第229話「囮作戦」
「てめぇさえ躱せば……!」
立ちふさがる俺を前に、なおも逃げ出そうとする〝長毛”。
獣人の体力ならば、両腕が使えなくても俺一人出し抜くのは造作もないことなのだろう。<拘束>を使うかと身構えた瞬間、カゲバミの脚が〝長毛”を包囲する。喉元に突き付けられた鋏の先端に、〝長毛”の動きが凍り付いた。
壊れた扉からセーナが戻って来た。ファオランを前に顔を曇らせる。
「申し訳ありません大老。勝手な動きをいたしました」
「構わんよ。星断もおる」
ファオランの言葉にセーナは頭を垂れる。ホシダチというのがファオランの使役する蟲の名前だろう。六本脚の形からいって、カゲバミと同じ系列の蟲だということは予測できる。ただ、カゲバミが幼体とするならばホシダチは成体だ。それくらいの差が感じられた。
間を置かず手下であろう男たちがどやどやと部屋に入って来た。ぱっと見たかぎり獣人が多い。半獣人も何人か交じっているのが見えた。セーナが慌てて顔布を下ろした。
「ご無事ですか! 大老!」
「ヴェルスナーさんの方も、もうすぐで片が付きそうです……」
「まずは避難を」
口ぐちに言う男たちを視線一つで黙らせると、ファオランはセーナに向き直る。セーナが居ずまいを正した。思わず俺も背筋が伸びる。
「穢れの死魂の件、任せる」
「は……!」
「くれぐれも無茶はするな」
厳しい口調で言うファオランだったが、最後にふっと優しさが滲む。家族だろうに、どうにも溝があるように見える。祖父と孫娘という関係だろうに、組織のトップともなればこういうものなのだろうか。
護衛に付き添われながら大老が部屋から去った。残されたのは俺と呪術師、そして〝長毛”の三人だけだ。セーナが顔布の向こうから俺を見る。翡翠の眼が突き刺すような視線を寄越してくるのが感じられる。 怒っているのだ、この娘は。
「こちらにも犠牲者が出ている以上、レブナントを仕留めなければなりません。協力していただけませんか?」
「どうするつもりだ?」
「この者を囮に使います。寄ってくるのなら、そこを叩けばよいのです。カゲバミの腕が完全であれば、あそこで逃すこともなかったのですが……」
俺は思わずうっ、と息を詰めた。不可抗力とはいえ、鋏を壊したのは俺だ。だがあれはしょうがないこと。セーナに俺を責める様子はない。だが微妙に居心地が悪いのは何故だろうか。
俺の保持している魔術の種類は多岐にわたる。このまま俺一人でレブナント殲滅を手伝う手もあるが、やはりサウロの<浄化>の方が確実だろうし、できればラーニングもしておきたい。
「わかった。その代わり、レブナントが完全に消滅するための戦力をこっちで揃えさせてもらうけどいいな?」
「構いません」
「ま、待てお前ら!」
叫んだのは身動きが取れなくなっていた〝長毛”だ。喉元に突き付けられる鋏も眼中にない様子で俺達に突っかかってくる。
「さっきから聞いていれば姐さんを殺す算段じゃねえか!? 姐さんはまだ死んじゃいねえ!」
「信じたくないのはわかりますが、レブナントに憑依されて生きていたという話は聞いたことがありません。あなたも冒険者ならわかっているのでしょう?」
表情が見えないからこそ、セーナの声は辛辣に聞こえた。〝長毛”がうなだれる。
「とはいえ、生前の記憶というものが少しは残っているのかもしれないですね。この者を執拗に狙うのですから」
部屋に沈黙が満ちた。重い雰囲気。
そこへため息を吐きながら、ヴェルスナーが戻って来た。大老のいない部屋と、俺達を見てだいたいの流れはわかったらしい。かったるそうに腕を回してほぐしながら口を開く。
「んで、何をどうすんだ?」
「レブナントを誘い出します。ヴェルスナーさん、人が寄り付かない場所に心当たりは?」
「カンスナ墓地ぐらいだな。ここに空き地なんてねぇしよ」
スラム街には道以外には過密と言えるほど家が建っている。普通の生活から漏れ出したもの、何か理由があって隠れ住みたい者が集まっているのだ。込み合っていると言えるほどの過密住宅の方が、いろいろと見えないものなのだ。
「あまり採用したい場所ではないですが……」
セーナの声が低くなった。霊に墓地とは出来すぎている。だが、人が近くに居れば幽霊を詰め込まれて傀儡人形になる可能性もある。あまり高望みはできないと言うことか。
