第223話「火神の巫女」
見上げた屋敷はそれなりの大きさを誇っていた。豪邸というほどではないが、しっかりとした石材で作られた壁といい要所に見える意匠といい、それなりにお金がかかっていると見える。部屋数も多そうだ。
魔術師ギルドの近くにある職員エリア。そこにこの屋敷はあった。フェイの自宅だ。
扉につけられたノッカーを見つめながら、俺は動きを止めていた。足元でクーちゃんが不思議そうな顔をして見上げている。
ノックするべきかどうするか悩んだまま、俺は動けないでいたのだ。
――――ツヴォルフガーデンから戻ったら、言いたい事があるんだけど。聞いてくれる……?
胸の内でフェイの言葉が再生された。秘密訓練場での酒宴でのことを、フェイは覚えていたのだ。
一体何を言いたいというのか。いつもなら魔術師ギルドに呼びつけるところを、なぜフェイの自宅なのかも気になる。いつもと違う様子が、ほんの少し胸中にさざ波を立てる。
「まさか……な。フェイが……。ないだろ、ないない」
一瞬浮かんだ考えは、あまりにも自意識過剰すぎて、思わず赤面しながらその考えを振り払う。
確かにフェイとは親しいと言える。一緒に死線を潜り抜けた仲でもあるし、その実力は信頼している。ちょっと体つきはスレンダーだが、顔は可愛いし。
何を考えてんだ、俺は。
「たぶん魔術関係だろ、きっと!」
王都に行っている間に俺が得た魔術についての確認。そんなところだろうさ。
愚にも付かない考えを振り切るようにして、俺はノッカーを掴むと扉に叩きつけた。何度か硬い音が響く。
しばらくすると扉の隙間からフェイが顔をのぞかせた。
いつもの制服姿とは違う私服姿。薄手のチュニックが翻る。ふんわりとほのかに甘い匂い。
「どうしたのよ、変な顔して」
「何でもない」
「ふぅん。まあいいわ。とりあえず入れば?」
どうぞ、と開けられた扉からフェイの家の中に入る。静かな家は、まるで誰もいないかのようだ。
先導するフェイの後ろを歩きながら、落ち着かない様子になってしまう。
「今は私一人だから、楽にしてていいわよ」
ギルド長でもあるマルクルさんはいないのか。つまりこの家に二人きりという事実。
意識しすぎだな。俺はクーちゃんを小脇に抱えると、考えるのをやめた。現に目の前を歩くフェイは緊張をしている感じじゃない。
「マルクルさん、忙しいのか?」
「ここ最近は家に戻ってくる方が稀ね。王都で教会の勢力が強まってるせいで、魔術師ギルドが抑えこまれてきてるのよ」
魔術と法術。名前は違えどやっていることは同じだと思うんだがな。どうやらそう単純じゃないらしい。
パルスト教会のイメージは悪い。まあ、ココットやサウロさんといったいい人もいるんだが……。
廊下の様子が変わった。今までの屋敷の造りとは違い、鉄骨や鉄板など強固な素材やいくつもの魔術刻印が見える。ティモット家の魔術工房。ひときわ大きな観音開きの扉には大量の魔術刻印が刻まれていた。
「どこから話したらいいのかしら……。まずは、見てもらったほうが早いかもしれないわね」
フェイがマナを流し込むと同時、魔術刻印の溝を緑色の光が流れる。ゆっくりと開く扉の奥、室内はまるで爆撃を受けたかのような有様になっていた。
煤けた壁、横倒しになった机や棚。散乱した燃えカスや何かの器具はそのままになっており、その全体を黒い灰が覆っていた。
部屋の中央に魔術ゴーレムが鎮座していた。両脚と両腕を投げ出し、座り込んでいる。
魔術ゴーレムの背後には、炎で出来た環が回転していた。
「なんと……!」
驚愕の思念が懐から流れ、ミオセルタの呻く声が漏れ出る。
「何がどうなっとるんじゃ!? コイツは、この炎は――――元始の炎!!」
「なッ!?」
俺は近くのテーブルを起き上がらせると、魔術ゴーレムがよく見えるようにミオセルタをそこに安置した。ミオセルタが食い入るように見つめるのがわかる。
「魔術ゴーレムの機構を利用して、矛盾機関を作りおったな! 炎の環を回転させ続けることで、それ以外をさせないようにしておる……!」
