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第219話「酒宴」

 鼻と鼻がぶつかりそうな位置。そこにフェイの顔があった。

 荒い息、熱っぽい視線。艶やかな唇が震えている。たき火の灯りに照らされて、上気しているように見える。

 フェイはトレードマークともいえる二つおさげを解いていた。乱れ気味の髪が、色っぽく見えなくもない。


「だからさぁ、一体どうなってんの、マコトの身体。一回全部掻っ捌いて中身を見てみないことにはわからないわけよ。わかる? 開いていい?」


 いいわけあるか。


「ねぇ、聞いてるわけ? 聞こえてないの? 聞こえてるでしょ? 焼く? 一回焼いちゃう?」


 ――――どうしてこうなった。


 極限の状況に追い込まれた時に、人間誰しもそう思ってしまうものじゃないだろうか。

 もちろん、俺もその一人だ。


 原因はマカゲだった。

 ツヴォルフガーデンへの遠征を決めたその夜、大ニワトリや歩きキノコを狩り、山菜と一緒に煮込む鍋料理を堪能していた時だ。

 マカゲが鞄から大きな瓶を取り出して言った。


「拙者、いい酒を持ってきたのだ。月見酒というのはどうだ?」


 確かに自然豊かな秘密訓練場からは月がよく見える。虫の音も聞こえてくる。

 風流に吞むにはとてもいい環境だと言えよう。


 それを聞くとミトナも大テントから酒樽を引っ張り出してきた。ソリエント村で購入した蜂蜜麦種(ソリエミード)だ。飲まずにとっていたらしい。


 マカゲが次々に取り出す酒瓶を、フェイが手に取って珍しそうに眺める。


「へえ……。お酒?」

「フェイ、お前飲んでも大丈夫なのか?」

「失礼ね。成人してるから問題ないわよ」


 その言葉を信じたのが間違いだった。

 はじめはマカゲの酒から始まり、飲みやすいからと蜂蜜麦酒(ソリエミード)に移り、だんだんペースが上がって来たと思ったら、気が付くとフェイは俺の目の前に座っていたのだ。

 右手に果実酒の酒瓶を持ち、目が据わっている。


 そう、そこに居るのはまごうことなき酔っ払いだった。

 完全に、できあがった人間がそこに居た。


「マ、マカゲ……!」


 俺は助けを求めて視線をさまよわせた。東方の珍しい酒を片手に、杯を傾けていたマカゲが身体ごと回転して後ろを向く。心の声がびんびんと伝わってくる。巻き込まないでくれ、だ。


 マカゲの卑怯者め! その毛皮は飾りか!


 ちなみにミトナもダメだ。

 彼女が酒に弱いことはソリエント村の一幕で証明されている。すでにミトナ自身が持ち込んだ蜂蜜麦酒(ソリエミード)を飲んで一人でつぶれている。

 俺の背中にもたれかかるようにして、何が楽しいのか時々小さな笑い声を漏らしながらちびちびと少しずつ飲み続けている。ミトナのパターンだと、もう少しすると寝てしまう。


 バッシーンと思いっきり両側から顔を挟まれた。


「いってぇえ!?」

「うるさいわね! 黙って挟まれてなさいよ! この、マコトの癖に!」

「わけわかんねえよ!」


 フェイは俺の首に腕を回すと、肩を組む。持っている瓶を傾けると俺のカップに大量に酒を注いでいく。ものすごい勢いでこぼれているが、気にしている様子はない。


「おわっ! フェイ! こぼれてるって」

「ぁあん? わたしの酒が飲めないってのかぁ?」

「わかった! ちょっと離れろ! 無理矢理カップを押し付けてくんな!」


 表面張力いっぱいまで張った酒に口を付けると、満足そうな酒臭い息を吐いて、フェイはようやく離れた。ぎひひひとよくわからない笑い声を上げている。俺は思わずため息をついた。


「だから飲んでも大丈夫かって聞いたんだよ。全然大丈夫じゃねえだろ」

「うるさいわねぇ。大丈夫なんてマコトに言われたくないわよ。いつも勝手に突っ走っていくくせに。肝心な時にはいないくせに」


 噴火は収まったのか愚痴モードに入ったフェイは延々と呟く。

 地面に生えている草を引きちぎり、たき火へと投げ入れながら。


「私だって大変なのよ? 魔術師ギルドの仕事もあるし、魔術の研究もしたいし、いろいろ見てまわりたいし。すごいでしょ? すごいっていいなさい」

「はいはい、すごいすごい」

「でしょ?」


 ふふん、と偉そうに胸を張るフェイ。

 確かにフェイは結構色んなことをしている。魔術師ギルドの仕事で都市間を飛び回ったりしている。かと思えば迷宮(ダンジョン)へも出かけていく行動派だ。


 さっきから背中にもたれかかってくるミトナも、普段は店番をしていたり、防具のデザインや作製をするなど、独り立ちできる技を持っている気がする。


 フェイもミトナも俺より若いのに、しっかりしてるよなあ。


「ほんと、すごいよな」


 一瞬フェイの目が見開かれた。その後にんまりと細められる。


「わかればいいのよ」


 一転静かになったフェイは、どんどんと飲み進めた。さらに瓶を空にして、マカゲの荷物から勝手に新たな瓶を引き出してくる。

 酔っ払い言動はしているものの、かなり強い体質なのはわかった。ミトナとはまた違う酔い方に思わず笑いが出る。

 いつのまにか身体の向きが戻って来たマカゲが、情けない顔をしながらおずおずと申し出た。


「フェイ殿……それぐらいにされては……」

「まだまだ飲めるわよ。だいじょうぶなんだから」

「いや、拙者の酒が……」


 ちらりとマカゲが俺を見た。俺は憮然とした表情でその顔を見返した。

 

