第216話「穢れ」
ベルランテ街はずれ。多くの人間や獣人、半獣人が忙しく歩き回っている。
作業スペースから少し外れたところにある切株に俺は座っていた。
リストラされたお父さんのように呆けた顔をしているが、そうじゃない。冒険者ギルドから受けてきた、護衛の任務だ。
春先というのは生き物が増える時期だ。もちろん魔物も例外ではない。ベルランテ南部ではマルフが増えているらしい。しばらく子育てに専念するマルフは逆に姿を見なくなるとか。
増えた魔物は成長するために食べ物を求める。小さな魔物ならばまだしも、ある程度の大きさを持つ肉食の魔物は街へとやってくることもあるのだ。
あとは冬眠から目覚めた大型の魔物だろうか。この前のケイブドラゴンもそうだ。そういった飢えた魔物が人里へと降りて来る可能性もある。
そういった理由で街の外の作業について冒険者による護衛を依頼されているのだ。周辺には俺と同じ依頼を受けた冒険者がちらほらと見える。目線が合うと手を振られたので振り返しておいた。
日ごとに早い者勝ちで落札するため、護衛メンバーは多少変化していた。まあ、この一週間ほどは何も出てこないので冒険者の間では楽なクエストとしてみんなが狙っているのだ。
街というのは生き物だ。
俺がそう気付いたのはベルランテが急激な発展を遂げているからだろう。
ぼんやりと眺める先で、家のカタチが整っていく。道が整備され、住宅街として仕上がっていく。
少し前までは何もなかったように感じていたのだが、建築というのはすごいものだなと感じていた。
実際思い返してみると、昔から知っていた飲食店がつぶれたり、コンビニが新しくなったり、公園ができていたりと、自分の街だって変化はしていたのだ。それに気付く余裕がなかっただけで。
「お前はどんなところから来たんだ?」
クーちゃんがお腹を丸出しの恰好で眠っている。夢でも見ているのか、時折ぴくぴくと鼻が動いていた。
これが神に近い獣だとか、到底思えないよなあ。いつかそれも知る時が来るんだろうか。
太陽の光は柔らかく、鼻をくすぐるの新緑の匂いが心地よい。暖かな風が吹いて、木の枝をざわざわと揺らした。
こういうのんびりとしたのもいいよな。
元の世界の俺は、追い詰められていた気がする。
何かに追い立てられるように、いつでも何かをしなけりゃならないという圧迫感があった。
時間を、一分でも、一秒でも、刹那でも無駄にできない。強迫観念。
何もしないでゆっくりと、ゆったりと過ごすなんて、あっただろうか。
ここでは生きるための依頼や魔物との戦いといった緊張はある。だが、こちらの世界に来てからは、ゆったりとした過ごし方が自然とできるようになっていた。
今度、ピクニックでも行くのもいいかもな。
ぼんやりと、頭の中で思い浮かべる。誰を誘うか。ミトナと、フェイとマカゲは当然誘うとして、ルマルも誘うだろう。コクヨウとハクエイももちろんついてくるだろう。ショーンやウルススさんも来れるだろうか。
楽しい想像をしていると、ふと知っている顔を見つけた。大柄の虎男。鋼のような毛並と、鍛え上げられた身体からは武人としての威圧感を感じる。ゆらりと尻尾が揺れていた。
「……ヴェルスナーじゃねえか」
ヴェルスナーの傍らには、顔布の人物が寄り添っていた。前も見えないような垂れ付き頭巾。いつもの呪術師だ。
視線を感じたのかヴェルスナーが俺を見た。面白そうな表情になると、そのまま近寄ってくる。
呪術師は寝ているクーちゃんの傍にしゃがみ込むと、じっと眺めはじめた。意外と動物好きなのかもしれない。
「よお、魔術師じゃねえか。最近景気がいいみたいだな」
「おかげさまでな。ヴェルスナーはどうしてこんなところに。見回りか?」
作業をしていた獣人たちが一瞬ざわりとなったが、ヴェルスナーがニヤリと笑ったことで落ちつく。
俺の話し方とかが気になったんだろうな。やっぱり一目置かれているみたいだな、この虎獣人。
「まあ、そんなもんだな。ちょいと下見さ」
「知り合いでも引っ越してくるのか?」
そういえばここは獣人街になる予定だった。さまざまな獣人に対応できるように、特殊なつくりをしている家もちらほら見かける。
「まあな。向こうであぶねえ仕事をやってた奴が、仕事辞めてくるって聞いたからよ」
「危ない仕事ってなんだよ」
「聞きたいか、魔術師」
ヴェルスナーの牙がせり出し、目が細められる。獲物を狙う目がそこにあった。嫌な予感が走る。
