第203話「金縛り」
街の中心から離れたところに、その屋敷はあった。
豪勢な住宅が並ぶ一角に、そびえたっている。敷地は広く、鉄の柵が周囲を囲む。貴族の持つ屋敷としては、及第点。通りに面する正門は、木で出来た円型の扉をしていた。まるで円型盾のよう。
まだ街の開発途中なのか、近くに家は少ない。ぽつり、ぽつりと同じような屋敷が離れて存在している。大通りからも離れているため、人通りが少なく、閑散とした雰囲気がある。
寂れた、匂い。
職業柄、嗅覚は利く。この家は長らく人が住んでいない。
鼠の獣人であるノルンは、つい先日海を渡ってこのベルランテにやってきたばかりだった。冒険者として稼いでいくのに、ベルランテはとても良いと聞いたからだ。
鼠の獣人であるノルンは、あまり力が強くない。そのため、冒険者四人でチームを組んでいる。
チームの中では小柄ですばしっこいノルンは、斥候や情報収集役をこなしていた。もちろん、屋敷に忍び込んだりするのもお手の物なのだ。
ノルン達のチームは全員が獣人。全員分の宿の部屋を取るとなれば、どれほどの金がかかるのか。その大変さを知っているからこそ、こうして人が住んでいない家を拝借するのだ。
(何、壊しはしないさ。ちょっと借りるだけなんだからな)
ノルンはオレンジ色にも見える毛皮を隠すように、フードを目深に被った。こうしてしまうと人間の子供のようにしか見えないことをノルンは知っている。
(テリオラ姐さんはいい顔はしないだろうがね。これも節約なのさ)
ノルンはこういったことをあまり好まないチームメンバーを思い浮かべた。その手は止まることはなかったが。
果たして、屋敷の鍵は開いた。旧式の鍵なんて、ノルンにかかればものの五分ともたない。焦らず、急がず、家人が帰って来たかのような気軽さを身に纏いながら屋敷の中に入った。
屋敷の中は埃っぽい空気が充満している。ノルンはヒゲを持ち上げると笑みを見せた。やはり空き家だ。
家の造りはしっかりしていて、十分使うことができるだろう。ノルンは残りのメンバーを呼んでくることにした。
もし、持ち主が帰って来たらどうするのか。
簡単だ。眠ってもらうのだ。
(あんまり気持ち良すぎて、目覚めないかもしれないがね)
「おいおいおい。こんなイイところ、いいのかよ?」
チームの一人が大きな牙をのぞかせながらニヤリと笑う。もちろん、何もかもわかっている笑みだ。
敷地内を散歩していた別の一人が戻ってくると、口笛を小さく吹いた。
「すっげえな。こんだけ広いと迷子になるかもなあ」
広い部屋をぐるりと見渡す。
シャンデリアにかかっていた蜘蛛の巣から、小さな蜘蛛が覗いていた。先ほどから適当なことを言いながらさぼっている二人に、ノルンは顔をしかめた。
「バカ言ってないで掃除を手伝え。もうすこしで姐さんが来るんだからな」
「へいへい」
「さっきもちょっと街を見て来るとかいって、遅かったじゃないか」
「なんか変な人間とぶつかってよぉ。俺の毛並、もう凍ってねえよな?」
「もともと見れた毛並じゃねえよ、バーカ」
見えない首裏の毛皮を気にしながら、軽口をたたいて爆笑する二人。そんなチームメンバーに、ノルンはため息をついた。
この二人は腕力はいっぱしなのだが、いかんせん頭が弱い。頼りにはならないと判断して、放っておく。
せめて寝る部屋ぐらいでも、とたくさんある部屋から寝室を探し出したノルンは、軽く目を見開いた。
きれいに部屋が掃除されていたのだ。
あの二人、やるときはやるものだ。きちんとベッドメイクされた部屋は、十分使用することができるだろう。
その時、もぞりと何かが動いた気がした。
ノルンのヒゲの先にちりっとした感覚。寒さには強いはずの身体に、寒気を感じる。
「―――――!?」
バッと振り向く。誰も、いない。
開け放たれたドアがあるだけだ。
違和感だけが残る。ノルンは首をひねった。ひくひくと鼻をひくつかせるが、匂いは感じない。
「風か……?」
気を紛らわすために声に出して言ってみるが、ちぐはぐな雰囲気は拭えないままだった。ぶるりと身を震わせると、ノルンはあの二人がいた部屋に戻ることにした。
あんなに粗野で、脳の中に本来あるべきものの代わりにチーズが入っているかのような奴らだが、荒事では頼りになる。うるさいのも今は気を紛らわせてくれるだろうとノルンは考えた。
「おい、見てみろよ」
一人が窓から下を覗き込んでいた。その位置からは通りが見える。
「まっすぐこっちに向かってくるぜ。人間だ。二人……いや、三人か」
「通り過ぎるだけだろう?」
ノルンは眉を上げた。食料を手に入れる際にそれとなく聞きこんだところ、この屋敷に人が住んでいたのは5年前くらいが最後だ。幽霊が出るんじゃないかというくらい放置されているという噂だったのだ。
ノルンも同じように窓際から下を覗いた。確かに人間がやってくる。男二人、女一人。一人はごつい鎧姿。あのサーコートの模様からすると、パルスト教の武装神官だ。
ノルンの口から思わず舌打ちが出る。獣人とみれば通り過ぎ際に殴りかかってくるような連中だ。できれば出会いたくはない。
「お、あいつ、さっきの人間じゃねえか?」
「どれ? お、マジだ。なんでこんなところにいんだよ」
二人の声を耳の端で聞き流しながら、人間三人の動きに集中する。まっすぐに通りを進むと、ノルン達のいる屋敷を見上げた。
円型の門の前に立つと、自然な様子で鍵を差し込んだ。運がいいのか悪いのか。この屋敷の正式な関係者だ。
「クソッ」
悪態一つ。逃げるという選択肢が脳内にちらつく。
だが、二人は違ったらしい。放り出していた武器をしっかりと腰に携えていく。篭手を装着し、獰猛な笑みを浮かべる。べろりと赤い舌を出すと、牙を舐める。
「姐さんはまだ来てないみたいだし。ちょっくら先に挨拶してくるとするか」
「だよな。念入りに、丁寧に挨拶しないといけねえよな?」
短絡的すぎるやり取り。だが、ノルンは安心した。しょうがない。
「死体は残すなよ。食べるか埋めろ」
「りょーかい」
ひらひら手を振りながら、二人が軽い足取りで歩いていくのを見送った。
性格はともかく、腕は信用できる。だが、念には念をいれて援護すべきか。
ノルンは鞄から吹き矢や痺れ粉の入った小袋などを取り出し、ベストに納めていく。いかに硬い鎧でも、中身を無力化すればただの棺桶だ。爆薬もある。動けなくなったあとに、トドメを刺せばよい。
武装の確認を終えたノルンは、二人の後を追いかけようとして、身体が動かないことに気付いた。
麻痺ではない。筋肉が彫像のように固まり、動かなくなる。目だけは動かせる。きょときょとと見える視界だけで状況を探ろうとする。
身体が熱い。いや、寒い。
固まっているはずなのに、自分の呼吸の音がうるさい。ヒゲが痺れのような感覚を送ってくる。
後ろに〝なにか”、居る。
敏感になった感覚が伝えて来る。振り返れない。
視線が注がれている。どうして。何が。
低く、唸る声が聞こえてくる。
お、とも、あ、ともつかない。延々と響く声。
ノルンの意識は途切れた。
最後に見たのは、後ろから顔に、全身に巻き付く――――。