「さっき無視するから助けねえよ。自業自得だ」

「マコト殿ぉ」


 俺は深く息を吐いた。喉に通る酒が気持ちいい。

 別に助けるわけじゃないが、前々から気になっていたことをフェイに聞いてみるか。


「フェイはさ」

「何よ」

「〝空を飛ぶこと”に何か思い入れでもあるのか。かなりこだわってるよな」

「んー……」


 フェイは静かに燃えるたき火を見つめた。その瞳に炎の揺らぎが映る。

 そのまま炎を見つめながら、口を開いた。


「鳥ってどうやって飛んでいるのかしら。構造も思考も違うから、全然わからないのよね。小さいころからその秘密を知りたくて、たくさん鳥を飼ったのよ。鳥型魔物はさすがにだめだって言われたけどね」

「契約してない魔物は危なくないか? でも、俺も飼ったなぁ、鳥。世話するのが意外と大変だよな」


 懐かしき学生時代がふとよみがえってくる。飼っていたインコはよく卵を産んだものだ。エサや水やり、鳥かごの掃除がなかなか大変だった。

 それがフェイの理由なのだろうか。


「……魔術ってすごいわよね」


 フェイの言葉は炎に吸い込まれていく。


「何もないところから炎や雷、水や光を生む。麻痺をさせたり、人を搦め取ったり、光の壁を創ったりする。見た目はすごいわよ。驚きよ。でも、魔術っていうのはそうじゃないわ。もっと、違う〝もの”。不可能を可能にする〝もの”だと思うのよ」


 何が言いたいのかわからず、俺とマカゲは黙ったまま先を促した。


「別に何でもよかったのよ。人間に〝できないこと”だったらね。人の心や記憶を操作することでも、時間を操ることでも、何でもね。〝できないこと”の中で、一番〝空を飛ぶ”ことが私にはしっくりきたってだけ」


 フェイは酒瓶を置くと、身体を小さく丸めるようにして、膝に頭を乗せる。


「魔術って、戦うための道具じゃない。ニンゲンのできないことを補完して、新たな領域へたどり着く道具なのだと思うの」


 フェイが開いた掌の上で、小さな鳥型の炎が生まれる。一度羽ばたくと、たき火の炎の中へと消えて行った。


「確かにのう。今の魔術師というものは、古代とは違っておるよ」


 その声は俺の懐から聞こえてきた。ミオセルタの核を取り出すと、そっと地面に置く。


「ミオセルタ。お前、生きてたのか」

「生きとるわい。失敬なやつじゃの」


 ミオセルタの核から、不機嫌な感覚が伝わってくる。


「いや、最近ぜんぜん喋らなかったからさ」

「わしも忙しいんじゃ。マコトばかりかまっておられん」

「核しかないくせに何が忙しいんだよ」

「いろいろじゃよ。それより今は魔術の話じゃろ。ワシの時代じゃと空を飛ぶ船もあったもんじゃ。ほんと、いろいろ考えよるわ」

「空飛ぶ船……。拙者は想像もできんな」

「信じておらんな、よし、詳しく話してやろう。酒の肴にはよいじゃろうて」


 マカゲがいぶかしげにつぶやくのに、ミオセルタが食ってかかる。二人が話し込みはじめるのを横目に、フェイは焚き火を眺めている。


「私が空を求めるのはそんな理由よ。自由に飛べたら、気持ちいいと思うわ。単純にそれだけかもしれないけどね」


 フェイはぽつりとそれだけ言うと、立ち上がった。自分の右腕を抱えるようにして、大テントの方へと歩いていく。


「寝るわ。ミトナも寝てるみたいだけど、どうにかしなさいよ?」

「うわ! ミトナいつの間にか寝てる!」


 それだけ言うとフェイはさっさと大テントに入ってしまう。

 鍋と酒瓶の片付けをマカゲに任せると、俺はミトナをなんとか抱え上げた。意識がないからかしなだれかかってくる身体を背中で感じながら、無の境地で大テントまで運ぶ。

 気にしない。気にしない。

 どうしてこう、いい匂いがするんだろうな。


 大テントに設えられた簡易ベッドの一つに、すでにフェイが横になっていた。もう一つの空いているベッドに、何とかミトナを転がす。


「……マコト」

「何だよ」


 聞こえてきた声はなんだか切羽詰まった様子だった。

 フェイが逡巡する雰囲気が伝わってくる。目線をやるが毛布を頭の上まで引き上げているので、大きな芋虫にしか見えない。

 出ようかと思うぐらいの時間が経った時、ぽつりと聞こえた。


「ツヴォルフガーデンから戻ったら、言いたいことがあるんだけど。聞いてくれる……?」

「言いたいことがあるんだったら、今言えばいいだろ?」

「……戻ってからにするわ」


 それ以上は待っても何もなかった。

 俺は頭の中を疑問符で埋めながら大テントから出たのだった。

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