第227話「呪術師セーナ」
前を歩く呪術師の身体は小さい。もしかすると、子供なのかもしれないな。
俺はその背中を追いながらそんなことを考えた。
呪術師はどこまで歩くつもりなのか。スラムの奥へと向かっているのはわかる。
俺はアルドラの隣を離れると、呪術師の横に並んだ。一瞬びくっと小さな肩が揺れる。見えてるのかどうかわからない顔布が俺の方を見上げた。
「なんです?」
警戒した声が聞こえた。さっきまで魔術戦でやりあっていたのだから当然か。
どこまで行くのか尋ねようと思っていたのだが、呪術師の顔布を見て別の言葉が浮かんできた。
「もしかして、あんた、〝蟲遣い”なのか?」
「……知ってるの?」
呪術師の足が止まる。俺の言葉の真偽を確かめるように覗き込む。表情は見えないが、〝見ている”のがわかる。
「ドルターって男が、でっかいミミズを操る〝蟲遣い”って話だった。似た格好しているからそう思ったんだよ」
土龍を使い魔にして使役する者。服装も似ている。
カゲバミと呼ばれていたあの巨大オケラが使い魔なのだろう。
「土龍のドルターをご存じですか……」
呪術師は歩みを再開した。発した声には諦めにも似た感情が滲んでいる。
「確かに私は蟲遣いです。この子は影食み。シャドウアトラクターと呼ばれる種類の〝蟲”です。影に潜み、獲物を影に引きずり込んで捕食します」
蜃気楼の様に呪術師の足元に影の水たまりが現れる。滑るようにして呪術師の足元を追随する。呪術師の影を基点にしているのかもしれない。
今は見えていないが、おそらくあの水たまりの向こうの空間には、さっきの巨大オケラ――カゲバミが存在しているのだろう。
「それより私はあなたのほうが気になるのです。カゲバミのシャドウゲートはカゲバミのもつ力が創り出す空間です。そこに手を突っ込み、あまつさえカゲバミを引きずり出すなど、普通の人間にできることではないのです」
「だろうな」
俺は苦笑した。呪術師の言う通りなら、やはりあの水たまりは異空間への通り道なのだろう。どれくらいの広さがあるのかわからないが、そこにあの巨体を収めているのだ。その通り道から、鋏のついた腕だけを伸ばして攻撃してきていたというわけだ。
知らずに鋏に掴まれば、あの空間にご招待。肌に合わぬ空気に溺れて死ぬのが先か、鋏に断ち切られて死ぬのが先か、と言ったところだろう。
「鋏、悪かったな」
俺は呟くように言った。カゲバミの腕をもいだことは後悔していない。アルドラが引きずり込まれそうになっていたからな。だが、カゲバミという蟲と呪術師は俺とアルドラの関係のようなものだろう。彼女にとって大切な存在であることは伝わってくる。
呪術師は俺の言葉に首をかしげるような動作をした。
「……本当に穢れの死魂とは無関係なのですね。傷つけた相手を気遣う刺客など聞いたことありませんし」
着きました、と言われた俺の前にはボロボロのドームのような建物が目の前にあった。古い石造りのアパートが視界を塞ぐようにして立っていたため、表からは簡単に見えない。隠れた建物だ。
中華鍋をひっくり返したような形の建物にはドアが付いていた。そのドアをノックもせずに押し開けて、呪術師が入っていく。
俺は入るのに少しためらった。こっそり起動していた<空間知覚>でも、内部が見通せないのだ。中で何が待っているのかわからない。
「ほほぉ。こりゃ対魔術ゴーレムの探知対策がしてあるのう」
懐のミオセルタが俺にだけ聞こえる声を出した。
「ホントかよ」
「おそらく魔術刻印の壁を何層も重ねておる。防御と探知対策。ふむ……魔術空戦艦の外壁素材じゃな」
「ミオセルタ、俺にもわかる言葉で言ってくれ、頼むから」
「まあなんじゃ、あの建物の内部じゃと<空間知覚>も効果を発揮せんじゃろ」
振り返った呪術師が、焦れたように何度も靴を踏み鳴らす。
「来ないのですか?」
「い、行くともよ!」
ここでまごついていてもどうしようもない。毒を喰らわば皿までだ。俺はついて行くことにした。
