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第200話「おかえりなさい」

 人間というものは、雨風をしのげる家を得て、ようやく人間足り得る。

 まさか宿がないという事態になるとは思わなかった。


 手持ちの財布を開けてみる。路銀の残りがあるので、宿に泊まるくらいなら問題はない。

 だが……。


「やっぱり、家が必要だよなぁ……」


 俺の呟きは、少し寒さが緩んだベルランテの空へと溶けていく。


 ミトナの大熊屋に置いてもらう、魔術師ギルドにお世話になる、別の宿を探して腰を落ち着ける。いくつかの方法は考えられる。

 だが、俺には考えていることがあった。

 俺の持つ、ラーニングという能力だ。

 かなりの特徴のある能力だが、覚えた<魔法>や<魔術>は、使うまでに検証が必要になる。いろいろと検証するために、いちいち街の外に出なければならないのが現状だ。


 自分の家――――パーソナルスペースがあれば、そんなことはしなくてもいいのだ。


「それに、できればワシの研究施設も欲しいのう」

「ミオセルタ……」

「いつまでもこのままでは、不便でかなわぬということよの」

「そうか。そりゃそうだよなぁ」


 喋り出した球体コアに、俺は同情した。

 王都で魚ボディを失ったミオセルタは、この間ずっとコアのまま過ごしている。不自由なことも多いだろう。

 自分の身体があれば、さらなるゴーレム研究の成果をあげることができるかもしれない。


「まあ、素体ボディの当ては、あるんだけどな」

「ほお?」


 俺はドマヌ廃坑を思い出していた。あの地下研究所へ潜ることができれば、ミオセルタの素体(ボディ)のスペアくらいあるのではないだろうか。

 問題は、フェイがいなければあの深度から帰ってこれないということだ。暴走した魔術ゴーレムたちの脅威もある。気軽に行けるところではない。

 準備を整えてロープなどを下ろせば、一人でもいけるか?

 まあ、行くとなったら、フェイも行きたがるだろうな。


「フェイ……か。様子、見に行ってみるか」


 家を買ったり借りたりすることについてのアドバイスももらえるかもしれない。

 魔術師ギルドは、助け合うための機関だしな。




 アルドラは久しぶりのベルランテの森をおおいに満喫しているようだった。思念で呼び出すのもかわいそうに思った俺は、歩いて魔術師ギルドまで行くことにする。

 今の時間から考えると、多少話し込んだとしても暗くなるまえにベルランテの大門をくぐることができるだろう。

 戻って来たベルランテの様子を身体にしみこませるように、のんびりと移動する。

 寒さも少しずつやわらいできており、目にうつる平原の草も伸びてきているように思える。見たこともない植物のつぼみがいまにも花をこぼそうとしている。

 またこれから暖かくなっていくのだろう。


 魔術師ギルドの扉を、ゆっくりと開ける。木製のドアが少し軋んだ音を立てる。

 なんだかドキドキするのはどうしてだろうか。

 いつも通り、魔術師ギルドの中は薄暗い。待合用テーブルの上に大量の小瓶を並べた女魔術師が、俺の方をちらりと見たが、すぐに興味をなくした用に瓶の中に埋没していく。

 変人がいっぱいいるあたりも相変わらずといったところか。


「いらっしゃーいッス。お客さんッスね。何か御用で――――」


 カウンターの向こう、こちらを見もしないで定型文を喋るショーンが俺を見た。その途端に言葉が止まる。あんぐりと開いた口が、閉じられたあとに、非難めいた表情になった。


「マコトさんじゃないッスか! 今までどこにいってたんスか!!」

「お、おお。ちょっとな」

「お嬢が大変だった時に、アンタは一度も見舞いにもこないなんて、見損なったッスよ! お嬢、死ぬかもしれないところだったんスよ!?」

「こっちも大変で――――って、なんだよ死ぬって! あいつ風邪だったんじゃねえのか!?」


 ショーンの険のある声に、少しムっとする。だが、それもショーンの言葉を聞くまでだ。

 フェイの命が危なかったと聞いては、今度は俺の声が荒れる番だった。


「とにかく高熱が出て、身動きができない状態でしたッス。普段は呼ばないような教会の治癒司祭も呼んだッスけど、お手上げ状態で……」


 俺は絶句した。まさかそんな状態になっていたとは思わなかった。

 俺を助けに来なかったことに憤っていた自分を蹴り殺してやりたい。


「そ、それで、フェイは……」


 死んだのか?


