第226話「影食み」
俺はスラム街に向かうことにした。事件が集中しているということはここにいる可能性が高い。ハーヴェから教えてもらった辺りを当たるしかないだろう。
スラム街は相変わらずのうさん臭さだ。『洗う蛙亭』があるところより一段深いここは、隙あらば狩る獣のような目つきで俺を見てくる。
俺はアルドラから降りて横を歩いていた。もしもの場合もアルドラが戦力として頼ることができる。
クーちゃんが足元にまとわりつくようにしているが、まったく邪魔にならないあたりすごいものだ。俺と繋がっているのが理由だろうか。
俺はちょっと不安になっていた。
騎士団から勢いでここまで来たが、もしかするとフェイかサウロと一緒に来た方がよかったのかもしれない。
「穢れの死魂や幽霊が<空間把握>で捕捉できないのが問題なんだよな」
<空間把握>は周りの地形や生物の動きを捕捉することができるレーダー系の魔術としては優秀だ。なにせ魔術ゴーレムが周辺探知に使っていた術だからな。
捕捉していると脳内に三次元マップとして感じることができれば、実際の視覚も残る。パソコン画面が何枚もあるようなもので、俺は集中してしまうと見逃しが生じてしまう。もっとうまく使うことができればいいのだけどな。
「できるぞい?」
「ミオセルタ?」
俺の愚痴のような呟きに答えがあるとは思わなかった。懐のミオセルタだ。
「<解析眼>を多重起動で見えるはずじゃぞ。パスで繋がっとるワシが調整しよう」
「お、おお。さすがゴーレム技術者。ありがとな」
俺はマナを練ると魔法陣を展開した。ミオセルタから流れて来る感じを参考に、<空間把握>と<解析眼>を同時起動する。
「おお……!」
俺は思わず声をあげた。通常の風景に重なるようにして、人々がオーラに包まれたような姿に見えた。ものすごく光っているクーちゃんは気にしないことにする。これはどうしようもない。
たしかにこれなら見えないモノもの見える気がする。<空間知覚>といったところか。だけど、風景にオーラが重なって見えるから、見づらい。
「もともと魔術ゴーレムは霊魂系魔物と戦う予定はなかったからのう」
「そうなのか? てっきり決戦用兵器だと思ってたけど」
ドマヌ廃坑地下のゴーレム群を思い出す。あのビームといい、どう考えても戦闘向きだと思ったのだが。
「もちろん決戦用じゃよ。戦う相手は人間じゃったがなあ」
「それは――――」
なんだか不穏な言葉を気がした。問い詰めつめようとしたが、俺の感覚に嫌な感じが走る。これは幽霊だ。顔を上げると、前方からすごい勢いで走ってくる犬が見えた。異様に肥大化した前脚といい、意識を失った白目と、よだれを垂らしっぱなしの口は正気に見えない。憑りつかれている。
俺はアルドラのラックから霊樹の棒を引き抜くと下段に構えた。アルドラも唸りをあげで戦闘体勢を取る。
憑りつかれた犬の凶相に驚いた人たちが思わず逃げ出すのを感じたが、下手に突っ込んでこない方が魔術も使えてありがたい。
「……あの幽霊、なんかおかしくないか?」
鬣猪の時と何か違う気がする。
凶暴な感じというよりは、焦って逃げている手負いの獣のような感じが……。
ぎゃいん、と一声聞こえて、一瞬で犬の身体が視界外に消えた。目では追い切れてないが、<空間知覚>は犬をくわえこんだ大きな蟹鋏を捉えていた。マジックハンドのような、細い脚の先端についた蟹鋏。
蟹鋏は犬の身体を振り回しながら、ものすごい力でもって犬の身体を真っ二つにへし折った。
何だ、あれ!?