クーちゃんはまったく警戒していない。俺はもしものために魔法陣が浮き出ないようにしながら<やみのかいな>と<まぼろしのたて>は起動しておく。アルドラは扉をくぐれないので表で待たせた。
建物に入った直後に待ち伏せの攻撃を喰らうなんてことはなかった。少し安心しながら建物の奥を目指す。
内部は思ったより普通の構造だった。通路に部屋。マンションのような造り。大人数が生活できるように整えられた建物だ。
一番奥に設えられた扉は気品を感じさせるほど高価なものとわかるものだった。呪術師がその前に立つと、ノックをする。
「おう。入れ」
野太い声はヴェルスナーのものだ。呪術師が扉を押し開ける。絵画のように壁に掛けられた旗。中華風の室内には、大きな円卓があった。
「魔術師じゃねえか。ナニこんなところまで来てんだ? ァア!?」
ドスの利いた声が俺の身体を叩いた。うすうす感じていたが、ここはヴェルスナー達のアジトの本部のようなところなんだろう。
「――――客人をお招きしたのかね?」
その声は、無視できない圧力を孕んでいた。
円卓に一人の老人が座っていた。肌は浅黒く、刻まれた皺が年季を感じさせる。頭髪は白く、蓄えた豊かな髭もまた白い。華服とでも言おうか、和服に似ているが違うゆったりとした袖の服を纏っている。
強い視線を放つ鳶色の瞳と、全身から発せられる生気。まるで仙人のようなおじいちゃんだ。
その目が俺をじっと見つめている。誰だ、この人は。
「大老の御前だ、面布は取れ、セーナ」
「すみません」
セーナというのが呪術師の名前だろうか。呪術師はヴェルスナーに言われる通り顔を隠している布を取り去った。
艶やかに流れる髪は黒に近い緑色。その髪に縁取られた人形のような整った顔立ちが現れる。その瞳は左右で色が違っていた。右目は鳶色をしており、左目は翡翠のような緑色をしていた。翡翠の瞳が仄かに輝いているように見えるのは気のせいではないだろう。
「ヴェルスナー、構わぬよ。それでセーナ、その魔術師殿がどうかしたかね?」
「幽霊殲滅行動の際、接触いたしました。穢れの死魂の件について情報交換をしたいと申しております。ファオラン様」
――――ファオラン。
俺はその名前を頭に刻みつけておく。あのヴェルスナーと呪術師がこれだけ敬意を払っているのだ。かなりの地位の人物。下手するとヴェルスナー以下スラムのヤクザ集団のボスだ、この人。
セーナの言葉に、面白そうな表情になるファオラン。
「名を聞こう。若者よ」
「――――マコト。魔術師だ」
「ファオランと言う者だ。そのセーナは儂の孫でな」
思わず呪術師を見る。似ても似つかないように思えるが、よくよく見つめれば鳶色の瞳は同じ色をしている。
「その娘が言うのなら、価値はあるのだろうよ。言ってみたまえ」
圧力。背負う責任と自信、実力と積み重ねた時間が放つオーラ。俺は及び腰になりそうな身体に喝を入れた。一度口を開いたが、閉じる。吞まれるな。
腹を括ることにした。
「知り合いの武装神官から頼まれて穢れの死魂を追っている。スラムで幽霊の目撃条件が多いってことらしいんだ。ここに潜伏している可能性が高い」
「それで?」
ファオランに答えたのはセーナだった。小さなシャドウゲートを出現させ、カゲバミを呼び出す。もがれた腕の断面をファオランに掲げる。
「この魔術師、カゲバミの片腕を断ちました。情報を共有し、穢れの死魂殲滅にあたりたいと思います」
「許す」
……この仙人、ただの孫好きのおじいちゃんじゃないのか?
圧倒的なオーラですごい人感がものすごいから騙された気分になる。
「ヴェルスナー、奴を連れて来い」
ヴェルスナーが一礼すると部屋を出る。しばらくすると誰かを伴って部屋に戻って来た。
その誰かはどうやら拘束されているらしい、腕を固定されたままの不自然な動きで室内に入れられる。
見覚えがあった。
「あんた……!」
そこに掴まっていたのは、呪いの屋敷で逃した長毛の犬獣人だった。