 その問いは声にはならなかった。だが、意味は通じたらしい。睨みつけるようなショーンの瞳。ため息を一つ吐くと、しょうがないといったように口を開いた。


「一週間生死の境をさまよったッス。けど、どうしてかそこから一気に容態が落ち着いたッス。今は歩けるくらいには回復してるッスね」

 

 元気になった、そのはずなのに、ショーンの顔は暗かった。


「でも、なんか、ちがうんスよね、お嬢。うまく、言えないんスけどね」

「ちがう?」

「性格が変わったっていうか……。いや、お嬢はお嬢なんスけど……」


 ショーンは視線をカウンターの木目に落とした。俺に説明しているわけではないのだ。ショーンの心の中の違和感を、彼なりにこぼしている。

 フェイとショーンは付き合いが長い。そのショーンが持った違和感は、決して勘違いとは言えないだろう。


 ショーンが思い出したように顔を上げた。その顔にはまだ険がある。

 きつい口調で言う。


「ともかく、今は会わないようにしてほしいっス。アンタが来たら――――」



「――――ショーン、言ったわよね」



 冷え切った鉄のような冷たさで、声が滑り込んだ。聞き覚えのある声。


 びくりとショーンの肩が震えた。ぎりぎりと壊れた機械のように後ろを見る。

 そこに立っていたのはフェイだった。最後に見たときと、変わった様子はないように見える。

 ギルドの制服も、二つくくりのおさげも変わらない。


「マコトが来たら教えてって言ったわよね?」

「そ、そうッス……」

「代わるわ。休憩でも取ってきなさい」

「いや、でもッスよ……!」

「うるさいわよ。ハウス!」


 眉を吊り上げて低く言うフェイ。ショーンはしょんぼりと肩を落としながら、カウンターの奥、ギルド事務所へと去っていく。まるで濡れた子犬のような面持ちに、ちょっとかわいそうになる。

 代わりにフェイがカウンターへと着いた。


「あ、えと。大丈夫なのか……?」


 おずおずと言うと、フェイはくすりと笑う。


「とりあえずかけなさいよ。ずっと立ったまま話をするのも大変でしょ?」

「お、おう」


 勧められて、俺は慌てて相談者用の椅子に座る。

 目の前のフェイの表情に変わりはない。高熱を出しているようなしんどい様子もない。

 じっと顔を見つめる俺を、不思議そうな顔で見つめ返していた。その顔が不意にほころぶ。花が咲いたような笑み。


「おかえり、というべきなのかしら?」

「ああ、うん。そっちこそ、熱、もう大丈夫なのか?」

「ん? ああ、もう大丈夫よ。まったく、ショーンの奴が過保護なだけなのよね。それより、ごめんね。助けにいけなくて。あの時、魔術が発動してれば、何とかなってたのにね」


 フェイが済まなさそうに顔を伏せる。

 しょげた様子に、あわててしまう。フェイはそう言うが、そんなことはない。フェイの魔術の加勢があったとしても、あの時のエリザベータを退けるのは難しかっただろう。


「それで、何があったのよ。私が何とかなったころには、もうミトナもいなかったのよ。何がどうなったのかさっぱりよ。戻ってこれたってことは、何とかなったんでしょうけど」


 ミトナのことを話す時、微妙にコワイ笑顔だった気がするのだが。


「いや、それが長い話になるんだけどさ……」


 俺は王都での出来事を話し始めた。俺がエリザベータに拉致されてからの、一部始終を。

 途中、翆玲神殿跡や、魔術ゴーレム研究所あたりでかなりの興味をそそられていたようだが、こちらが話しやすいように要所で質問をするだけで、フェイは静かに俺の話を聞いていた。


 どれくらい経っただろうか。俺が話し終えるころには、魔術師ギルドには誰もいなくなっていた。

 喋りつかれた疲労感すらあるほどだ。


「ほんと、でたらめね。地下水路市に、〝三勇者”。聖剣に魔術騎士団の銀騎士(シルバー)……ねぇ?」


 聞き終わったフェイは、呆れた顔をした。

 俺だって話してて信じられない。王都の暗部のオンパレードだったんじゃないだろうか。ただ、俺が魔物だったことや、神獣化したことは伏せての話だ。魔術師ギルドのカウンターという、オープンな場で話すことに躊躇してしまった。


「んで、ようやくベルランテに帰ってきたんだよ」


 ふっと、フェイの顔が和らぐ。


「〝帰って来た”……ね。やっぱりちゃんと言っとくわ。――――おかえりなさい」


 見慣れたその顔に、安心してしまうのはいけないことではないだろう。たぶん。



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