ヴェルスナーが逞しい腕を組むと、じゃりじゃりと顎の毛をいじる。ふと思いついたように俺を見ると、口を開いた。
「魔術師も参加か?」
「魔術師さんには魔術戦力を出していただきます。戦闘参加のオーダーから、作戦立案まで、できる限り条件を飲みます。レブナントの遺骸や素材なども必要ならばお渡しいたします」
ヴェルスナーがわずかに目を見開く。頭を下げて頼んでいるようなものだ。そこまでする理由は何だ。
「代わりに、レブナントを放った〝黒幕”について情報を頂きます」
セーナの表情は見えない。だが、ヴェルスナーの笑みが深くなった。ニヤリと笑う口元には獰猛な牙が見え隠れしている。
意識してかはわからないが、手を出した以上は報復する。そういうことなのだろう。気持ちはわかるが、教会とことを構えるつもりなのか、こいつらは。
「それではカンスナ墓地で集合しましょう」
ヴェルスナーが〝長毛”の腕を掴んで引き上げると、先に立って歩きだした。セーナが後に続く。部屋から出る直前に、俺に振り返って言った言葉を、俺は受け止めるだけだった。
表にアルドラの姿は無かった。一瞬焦ったが、すぐに路地から姿を現す。思念で届いたイメージからすると、どうやら大量に幽霊に憑依されたやつらが来たため、囲まれるのを嫌って一時避難をしていたらしい。
逃げたのは正解と言えるだろう。アルドラがレブナントに憑りつかれていたら攻撃できる自信はない。
俺は急いでみんなを集めることにした。
アルドラをミトナ、フェイ、マカゲの回収に向かわせた。後はサウロだ。俺は屋根を蹴って教会へ向かう。途中通行人から驚きの視線を向けられたが、気にしている場合じゃないな。
幸い教会に着いてすぐサウロを発見した。屋根から飛び降りると、少し離れたところに着地する。俺はサウロに声をかけようとしてためらった。何やら偉そうな服装を着た男と何やら言い合いをしていたからだ。
接近した俺に気付いたサウロがこちらを向く。
「マコトさん! どうかいたしましたか?」
「サウロさん、レブナントを見つけた。スラム街だ」
「本当ですか!」
驚いたように目を見開いたのはサウロだけではなかった。偉そうな男もものすごく驚いた表情になっていた。レブナントが街中に出たとなると、そりゃ驚きもするか。
「それでレブナントは今どこに!?」
「カンスナ墓地におびき出して叩く。サウロさんの<浄化>で何とかなるはず」
「わかりました、すぐに向かいましょう」
踵を返しかけたサウロの身体が止まる。偉そうな服の男がサウロの腕を掴んでいた。
「シルメスタ大司祭殿、離してください」
「待つのだサウロ殿。……もし。もし、レブナント出現が本当であれば、封印官を向かわせよう。そのどこの馬の骨かわからぬ輩では困る」
「大司祭、彼の実力は本物です。この目で見ております」
サウロの褒め言葉に照れくさくなってしまう。だが、次の瞬間シルメスタという神官が、空間に残る言葉を打ち砕くように被せてくる。
「いや、専門家である教会でなければ問題解決はできぬであろう? そもそもスラムなどという獣が多く住む不浄な地域だからこそ穢れが発生するのだ。そうは思わぬか?」
俺はこの男を怒りを込めて睨んだ。こいつ、どれだけお偉い司祭様か知らないが、ちょっとおかしいんじゃないのか?
「パルストの教えは〝困る者を救けよ”ではないのですか。シルメスタ大司祭」
サウロが鋭い視線と共に言葉を放つ。口調は静かだが、その奥に込められた熱を感じる。それがサウロの思いなのだろう。そこに人も獣人も隔ては無い。
「〝困る人間を救けよ”だ。異教徒は数に入っておらぬよ。ベルランテの教会支部の長は私だ。勝手に動かないでもらいたいな。封印官を待ちたまえ」
「……幸い私はベルランテ支部の管轄神父ではない。好きにさせて頂く」
「わかっておらぬな、貴様は。今こそ教会の威信を示さねばならぬというのに……!」
サウロはシルメスタを完全に無視した。俺の肩に一度触れると、そのままシルメスタの方を振り返りもせずに歩いていく。ものすごい形相で俺達を見るシルメスタをその場に置き去りに、俺とサウロはスラムへの道を走り始めた。




