第207話「封印」
ずるりと、レブナントの本体が抜け出してくるのを目の当たりにした。
焦げ付いた死骸をまるで要らない服を脱ぎ捨てるように抜け出す。
「うッ……!?」
フェイが声を詰める。息を吞む音が聞こえた。
穢れの死魂。それは奇怪な形をしていた。
大きな胴体に巨大な眼球が一つ、歯をむき出しにして、噛み付くようにこちらを威嚇する人間の口が一つ。死肉のような胴体に、人間の腕をむりやり伸ばしたような脚が五本でたらめにくっついている。
まるで人間のパーツを粘土細工のようにくっつけたかのような気持ち悪いデザイン。見ているだけで生理的な気持ち悪さがこみあげてくる。
俺は一瞬でマナを練り上げると魔術を速射する。とにかく先制攻撃だ。
「<氷刃>!」
魔法陣が割れ、氷の短剣が射出される。だが、レブナントは伸ばした腕で天井を掴み、身体を引き上げることで回避。床に短剣がむなしく突き刺さる。
ぎょろりと目玉が俺を見た。ゴムのように伸びる腕。予想外の速度で俺に迫ってくる。
「<祓いたまえ! 〝浄化”>!」
背後から力強い声。俺とフェイをかばうように前に出たサウロが<浄化>を放つ。まばゆい光が波のように廊下を満たしながら突き進む。
レブナントに浄化の光が命中した。
――――ぎょおおおおおううおおおおお。
浄化の光に中てられてレブナントの身体が溶け始めた。レブナントが目を見開いて絶叫を放つ。
身体が溶けだしたのが苦しいのか、めちゃくちゃに手足を伸ばしてのたうちまわった。
「うわっ!?」
俺の鼻先をレブナントの指が通りすぎる。サウロの盾がレブナントの腕を弾く。
こいつ、幽霊を一撃で消滅させる<浄化>で消えないのかよ!
俺は霊樹の棒でレブナントの腕を払った。本体がごろりと転がる。そこにサウロの咆哮するような声が響いた。
「――――<浄化>!!」
レブナントの至近距離で浄化の光が炸裂する。今度は逃さない。腕を持ち上げるがそこで力尽きた。溶かすようにレブナントの身体が消滅する。浄化されたのだ。
廊下に静けさが戻ってくる。
三人の目で警戒するが追撃は無い。レブナントは今ので最後なのだろうか。
「これで終わりか……?」
「わからないわよ。さっきの犬獣人は屋敷の外に逃げたのかしら」
「たぶんな。近くにはいない」
<空間把握>には反応はない。生き物の反応は、だが。
サウロが緊張した面持ちで辺りを警戒する。二度の<浄化>でも消耗した様子はない。サウロは申し訳なさそうな顔を俺達に向けた。
「まさかレブナントが居るとは。大丈夫ですか、お二人とも」
「ええ、大丈夫です」
「本当に助かりました。さすが冒険者、お強いのですね」
サウロが安心したように言う。俺は苦笑した。
冒険者になりたてのころから比べると強くなっている気はするが、さっきのは喉潰しを喰らったりして危ないところだった。もっとうまく戦えたんじゃないか。
「でも、おかしいわ」
「フェイ?」
「幽霊程度ならベルランテの街中で発生する可能性もあるわ。だけど、穢れの死魂なんて高位の魔物、こんなところにいるはずがないのよ。どうして……」
「おかしいことなのか?」
「被害の規模で言えば、街の中心部で中級魔術が爆発するレベルね」
どうしてともう一度口の中で呟き、フェイは短杖を振りながら考え込む。
確かに、身体を器として乗り移る悪霊が街に放たれれば、ひどいことになるだろう。しかもレブナントに殺された者は幽霊を詰め込まれてさまようおまけつきだ。
獣人の遺体に祈りを捧げていたサウロが顔を上げた。その顔は決意に満ちている。
「もしかすると屋敷内にまだ悪霊が存在しているかもしれません。屋敷をくまなく調べましょう。手伝っていただけますか?」
「わかりました。もとからそういう依頼ですからね」
屋敷は広い。一階をくまなく探索するのにそれなりの時間を要した。一階にはもう何もない。
続けて正面ホールから二階へ。ひとしきり二階を調べるが、もう魔物は出てこなかった。
最後に辿り着いたダンスホールらしき部屋でさっきの獣人の荷物なども見つける。フェイとサウロが荷物を調べるが、たいしたものは見つからない。