犬の身体の中で逃げられずもがく幽霊。蟹の鋏は勢いそのまま家の外壁にぶつかってその一部を削り取る。幽霊にも、物質にも効果を及ぼせる物体だ。細く長い腕は一体どこから伸びているのか。
うぉんとアルドラが吠声を放った。アルドラにも見えている。一瞬ピクリと動いた鋏は俺とアルドラを〝見た”。
ぞくりと悪寒が走る。あれは幽霊よりヤバい。気付いたことに気付かれちゃいけないモノだ。
「アルド――――」
指示の声は最後まで言い切れない。犬の体液を付けたままの蟹鋏がアルドラを掴むために飛んできた。
アルドラは何度か避けるが、街路の狭さもあって逃げ切れない。一瞬で背後まで回り込んだ蟹鋏がアルドラの後ろ脚を掴む。
いつの間にかアルドラの近くに黒い水たまりのようなものが近寄っていた。まるで泥のようなオーラを放つ水たまり。ずぶりとアルドラの後ろ脚が飲み込まれた。何かが潜んでいる。引きずり込もうとしているのだ。その直感が駆け抜けた。
細い脚の甲殻は不思議な光沢を宿している。魔術をぶち込むための継ぎ目を探すが、どうやら水たまりの中だ。
「くそッ! 魔術って言うんなら!!」
賭けだ!
この水たまりが魔術なら、ラーニングできるはずだ!
アルドラは爪を立てて飲み込まれないようにこらえているが、長い時間はもちそうにない。そこから逆転の策を練るしかない。
俺は黒い水たまりに腕を突っ込んだ。
「――――――ッ!!」
開いた傷から内臓に直接手を突っ込んだらこんな感じだろうか。毒に手を突っ込んでいる気がしてならない。気持ち悪さに引っ込めたくなるのを我慢した。
これ、吞み込まれたら終わりだ。この〝中”は生き物が生きられる環境じゃない!
<体得! 魔法「かげわたり」 を ラーニングしました>
即座に起動した。窒息するような感覚が消える。動かせる!
俺は蟹の足をひっつかむと力の限り引っ張る。ずるりと本体が出てきた。巨大なオケラのような蟲。
俺は<氷結眼>で関節部を凍らせると、全力で魔術を起動した。
「<氷刃>!!」
割れる。マナの粒子が吹きすさび、出現した氷の剣がオケラの肩関節に突き立つ。オケラは実際の音ではない叫び声を上げた。
アルドラの脚が蟹鋏から脱し、黒い水たまりから身体を引き上げる。慌てたようにオケラが水たまりに潜るのもほぼ同時だった。
内部に空間があるのなら、魔術をぶち込んでやろうか!
「――――戻りなさい! 〝カゲバミ”!!」
凛と響く声には聞き覚えがあった。声が聞こえたとたん黒い水たまりが薄れて消える。まるでもとから何もなかったかのように。
声の方向に顔を向けると、全身から怒気を放射した顔布の人物――――呪術師の姿がそこにあった。ヴェルスナーの姿はない。珍しさに少し驚く。
びしりと呪術師が俺を指差した。
「何をしているのですかあなたは」
「それはこっちのセリフだと思うけどな。さっきの蟲に襲われたのはこっちだぜ」
「幽霊を追っていたにすぎません。……答えなさい。穢れの死魂を放っているのはお前ですか」
「俺もそいつを追ってるんだけどな……! それよりなんだ今の。今のこそレブナントじゃないのか?」
黒い水たまりが呪術師を守るように、その足元に出現した。どうやら自由自在に出たり消えたりできるらしい。
「そっちもレブナントを追ってるっていってたな。知ってることは教えてくれないか」
「……」
「もう片方の鋏、千切ってやってもいいんだぜ?」
「くっ」
しばらく呪術師は悩んでいたようだった。黒い水たまりに向かって何事か呟く。<氷刃>の一撃は確実に片腕をもいだはずだ。本体さえ出れくれば、次は撃破することもできる。
「……お前がレブナントを放っているのではないのですね?」
俺は頷いた。むしろ心当たりがあるくらいだ。
呪術師は決断したらしい。肩を落とすと、踵を返した。小さな背中を見せて歩き出す。ちらりと俺を振り返る。
「ついて来なさい。ここでは話もできません」
これは、進展してるっていうことなんだろうな、まったく。
俺は一息ついた。いまだ警戒状態のアルドラをなだめると、呪術師の後を追うことにした。




