第225話「騎士団を捕える足枷」
アルドラの脚が、騎士団舎の土を踏む。前見た時と変わりない姿がそこにはあった。
肩上のクーちゃんがぴくりと耳を跳ねさせ、視線を上げた。見上げた視線の先を追う。あのあたりは確かバルグムの執務室があったあたりだろうか。
バルグムにボコボコにされた記憶もついでに思い出された。苦い味が口の中に広がる。
アルドラの鞍から降りると、地面に足を着ける。騎士団舎の上の空もどんよりと曇っていて、俺の気分を表しているかのようだった。
まずは情報を集めること。俺とフェイ、そしてサウロの三人はそれぞれ動くことにした。
サウロは街にいくつかある小さな教会へ、フェイは魔術師ギルドへ集まった情報分析にあたる。俺はベルランテのはずれ、駐屯騎士団へとやってきていた。
目的はハーヴェだが、バルグムに直接聞いてもいいかもしれない。
「アルドラ、マルフ舎の方へ行っておいてくれ」
(……承知)
率いていたマルフ達もいるはずだ。アルドラは文句も言わず自分で歩いていった。後でクィオスのおっちゃんにも挨拶しておかないとな。整備はしているが、騎乗用の道具がいくつかへたってきていることも確かだ。
騎士団舎の入り口から入ると、いつもの案内役の騎士団員が取り次いだ。断られるかと思ったが、案外すんなりとバルグムの執務室まで案内してもらえた。
ノックの音。バルグムの返事を待って、俺は執務室の中へ。
「久しぶりと言おうか、マコト君」
騎士団制服を纏った痩身の男。まるで喋る骸骨のように陰気なこの男に変わった様子はなさそうだった。
机の上はきれいなものだ。まっすぐこちらを見る視線。クーちゃんが若干怯えたように俺の後ろに隠れた。
「あんたでも書類と格闘してない時があるんだな」
「有能な部下が多いものでね」
バルグムに勧められもしないうちに、ソファに腰を下ろす。バルグムから値踏みするような視線が注がれる。
「それで、何か用かね?」
「ちょっと聞きたいことがある。今街で起きてる幽霊絡みのことだ」
ぴくりとバルグムの眉が動いた。
俺は獣人街建設区での事件を話した。鬣猪の暴走と、幽霊らしき影。聞くうちにバルグムの眉間にしわが寄る。
「ほかにも街中で幽霊絡みの事件が起きてないかが知りたい」
「ふむ……。ハーヴェ、どうだ?」
「は……!」
俺は思わずびくりと肩を震わせる。いつの間にかハーヴェがバルグムの傍に控えていた。やっぱりこいつ情報屋というより隠密……忍者とか言った方がいい手合いだな。
ハーヴェは前に進み出ると一枚の大きな紙を広げた。ベルランテの地図だ。海と山地、主要な街道や村名が記されている。ベルランテは特に大きく描かれていて、街の様子がよくわかった。
「幽霊かどうかはわからぬでござるが、何件か憑りつかれたように暴れるという事件が起きているでござる。貨車を牽引する荷馬や、生け捕りにされた食肉用の大ニワトリなどでござるな」
ハーヴェは言いながら事件のあった箇所に色付きの小石を置いていく。起きた場所もベルランテの全域に渡る。
「うち数件は幽霊の引き起こした事件でござる。教会の神父の浄化により片がついているでござるよ。なのでござるが……」
口ごもりながら、ハーヴェは新たなマーカーを取り出す。新たなマーカーを地図上に置きながら、その先を続ける。
「ここ最近、急に人間や獣人が幽霊に憑りつかれるという事態が起こっているでござる。猫型獣人がナイフを振り回し取り押さえられる。急に暴れ出した三十代人間が暴行を働く。どちらも周りに居た人によって鎮圧されているでござる」
「……その割に市街地で噂になっていないな」
バルグムが地図を眺めながらぽつりとこぼした。確かにその通りだ。中央通りも市場も普段と変わらない様子だった。