荷物を調べながらフェイが口を開いた。
「この荷物。あいつら冒険者ね。アンデッドを召喚したのかと思ったけど……」
「邪悪なものは感じませんね」
荷物を調べるのは二人に任せ、俺は部屋の中を調べる。ふと、椅子の後ろ、壁際に何かゴミのようなものが落ちているのに気付く。
「なんだこれ……?」
紙製の何かのようだ。開いたみかんの皮というか、花弁の折り紙を思わせる造形だ。古くなってぼろぼろに見える。俺は手に取ってみた。裏返してみると表面にびっしり何かの文字が書かれていた。ちょっと怖くなるくらい執拗に書かれているため、表面が真っ黒に見えるほどだ。
とりあえず二人に見せてみよう。
「フェイ、これなんだかわかるか?」
「何かしら。見たことある気がするのよね……」
フェイは紙片をつまみあげると眉根を寄せた。裏返したりしながらまじまじと見つめる。
「それは――――封印です」
サウロがフェイの手から紙片を受け取る。
「つぼみのように丸くなっているのが本来なのですが……」
「それって、何をするものなんです?」
「これは、霊魂系魔物を圧縮して封じ込めるための魔道具なのです。おそらくレブナントはこれに封印されていたのでしょう」
「この部屋にあるってことは、やっぱりあいつらの持ち物ってことよね」
「いえ、おそらくそうではありません」
フェイの言葉にサウロは顔を曇らせた。紙片をそっと懐にしまいこむ。俺とフェイは疑問の顔になった。どうしてわかるのだろうか。
サウロが静かな声で言う。
「おそらくこれは私を狙って設置された罠でしょう。誰かが屋敷内に入れば封印が解除される仕組みになっていたのだと思います」
「サウロさんが冒険者と同行することを見越してってことよね?」
「ええ、そうでしょう。狙われたのはワタシでしょう」
フェイの顔が青くなった。サウロを殺すためにレブナントは仕掛けられたのだ。罠を仕掛けた奴はそのあとベルランテの街でどんなことが起きるかなど考えていない。酷い手口。
「これ以上の封印はないと思います。巻き込んでしまってすみません」
「あ、いや……」
「それと、これも申訳ないのですが、依頼の報酬としてこの屋敷をお渡しすることはできません。見合った報酬はお支払いいたします」
サウロは言うなり深く頭を下げた。
サウロの言うことはわかる。かつてサウロの持ち物だったこの屋敷が狙われたということは、持ち主が変わってもこの屋敷が狙われる可能性があるということなのだ。
襲撃される危険性を持った屋敷を渡すわけにはいかないということなのだろう。
俺はサウロに頷いた。立派な屋敷だったがしょうがない。それに、俺には広すぎる。などと自分の心を誤魔化すことにした。
サウロと共に屋敷を後にする。サウロがしっかりと円型の門扉を閉じる。
「念のため封印がこれ以上ないか、教会から人をよこしてくまなく捜索しておきます。安心してください」
サウロが穏やかな笑みを浮かべた。その笑顔を見るとそれ以上何も言えなくなる。まあ、教会というくらいだから霊魂系は専門分野かもしれないしな。
大き目の路地で俺達はサウロと別れる。報酬は後ほど冒険者ギルドまで届けてくれるらしい。カウンターで受け取れるはずだ。
別れたあとで、報酬の代わりに<浄化>などの教会魔術を俺に撃ってもらえばよかったとちょっと思ったが、今更言い出すのも変なのでやめておくことにする。
「しかし、どうするかなあ。やっぱり普通に宿にするか?」
俺はぼやく。振出しに戻ったというわけだ。
お腹がすいたのかずっと鞄の中に隠れていたクーちゃんが顔を出した。その顎をくすぐりながらフェイが口を開く。
「あまり力になれなくて悪かったわね」
「いや、依頼まで手伝ってくれて感謝してる」
「そう?」
「そうだよ。にしても、定住するっていうのは難しいんだな」
俺の苦笑に、フェイが悩んだ表情になった。
「なんだか市民登録を制限していた感じがするのよね。いつも、もっと受け入れていた気がするわ。どうしてかしら……」
思い出したようにぽつりと呟いた言葉は、夕方のベルランテの空に吸い込まれていった。




