第205話「穢れの死魂」
俺達が通って来た扉から姿を現したのは犬頭の獣人だった。胴を覆う革鎧、手と足は動かしやすいようにフリーになっており、灰色の毛並をした手足が見える。
腰には両手剣とまではいかないが、大型の片手剣を抜き身でぶら下げている。獣人の腕力で振り回せばかなりの威力だろう。
俺は眉をひそめた。どこか見覚えがあったからだ。
こいつ、どっかで見たと思ったらさっき凍らせかけたやつじゃねえか?
犬獣人は気怠そうにあくびを一つ。サウロが不思議そうに問いかけた。
「貴方たちは何者です。この屋敷に何か用ですか?」
「いやぁ。オレ、冒険者なんだけどね。おたくら、この屋敷の持ち主?」
「その通りです」
犬獣人は胸元のポケットから冒険者の証を取り出して見せた。サウロが納得したのか盾を下ろす。
「冒険者……。依頼を見た方ですか?」
「そうだなぁ……」
サウロの言葉を生返事で流しながら犬獣人がさっと俺達に視線を走らせた。特に、手に持つ武器をチェックしたようだ。フェイを見たときにぴくりと手が動く。
俺とフェイは身構えた。おかしい。敵にしては受け答えが間延びしすぎている。襲い掛かってくる感じじゃない。だが、その瞳や態度には友好的なところは見られない。
犬獣人が足を止めた。こちらから仕掛けるきっかけもないまま微妙な空気が出来上がる。
獣人の身体能力は高い。接近戦はあまりしたくない相手だ。さらに廊下という狭い場所では、大規模な魔術は使いにくい。
「まあ、一つ、アンタらにお願いがあってさ」
じれったくなるほどゆっくりとした物言い。犬獣人が剣先を上げた。サウロが悲しそうな顔をする。
その時、<空間把握>が、反対側の廊下から忍び寄る人影を捉えた。ちょうど俺達の背後。
「サウロ! 後ろからも来る! 挟まれてるぞ!」
「なっ!」
俺の警告にサウロが盾を跳ね上げた。目の前の犬獣人を見る。
俺が反転して前に出る。俺とサウロでフェイを真ん中に挟んだ位置取り。
俺の声を聞いてか、通路から別の犬獣人が飛び出してきた。毛並は黒。長毛種なのか、その顔は長い毛でおおわれており、いまいちどこを見ているかわからない。
こちらも抜き身の刃物を持っていた。大振りのナイフ。〝長毛”が口元をゆがめ、吐き捨てるように叫ぶ。
「チっ! なんで気付きやがるんだよ! もっとうまくやれよクソ毛が!」
「うっせえ! いいからヤっちまえ! 前衛2、魔術師1だ!」
敵意が押し寄せて来る。こいつらが冒険者かどうかはわからないが、人を傷つけることに慣れた雰囲気。
大胆に距離を詰めてくる〝長毛”に、俺はたじろぐ。慌てて繰り出した突打は簡単に避けられた。
「<火弾>!」
「――――っとお!」
後ろで燐光が舞う。フェイの魔術だ。
先ほどの炎の針と同じように屋敷が炎上しない程度に抑えられた一撃。だが、威力がない一撃は簡単にナイフで四散する。
「あぶねえあぶねえ、魔術師がいるんだったな」
〝長毛”はつま先立ちになると、小刻みにステップを踏む。ナイフを前へ突き出した奇怪な構えだ。
後ろから苛立ったフェイの声。
「あいつ、マコトの身体で射線を遮ってる」
連携に慣れているのだ。相手の方が一枚上手か。広い玄関ホールじゃなくて廊下まで待ったのも、やつらの作戦の一部か。
「フェイ。サウロの方を頼む」
「わかったわ」
目は〝長毛”に留めたまま、口だけでフェイに言う。サウロは盾しか持っていない。やりづらい〝長毛”に時間をかけるより〝灰毛”を先に無力化するべきだ。
〝長毛”が腰の後ろのポーチから何かを取り出し、放ったのは直後だった。フェイの顔面を狙って放たれたそれを叩き落とすために霊樹の棒を振るう。<空間把握>を起動している今なら十分捉えられる。
ニヤリと〝長毛”が笑った。
――――しまった!
パキャ、と卵の殻を割るような音。中から大量の粉が広がった。どれほどの量が詰められていたのか、俺とフェイを包み込む。
魔術を放つために息を吸ったフェイが、その粉を思いっきり吸い込んだ。
「――――げふっ!? げほッ!」
口もとを抑え、しゃがみ込みながら咳き込むフェイ。声をかけようにも息を吸った俺も同じ顛末になる。
何だこの粉!?