「さすが、見ただけでわかるのね」
「見たこともない魔術回路が組まれておるわ。これは面白いものよの! じゃが、この考え方は悪くない。それに――――小娘、おぬし、〝繋がって”おるな」
ミオセルタの視線がフェイに刺さった。フェイは答えない。じっと回る炎環に視線を注ぐ。
フェイは掌を差し出すと、その上に蛍ほどの火球を灯した。すぐに掻き消されたが、今の炎は魔法陣を介さずに生まれた。<魔法>の炎だ。
俺の中の記憶が閃いた。幽霊屋敷でも、秘密訓練場の酒宴でも、フェイは魔法陣を出さずに炎を出現させていた。それは、つまり。
「ちょ、ちょっと待て! 一体何がどうなってるんだ!? ミオセルタも自分だけわかってないで説明しろよ!」
「ワシの推測も多分に入るがのう……。雪山の研究所で元始の炎をスノウエレメンタルとぶつけたのは覚えておろう」
「脱出する時のことだろ」
「弱った元始の炎は自らの保持と保全のためにエネルギーを吸える宿主を探したのじゃろう。対象のマナを吸い尽くし、自分の養分にしようとしたのかもしれんの」
俺は思わずフェイを見た。
ティゼッタからの帰り道、奉献部隊襲撃の際の体調不良。マナを使う魔術の〝不発”。あの時から、すでに?
「ベルランテに戻ってから、自分の中のマナ回路が変質してるのには気付いたわ。おそらく、元始の炎に取り憑かれたせい。もしかすると、受け入れるために身体を作り替えられてたのかもしれないわね」
フェイが取った行動は幽霊対策に近いものだった。マナ回路がある魔術ゴーレムを器として、元始の炎の力が蓄積されないように、常に使い続けるようにプログラムを組んだのだ。延々と炎環を回し続けるだけの装置に変えてしまった。
それを実行するのに、どれほどのギャンブルがあっただろうか。詳しくは語らぬフェイの横顔からは読み取れない。ただ、簡単にはいくことじゃなかったことはわかる。俺は拳を握りしめた。
「変な責任を感じないでよ」
フェイの呆れたような声。俺は弾かれたようにうつむいていた顔をあげた。
「だけど――――」
「全部の出来事にあんたが関わらなきゃいけないわけじゃないわ。『俺が何とかしなきゃ』とか思い上がらないでよね」
キツイ物言いに聞こえるが、声音にあるのは柔らかい優しさだ。気にするなというようにひらひらと振られたフェイの手。俺は何とも言えない気持ちのまま、その手を見つめた。
「それで、今はどうなってるんだ?」
「元始の炎とはまだ繋がっておる。空転させられておるだけで、あやつも健在なままじゃ。魔術ゴーレムが壊れればまた小娘の身体に戻ってくるじゃろうな」
「ま、なんとか解決策を考えるわ。マコトもいいアイデアがあったらまた教えてほしいのよ」
今すぐフェイがどうにかなってしまうということがないことがわかって、俺は胸をなでおろした。
どうやら俺に聞いてほしいというより、ゴーレムの研究者としてのミオセルタの意見も聞きたいという部分があったのだろう。
安心したからか、思わず口から率直な気持ちが声に出てしまう。
「何だ、話したいってのはこのことか。てっきり俺は違うことかと思ってた」
「違うことって、何よ」
「いや、フェイが俺のことを――――」
いや、これを言うのはどうなんだ。
俺はそこで口をつぐんだ。フェイとの距離が近い。近すぎる。密着といっていい距離から、俺を見上げている。
「そういう話だったら、どうするつもりだったの?」
「あ、いや……」
濡れたような瞳から、目が離せない。何かの圧力が視線を吸い寄せる。
ゆっくりと、触れるほどに顔が近付いてきてる気がする。
え、あれ? どういう状況? このままだと――――。
唇が触れそうになった瞬間、ノッカーの音が響いた。
「―――――ッ!?」
思わず我に返る。気が付けばすでにフェイは身を離していた。何食わぬ顔で玄関の様子を見に歩き始めている。
「青春よのう」
ミオセルタのにやついた声が俺を打つ。俺は苦い顔になった。
俺はいまだ跳ねる心臓を持て余しながら、フェイの後を追うことにした。




