第228話「避役」
〝長毛”が俺の顔を見つめて動きを止めた。次の瞬間には必死の形相で俺に詰め寄ってきた。
「あんた……! 確か屋敷で会った……! ぐっ!?」
「勝手に動くんじゃねえよ」
ヴェルスナーが勝手な動きをした〝長毛”の腕を引っ張る。だが、その力に抗いながら〝長毛”は俺に向かって叫ぶ。
「おい、あんただよ! 屋敷で出会ったろ? こいつらに言ってくれ! 俺はあの穢れの死魂とは関係ないんだよ! な、知ってるだろ!?」
「魔術師、お前コイツと知り合いなのか?」
ヴェルスナーの虎顔が俺を向いた。問いかけるような視線とすがるような〝長毛”の視線が俺に集まる。〝長毛”は一体何をやらかしたのだろうか。不法侵入の他に、スラムでも悪事を働いたからこの状態になっているのか?
「ヴェルスナー、なんでコイツ捕まってるんだ?」
「ほんの少し前から幽霊の発生が増えてやがってな。どうやらコイツ、その幽霊達に狙われてやがるんだ」
「明確にターゲットにされているのです。このレブナント事件の関係者ではないかと考えています。スラムで逃走劇をされると被害が広がります。なので確保したのですが……」
セーナの視線も説明を求めるように俺を向けられる。
「知り合い……ってほどじゃないけどな。幽霊が出るっていう呪いの館で遭遇戦になった。確かにコイツの仲間も穢れの死魂に襲われてたんだ。俺の持ってる情報からも関係は薄いんじゃないか?」
あの屋敷になぜ居たのかはわからないがな。
今回のレブナント出現には教会が関わっている。人間至上主義のあの集団が獣人を使うとは考えにくい。もし関係しているとするならば、何が起こるか教えられていないまま捨て駒にされた可能性もあるかもしれない。
俺は〝長毛”を見返した。
「答えてくれ。屋敷で俺達と会う前、何かパルスト教会から預かったりとかもらったりとかしてないか?」
「パルスト教会ぃ? 知らねえよ! 何ももらってねえよ!」
「それはないだろうよ。獣人を排斥するあいつらがそんなことはしねえだろうさ」
ヴェルスナーが苦い声で〝長毛”の続きを引き取った。その声には様々な感情が滲んでいた。ココットと仲が良いように見えていたが、やはり教会の体制そのものには思うところがあるのだろう。
教会からの接触はない。じゃあ何でコイツは狙われてるんだ?
あの屋敷に居たことがキーなら、俺やフェイ、サウロも狙われるはずだ。鬣猪も俺を狙ったというわけではなかったしな。〝長毛”が狙われる理由はどこにある。
「しかし、出て来るのは幽霊ばかりで肝心のレブナントが姿をあらわしやがらねえ。何かわかると思ったんだがなぁ」
ヴェルスナーがぼりぼりと頭を掻く。その動きが唐突に止まった。
ぴくりと耳を動かすのは、ミトナと同じ何かを聞き取った証だ。遠くを見る目で扉を見つめる。
「何者かが建物内に侵入したようです。ファオラン様、しばしお待ちを」
「許す、行け。できるかぎり苦しまぬようにな」
「は……! ……呪術師、ここを頼む」
「わかりました」
ヴェルスナーが〝長毛”を床に無理矢理座らせると、そのまま扉に向かっていく。その顔は強張っているように見えた。扉をくぐる直前、こちらを振り向く。
「侵入してきたのは幽霊どもだ。そいつを逃すなよ」
セーナが頷くと、ゆるりと影の水たまりが動いた。シャドウゲートの中からカゲバミの鋏が伸ばされる。逃げようとしていた〝長毛”が鋏に撫でられて硬直した。
すでにヴェルスナーの姿はない。侵入者の鎮圧に向かっていた。
「この建物、護衛とかいないのか?」
「……侵入したのはレブナントでしょう。それに襲われたなら、あの人たちが憑りつかれてしまったのだと推測できます」
セーナの声は硬い。護衛をしていた人たちも彼女が知っている人たちなのだろう。ファオランは表情に気持ちを表すようなことはないが、組んだ手に力が入っているのが見える。
「幽霊が近いなら、レブナントも近くにいるはずです。この者を狙ってくるなら、この部屋に来る可能性があります」
警戒したまま左右で色の違う瞳を部屋の隅々にまで向けるセーナ。俺も<空間知覚>で強化した視覚で室内を見る。
クーちゃんがぴくりと反応した。俺の目には何も見えないが、クーちゃんの感覚は俺より鋭い。見えないが、居る!
