まれる魔物だ。あながち間違いでもあるまい」
「その魂を浄化し、人の魂へと戻す研究がされていたとか」
「何が言いたい」
二人の視線が交錯した。その視線の中に含まれるものを二人ともが正確に読み取る。すっと手を挙げるだけで、護衛が全て部屋の外へと出て行った。人払いだ。
人払いがすんだのを見届けると、メデロンがシルメスタに向かって身を乗りだした。さながら蛇が獲物を見つめるような視線で、シルメスタを見る。
「――――〝位階昇華”」
シルメスタが驚愕のあまり、目を見開いた。思わず席から腰を浮かし、その拍子に倒れたティーカップがガチャンと音を立てて割れる。
流れる紅茶にも、割れた陶磁器の破片も無視して、シルメスタはメデロンを凝視した。
「バカな! どうして貴様がその名を知っている!!」
「<蘇生>をベースとして編み出された、魂の位階を上昇させるための教会の秘術。人間よりも高次の存在へと至るための神聖術……でしたね」
「か……ッ!? く……!!」
喉が詰まったかの様な声しか出せぬシルメスタを横目に、メデロンがゆっくりと立ち上がる。
「大司祭クラスの封印官にして、封印の専門家。どうして貴方が聖王都を追われ、聖王国の末端にまで飛ばされたのか、ボクは知っているということですよ」
シルメスタは全身が鉛になったかのように重く感じられた。全身にはびっしょりと汗をかき始めている。
いつのまにかシルメスタの背後にメデロンが回り込んでいた。締め付けるように言葉を巻き付けていく。
「穢れの死魂を封印しているのは何故です。夢をあきらめていないからでしょう?」
(そうだ……)
シルメスタは内心認めた。メデロンの言う通りだ。
憑依を幾度も経験した穢れの死魂は、<位階昇華>の可能性が高いとメデロンは考えていた。だから、作戦で利用したレブナントを、再び封印したのだ。おそらくこの個体はスラムで暴れることにより、多くの贄を供えられただろう。
だが、レブナントがいくらよい素材でも、シルメスタの保持するマナ量では、<位階上昇>を起動するマナを確保できない。
何かマナを補助する物が必要だが、それだけではできない。術式を起動する術士のマナ、良質なレブナントの封印。そして、高次の魂を入れる器。
それらが揃った時、〝神の使い”を顕現させることができる。シルメスタの理論上ではそうなっている。
「教会の権威には、それを示す象徴が必要ではありませんか?」
メデロンはゆっくりとシルメスタの周りを歩きながら、熱のある視線を注いでいく。
「お手伝いいたしましょう。教会の権威を目に見える形で示してこそ、道が開けるのではないでしょうか?」
貴様は何がしたいのだ。
その言葉を、シルメスタは飲み込んだ。もうシルメスタには自分の理想しか目に入っていなかったからだ。メデロンの些細な理由など、気にしている場合ではなくなっていた。
メデロンが微笑む。瞳を輝かせて、シルメスタに囁く。
「――――〝神の使い”を、顕現させるのです」