「幽霊は死んだ人間や獣人の魂から発生する魔物と言われているでござる。住民の多い市街地であれば発生してもおかしくないのでござるが……。急に事件数が増加しているのは確かに異様でござるな」
「……なあ、もし、穢れの死魂が街中に居るとしたら、被害はこれくらいになると思うか?」
「穢れの死魂でござるか……?」
ハーヴェは俺を疑問の顔で見る。ちらりとバルグムの顔を窺った。バルグムが頷いて先を促す。
「穢れの死魂はより強い宿主を求める魔物でござる。よりマナの豊富な者、より武芸に秀でている者に引き寄せられるようにやってくるでござる。もし街中に居るとするなら、駐屯騎士団か冒険者ギルドに行くでござろうな」
「なるほどな」
そういえば呪いの屋敷の中でも、あの穢れの死魂は俺達に向かってきた。あれは習性のようなものなのか。
バルグムが組んでいた腕を解くと、地図に一点を差した。そこはハーヴェが新たに置いたマーカーが特に集中していた箇所だ。
「もし居るとするならここだろうな。把握していないだけで、ここには強い宿主という条件に見合う人物もいるはずだ」
バルグムの指に沿って視線を動かす。俺は納得した。確かにここなら、事件が多く起きたとしても誰も気付かない、いや、気にしないのだろう。
――――スラム街だ。
スラム街には荒くれ者が集まっている他、スラム街の有力者が保有する戦力なども存在する。
バルグムの視線が俺に刺さるのを感じた。細められた目はじっと俺を観察している。
「しかし、だ。そういう事態が起こっているのか?」
「本当にそうかはわからない。知り合いの武装神父がそう言ってるんだ。調べておこうと思ってな」
「どうりで、な」
ぎしりと椅子が軋む音がした。バルグムが背もたれに体重を預ける音。
「今、駐屯騎士団は動けん」
「どういうことだよ?」
駐屯騎士団はベルランテの警察のようなもんだと思っていたが、違ったのか?
俺は疲れたような顔をするバルグムに目をやった。
「聖王都で政変があったのは知っているか。教主によるテコ入れだ。教会が王都の政治に口を挟むようになってきている」
俺は思わず目を剥いた。初めて聞く事柄だ。
「ベルランテの独立運動が進められているのもそれが原因でござるよ。駐屯騎士団は王都からの派遣部隊。王都から独立するなら、駐屯騎士団は引き上げるように言われているのでござるよ」
「なっ!? じゃあベルランテの守りはどうするんだよ!」
獣王国からの襲撃があったのは記憶に新しい。冒険者ギルドだけでは戦力が足りない。駐屯騎士団が引き上げてしまうとどうなると言うのか。
「街の民を危険にさらすのは我々としても本意ではないのでござる。のらりくらりとかわしてはいるのでござるが……」
「あとは教会の後ろ盾をするように、有力貴族を通して話が来ている。こいつがまた、親教会派だな。メデロン・ノルディアーニ卿だ。」
「あいつか……!」
あの蒐集家。それなりの権力を持っていたらしい。
「……マコト君にわざわざ頼むのだ、その武装神父は一人で、もしくは少数で動いているのだろう?」
サウロの真剣な顔が思い出される。
もしサウロの言う通り教会自体が敵ならば、騎士団が対抗勢力になってもらおうと考えていた。だが、すでに先手を打たれていたということだ。
「しかし、穢れの死魂が街を壊してしまっては意味がないだろう。いまいち真意が読めんな」
バルグムが思案の顔になる。それもそうだ。価値があるから聖王国からの独立を阻止しているのに、それを壊してしまっては意味がない。
「何か不測の事態でも起こっているのかもしれんな。マコト君の動きは邪魔しないように通達しておこう。任せよう、君に」
バルグムの表情はいつものように落ち着いているように見えた。しかし、じっと俺を覗き込むその目の中には仄かに焦りの色が見えていた。