「セーナ、すでに来てる!」
「……まさか!?」
セーナが目を細める。翡翠色の瞳が淡く光ったように見えた。セーナは整った顔の顎を上げた。部屋の天井の角に視線を寄せる。何もないように見えたが目を凝らせば薄くオーラが見える。
「――――そこです!」
セーナの呼びかけに応じてカゲバミの鋏が閃いた。一瞬で天井まで伸びた鋏の先端が壁を穿つ。だが薄いオーラは滑るようにして逃れていた。集中していないと見逃してしまう。
見えない何者かは天井から飛び降りるとファオランに向かう姿勢を見せた。ファオランが席から腰を浮かせかけた。セーナのカゲバミが慌ててガードに入る。
俺は拳を固めるとオーラに向かって床を蹴った。円卓を飛び越えるようにしながら殴りかかる。<やみのかいな>を起動したマナで、ケイヴレザーコートが戦闘形態に移行した。
姿が見えない理屈はわからない。光学迷彩か、幻覚の特性か。どちらにせよ殴って触れればラーニングできる!
拳は空を切った。見えない敵を殴らねばならないから当然と言えば当然か。ひやりとした悪寒を感じた。攻撃を外した隙を見せてはいけない。
「<氷刃>!」
魔法陣が割れ、生み出された氷の剣がかすかに見えるオーラの残滓を狙って射出された。床や円卓に刺さるが、成果はない。
ファランとセーナの前に壁になる形で飛び込んだおかげか、<氷刃>のことは咎められなかった。こういう事態になっても慌てずに落ち着いた姿なのはさすがスラムの武闘派集団の頭といったところだ。
愕然とした声が聞こえた。
「<透明の衣>! 姐さんなのか!?」
「〝長毛”! 知っているのか?」
「この透明化の術は、テリオラ姐さん……、俺達のリーダーだ!」
「透明……!?」
「姐さんは、避役の獣人なんだよ!」
まさか、という思いと、どうりで、という思いがないまぜになる。レブナントは乗り移った者のスキルを使う。死して身体のみならず、技も使われるとは、どれだけ死者に対する冒涜なのか。
俺は身構えた。見えない敵。いくつか対策を思い描く。
魔術や魔法の範囲攻撃で打ち据える。<麻痺>+<りゅうのおたけび>を使えば逃さず行動不能に追い込める。
<「氷」中級>を使って、冷気の爆発を起こせば逃げられまい。だが、それらの方法ではこの部屋にいる人たちを巻き込んでしまう。
<印>を当てれば見えずとも狙うことも可能だが、まずその<印>を当てるのが難儀だ。
「見えぬ程度で、臆するものではないな」
聞こえたのはファオランの声。ファオランが前に出た。かばおうとするセーナをそっと手で制し、両手を広げながら進む。
全身が総毛立った。敵意を向けられていないのに、存在だけで圧倒的なプレッシャー。ファオランの足元から、六本の蟲の脚がいきなり生えた。先端が棘のようになっている六本脚。シャドウゲートから出ている脚は、空間を薙ぎ払うように動いた。誰にも当たらないように精密な動きだった。
ファオランはセーナの祖父。となればファオランも蟲遣いなのも不思議な話ではない。
鈍い音と同時、壁に何かがぶつかった。ほんの少しの時間だけ、ラグのように透明化が解除された。飛び出した眼球がいまにも割れてしまいそうな顔のカメレオン獣人の女性の姿が見えた。なるほど、避役。どうりで透明にもなるわけだ。
物理的に透明になるんじゃなく、<魔法>的な透明化なのかもしれない。
ぬるりとした動きで、透明になりながら扉を目指すレブナント。扉の枠は狭い。俺はマナを練った。間に合うか!
「姐さんッ!!」
「もう死んでる!! ――――<炸雷>!」
「違う! 助けを求めてるんだ!」
どうしろっていうんだよ!
長毛の悲痛な声を聞きながら、俺は心の中で悪態をついた。扉をレブナントの背中を狙ったが、起動した雷の球は、当たった感触はない。見逃しそうになる薄いオーラが去っていくのが見えた。逃げられている。
「逃しません……!」
セーナが疾風のように駆け出して後を追いかけていく。続こうと踏み出しかけた足を止めた。混乱に乗じて〝長毛”が逃げ出そうとしていた。
「っと! どっかに行かれると困る。どうにかしたいんなら、手伝うべきじゃないか?」
その前に立ちふさがりながら、俺は声をかけた。