そもそもヴェルスナーがいう『危ない仕事』がまともなわけがない。
「お前みたいな魔術師狩りを専門にした――――」
「ヴェルスナー様」
凛とした声が聞こえた。張りつめたその声は、透き通った氷を思わせるような美しい声。それも若い女の声。
一瞬誰かと思ったが、どうやら呪術師の覆面の下から発せられたようだった。
見ればいつの間にかクーちゃんも身体を起こしていた。目を細め、じっと森の暗がりを見ている。どうやら呪術師も同じ方向を見ているらしい。
「穢れたマナが来ます」
ヴェルスナーに緊張感が走ったのがわかった。
その身体に力が入り、戦う意思がみなぎったのがわかる。何が起きているのかついていけていない俺より、ヴェルスナーはわかっている。
「何が……!?」
「構えろ魔術師! 来るぞ!」
「――――<空間把握>!」
魔法陣が割れる。一気に広がった感覚が森まで届いた。魔術的な感覚が駆けて来る大型の獣を捕捉する。
形状としては大型のイノシシだ。このあたりによく生息する獣。それが一直線にこちらに向かって走ってきている。その様子が異常なのだ。
俺はぞっとした。森の木々があるはずなのに、全てを無視して一直線で駆けて来る。身体にぶつかろうが、枝がひっかかろうが気にした様子がない。
「ヴェルスナー、イノシシだ! でっかいやつ」
「ァア!? 鬣猪?」
ヴェルスナーが呆れた声を出した。大型だが鬣猪はそれほど難易度の高い敵ではない。直線の突撃さえ躱せば、方向転換にまごつく間に攻撃しほうだいの上に、脚を攻撃すれば突進力も失われる。冒険者どころか腕に覚えのある肉屋も狩れる。ベルランテの猪肉の提供源になっているくらいだ。
「――――来ます」
呪術師の声は、いまだ緊張感を保っていた。むしろ、さきほどより焦燥感が濃い。
鬣猪が森から姿を現した。太く短い脚で力強く地面を蹴ってこちらに向かってくる。
「な……んだありゃ! 病気か!?」
誰が見ても異常だった。
鬣猪はよだれを垂らし、完全に白目を剥いている。怒り狂った様子で鳴き声を上げながら突進をしてくるのだ。
その異常な様子に、周りの冒険者たちの顔が変わる。
「作業をしてる人の避難を頼む! こいつはこっちで抑える!」
俺の言葉を受けて、血相を変えて他の冒険者が動き始めた。
その間にヴェルスナーが前に出た。息を大きく吸い込むと、咆哮を叩きつける。
「ゴオアアアアアアアアアッ!!!」
ヴェルスナーの<たけるけもの>だ。
ビリビリと空気を震わせる。俺の肌まで伝わってくる。この威力なら、鬣猪程度の獣なら完全に行動阻害に掛かる。
プギィイイイイイイイイ!!
「なんだとッ!?」
鬣猪の身体が震えたのは一瞬だ。断末魔のような叫び声をあげながら、なおも突進をやめない。ヴェルスナーは止まると思っていたのだろう、もう避けられる位置になかった。両腕を広げて腰を落とす。
「クソがッ!!」
がつんと音を立てて激突。かなりの勢いがあったにも関わらず、ヴェルスナーは完全に抑え込んだ。突き出た猪の牙を掴む。ぎちぎちと筋肉が盛り上がった。
「おぅらああああ!!」
どれほどの力がかかったのか、鬣猪の首が折れた。それでも突進が止まらない。ヴェルスナーの目が見開かれた。
「<氷剣>―――!」
ヴェルスナーを避けて、俺の生み出した三本の氷剣が上空から落下。鬣猪の身体を串刺しにして、地面に縫いとめる。
「おわッ! あぶねえぞ魔術師!」
「ヴェルスナー、まだ死んでないぞソイツ!」
「はぁ!? どうなってんだ!?」
俺が知りたいよ。
首が折れ、背骨すら砕いて三本の氷剣が刺さっているのにまだうごめいている。口や目からは血が流れ出ていた。まるでゾンビだ。
もがく鬣猪に、呪術師が近付いた。何事かをささやく。
危ないと警告する前に、いきなり鬣猪の身体が止まった。何かが鬣猪の身体から飛び出したように見えた。
とたん、ぐんにゃりと脚を投げ出し、電池が切れたかのように動かなくなる。
しばらく呪術師は死骸を見つめていた。やがて視線を外すとヴェルスナーの傍に戻ってくる。
「ヴェルスナー様、報告は大老の許で」
「オウ。んじゃ、オレ様は行くわ。後頼んだ、魔術師」
あっという間の早業で、ヴェルスナーと呪術師が去っていった。
なんだなんだと集まってくる他の冒険者と後処理をしながら、俺は今見えたものを思い返していた。
呪術師から伸びた鎌と、刈り取られて飛び出した、何かを。
あれ――――幽霊じゃなかったか?