「特製の〝喉潰し”。効くだろぉ?」
涙が浮かび、にじんだ視界。〝長毛”の声の調子を聞けば自慢げな表情をしているのがわかる。
声を出そうとするがひりついたように掠れた音が出るだけでまともな言葉が出せそうにない。しかも刺激物でも含んでいたのか、勝手に涙がでてくる。
目を開くのがつらければ、目を閉じたままで構わない。
俺は<空間把握>を頼りに、目の前の〝長毛”に対して上段から打ち込んだ。
〝長毛”にぎりぎりのところで回避される。距離を空けさせるためにさらに突打。
舌打ち一つして〝長毛”が退がったのを感じた。まさか的確に打ち込んでくるとは思っていなかったのだろう。
何故か下がった位置でナイフを何度か振り回す〝長毛”。さらに俺達から距離を離していく。
不自然な動きが気になって、何とか目を開ける。
「カ――――ッ!?」
目の前にいきなりガイコツがあった。いつの間にか出現した幽霊。俺に噛み付こうと大きくドクロの口を開けている。俺は叫ぶが、よくわからない掠れた声しか出ない。
思わず<いてつくかけら>で生み出した氷柱を連射して吹き飛ばした。呪いの声をあげて幽霊が消滅する。
〝長毛”がナイフを振るったのも幽霊を払いのけるためか。
距離を空けて睨み合う俺の肩をフェイが何度か軽く叩く。何かを知らせたいみたいだが、声が出ないらしい。
俺はちらりと背後を見やる。そこには、フードを被った獣人が〝灰毛”に並ぶところだった。腰から見える細い尻尾。体躯の小ささから見ても、小動物系の獣人。手には刀身長めの短剣。
〝灰毛”が焦る様子もないことから、こいつらの仲間なのだろう。増援が来た事で安心したのだろう。〝灰毛”が緊張していた肩の力を抜いたのがわかる。
――――〝灰毛”の眼に、いきなり短剣が突き立った。
仲間じゃねえのか!?
「ノルン……?」
〝長毛”が俺を通して後ろ、〝灰毛”の方を見ながら呆然と呟いた。その様子から見ても、この獣人はこいつらの仲間だったはずだ。
脳にまで達したのか、〝灰毛”が一撃で絶命する。刃が後頭部から突き出していれば、生きてはいまい。
勢いがよすぎたのか、小動物の獣人のフードが取れる。まろび出る大きな耳。ネズミだ。
鼠の獣人、だったはずだ。元は。
目や口、耳といったところから黒いどろどろとした液体を流している姿は、もはや生きているといっていいのか。
まさか、そういう種族っていうんじゃないよな?
どさりと〝灰毛”の身体が倒れた。
まるで祝うかのように、鼠獣人の周囲に幽霊が湧き出て来る。まさかさっきからの幽霊はコイツが生み出しているとかじゃないよな。
「レブナント!? まさか……!」
サウロの絞り出すような声。背後で〝長毛”が一目散に逃げ出すのを<空間把握>が捉えた。
フェイが目を見開いた。何事かをしゃべろうとしたが、声にならない。忌々しげに床を踏んだ。
サウロがフェイを連れて、俺の近くまで後退する。
「アレに掴まるとあのように身体を乗っ取られます。聖別された防具や加護がなければ、死者の腕に触れられただけで死にます」
「……げほっ。……穢れの死魂ね。こんなのまでいたなんて……」
ようやく声が戻って来たフェイが、まだ掠れている声で呟く。サウロが腕で俺達に後退するよう指示する。だが、退路を塞ぐように幽霊が数体出現した。
鼠獣人の身体を乗っ取った穢れの死魂は、〝灰毛”の顔に突き刺さった短剣を抜こうとしていた。だが、深く刺さりすぎて抜けないらしい。あきらめたように手放す。
レブナントがゆっくりと俺達の方を向く。目が合った。眼球など見えぬほどにどろどろとした液体が流れているのに、目が合ったと確信する。
フェイが息を浅く吸い込むのが聞こえた。
あのどろどろした液体、おそらく〝呪い”だ。触れるだけで、ってのもあながち嘘じゃないな。もしかするとラーニングできるかもしれないが、命と引き換えなのは割に合わない。
レブナントは腰の袋をあさると、玉のようなものを両手に掴んだ。
一斉に幽霊が哄笑を上げる。レブナントは今にも襲い掛かってこようとしていた。




