第208話「視線」
フェイと別れた後、ベルランテで宿をとることにした。フェイは魔術師ギルドの宿を勧めてくれたが、俺は笑顔で断った。あの宿に泊まることはないだろう、二度と。
探してみればベルランテに宿は多くあった。宿にもランクがあり、高ランクほど豪華な部屋になり、値段も高額になってしまう。中には冒険者の証のランクを示さねば泊めてくれないものもあるのだ。
いくつか宿を探して、ちょうどいい宿を見つけた。『洗う蛙亭』よりも少し広い部屋を確保する。値段は『洗う蛙亭』と比べれば当然上がるが、払えないほどではない。
だが、ずっと借り続けるとなればやはりお金の問題が浮上してくるのだ。
「依頼で稼がないといけないよなあ」
俺は歩きながらそうこぼした。横で並んで歩くアルドラが不思議そうな顔をする。
向かっているのは『洗う蛙亭』。預かってもらっている俺の荷物を引き取ることにしたのだ。いつまでも厚意に甘えて置いておくわけにもいかないだろう。
『洗う蛙亭』の扉を開けた俺は、知っている人物の姿を認めた。足を止めた俺を追い越したクーちゃんが、振り返って不思議そうな顔になる。
「来たでござるな。待っていたでござる」
「あれ、なんでこんなところにいるんだよ」
「マコト殿を待っていたのでござるよ」
バルグムの隠密。情報屋のハーヴェだ。
小さな身体をスツールの上にのっけている。トレードマークの大きな帽子は変わらない。
俺の顔を確認すると隣の席を示した。
俺が隣に座ると、鹿の店主が水の入ったグラスを差し出してくれる。お腹も減っていたので何か食べるものを頼むことにする。
ハーヴェがいたずらを聞いた少年のような笑みを向けてきた。
「大変だったらしいでござるな」
「何がだよ」
「聖王都の事でござるよ」
こいつ……。
俺は胡乱な視線をハーヴェに向ける。どこから情報を得ているんだか。
まさか全てを知っているわけではないだろうが、いらないことは言わないほうがいいな。ここでわざわざ待っていたということは、何か用事があるのだろう。先にしゃべらせた方がいい。
「それで、何の用だよ?」
若干機嫌が悪い声が出てしまったのはしょうがない。ハーヴェは気にした様子もなく話し始めた。
「幽霊屋敷と言ってわかるでござるか? 貴族街にある、マコト殿が今日依頼で行ったところでござるよ」
「お前、本当にどうやって情報得てるんだよ」
「職業上の秘密でござる。それで、その内部での様子を教えてほしいのでござるよ」
「まあ、いいけどな」
依頼者のサウロのことも含め、屋敷内であったことをハーヴェに話す。レブナントの封印のことや、逃げた〝長毛”などのことは騎士団にも知ってもらったほうがいいだろう。街の安全も担っているのだから。
「穢れの死魂……。そんな魔物が街中に。マコト殿が居たのは運がよかったでござるよ」
「まあ、サウロさん一人でも倒せそうな感じはしたけどな」
実際サウロの動きはとても戦い慣れたものだった。<浄化>の威力を見ても十分だと思える。
その名前を聞いてハーヴェが不思議そうな顔をする。
「サウロ殿でござったか。教会の職員にそんな名前の者はいたでござったかな……?」
「でも<浄化>を使ってたぜ」
「そうでござるな。<治癒の秘跡>や<浄化>は教会の者しか使えないでござるしな。別の街の神父ということでござろうなあ」
まだ納得していない顔だったが、そうハーヴェは結論づけたようだった。
「レブナントの封印は、そのサウロという御仁を狙って仕掛けられた可能性が高いということでござったな?」
「おそらくだけどな。もしかすると誰でもいいっていう奴なのかもしれないけどな」
「こちらでも少し調べてみるでござるよ、その御仁のことも含めて」
ハーヴェの目が真剣な光を帯びる。俺が接した限りではいい人そうだったんだけどな。
「そういやフェイも言ってたけど、レブナントってそんなにやばい魔物なのか?」
「レブナントは確かに脅威でござる。しかし、一匹ならまだマシでござるな。もし数匹いるようならレブナントクィーンがいる可能性があるでござるからなぁ」
「レブナント女王?」
「レブナントは肉体を乗っ取る魔物でござるが、それで数が増えるわけではござらん。個体数を増やすのはレブナントクィーンのみの能力と言われているでござるよ」
俺は思わずレブナントが大量にいる図を想像してしまう。あの気持ち悪い腕が大量に迫ってくるのだ。
「うへぇ」
あれがうじゃうじゃ出てきたら、絵面的にもかなりしんどいな……。
俺はハーヴェに話すうちにふと思い出した。そういえば屋敷の中に居たのは三人とも獣人だった。街の中でもよく見かけた気がする。
「そういえば、街の中に獣人が増えたって気がしないか?」
「近頃ベルランテが獣人の受け入れを増やしたのでござるよ。街の外周部に居住区エリアを増築する形でベルランテの規模を大きくしようとしているらしいのでござる」
「大丈夫なのか? 獣人の国とは争っていた気がするけど」
「聖王国の首都ならともかく、ベルランテは港街という性質上そこまで排除する感じではないでござるよ」
ベルランテは貿易を主体とする港町だ。
ハーヴェの話によると、獣王国の他にさらに西方の国からも海路を使った貿易のやりとりをしているらしい。聖王国は麦と木材を輸出し、代わりに獣王国の鉱石や香草、西方の美術品や貴金属などを輸入しているという。
鹿の店主が絶妙なタイミングで俺の前に料理を置く。一瞬生まれた隙に、ハーヴェはスツールから下りると俺に頭を下げた。
「今日は助かったでござる。また騎士団の方にも顔を出してほしいでござるよ」
「気が向いたらな」
見もせず手を挙げて、ハーヴェを送り出す。
俺は目の前に置かれた料理に取り掛かることにした。
アルドラに荷物を積み込み、夜のベルランテを歩き出す。ハーヴェと話し込んでいたのと食事をしたのとでけっこうな時間が経っていた。
とっている宿に向かって歩く道にも、あまり人影はない。
アルドラの頭の上で寝そべっていたクーちゃんが、いきなりその頭をもたげた。当たりを嗅ぐように見渡す。クーちゃんがこの状態になったときは、何かに気付いた時だ。
「<空間把握>!」
俺は即座に魔術を起動。これなら背後も捕捉できる。だが<空間把握>でも怪しい人物は捉えられない。俺は警戒心を引き上げた。
(アルドラ、何か感じるか?)
(……否)
しばらく警戒するが、何が起きるわけでもない。
気のせいか……?
視線を戻せばクーちゃんはまた元の姿勢に戻っていた。
アルドラの感覚でも捉えられないなら、ただ単に食べ物の匂いがしたとかかもしれない。
「昼のことがあったから、過敏になってるのかもな」
俺は若干足早になると、宿を目指してベルランテの街を歩き出した。




