第199話「氷結の魔眼」
俺はベルランテに戻って来た。
南の大門が見えてきた時には、思わず涙が込み上げてきた。
王都は確かに都会的に華やかだ。ベルランテはそれに比べれば、田舎っぽいというか、粗削りな感じを受ける。だが、それが俺には心地よかった。
帰って来た、そう素直に思える。
異世界にいきなり飛ばされた俺にとっては、このベルランテが故郷といえるだろう。
アルドラに取ってもそうなのだろうか。南門の外で自由にさせたアルドラは、森へ向かって走って行った。このあたりは元縄張りだろう。
肩上のクーちゃんがきゅっと嬉しそうに鳴いた。
そうか、お前も同じ気持ちか?
王都からベルランテへと戻ることにしたのは、南部連合との停戦が正式に行われたという話が巷にも聞こえてきたからだ。
それまでルマルのもとで世話になっていたが、これでようやく一安心だ。心おきなくベルランテに戻ることができる。
フィクツとミミンもベルランテへと誘ったのだが、しばらくは水路市の爺ちゃんのところへといくと言う。たしかに壊滅した水路市からなだれこんだのだ、混乱もあるだろうし、人手が必要だろう。
ベルランテへと戻るための準備を済ませ、いざ出ようとした際に、俺はアルドラのラックにいつのまにか取り付けられていた霊樹の棒を見つけた。
これはあの時エリザベータの館に置いてきたものの一つ。あの時エリザベータが返さなかったものだ。
それがここにあるということは、エリザベータがここまで来たということ。一体なんの意思表示なのか、掴みかねる。
一回目は拉致され、二回目にオープン席で会った時は聖剣で暴走したアドルに狙われる。
あの女、トラブルしか持ってこない。もう会いたくないなぁ、正直。
かなり警戒しながら出発したのだが、道中エリザベータと会うことは無かった。
ベルランテの大通り、懐かしい円型広場に辿り着いた。大きな荷物を抱え直し、ミトナが口を開く。
「一度、家に戻るね」
「わかった。あとでまた寄らせてもらうよ」
「ん」
俺は今、帰り路の途中で買い求めた普通の服を着ていた。
ケイブドラゴンの防具は、簡単な修復だけではやはり限界があった。本格的に直してもらうためにミトナに預けてあるのだ。
王都まで一人で来たミトナのことを、ウルススさんも心配しているだろうしな。
「あ……」
「なあに?」
「いや、何でもない」
ふと浮かび上がってきた疑問を問おうとしたが、俺は口ごもった。そのまま飲み込む。
ミトナは王都に来てくれたが、フェイやマカゲは一体どうしたんだろう。助けに来てくれ、とまでいうほどわがままではないが、気になる。
フェイは体調が回復してないのだろうか。後で様子を見に行くくらいはしてみよう。
それにしても、ミトナには本当に感謝している。
ベルランテに戻って来た今、しみじみとそう感じていた。少し気恥ずかしい気もしたが、こういうことはちゃんと言っておかないと伝わらない。
俺は歩きかけたミトナを呼び止める。不思議そうな顔をするミトナに、声を掛ける。
「うん。ほんと、ありがとうな」
「――――ん」
にっこりと微笑むと、一言。
あとは振り返らずにかけていくミトナを見送った。
さて、まずは宿だ。
俺はクーちゃんと共にベルランテの街中を歩く。目指すは〝洗う蛙亭”だ。
それなりの期間を借りていたが、王都に拉致されている間に、その期間も終わってしまっている。宿をさらに借りる必要もある。
部屋の中の荷物は多くはないとはいえ、どうなっているのだろうか。
まさか、捨てられてはいないだろうが。
「っと。すみません」
「ぁあ!?」
考え事をしながら歩いていたせいか、前から歩いてきた犬獣人と軽く肩がぶつかってしまう。
相手は二人連れ、剣呑な声を出してくる。
「チっ、人間かよ」
「おい。いてぇじゃねえか」
「いや、だから、謝っただろ?」
チリっとした敵意を感じる。殺意とまではいかないが、ちょっとこいつシめてやろうか、程度の敵意だ。
その様子だけではない。街の様子に俺は疑問を覚えた。
確かに獣人も半獣人もベルランテには住んでいる。だが。
なんだか獣人の数が、増えてないか?
たまたまと言われればそれまでなのかもしれない。だが、なんだか気になる。今のベルランテの状況も少し変わっているのかもしれない。後でハーヴェあたりにでも聞いてみるか。
「おい、シカトか! コラ!」
「オウオウ! いい気になってんじゃねえぞ、コラ!」
無視していたわけではないのだが、結果的にそうなってしまったのか。
だが、エリザベータ、アドルら奉剣部隊、はてまでは黒塵竜とやりあった経験からいうと、この程度の恫喝、怖くはない。
その態度が出てしまっていたのだろう、さらに面白くない顔になって俺を睨んできた。
犬歯をむき出し、威嚇の姿勢。いまにも噛み付いてきそうだ。
クーちゃんがぴゅっとマントのフードに隠れた。
「……睨む」
俺は一つの場面を思い出していた。地下湖でのことだ。
クーちゃんと融合して神獣になっていたときに、睨むだけで相手を氷漬けにするということをやってのけていた。クーちゃんの能力なのか、俺の能力なのかわからないが、もしかすると使えるのかもしれない。
俺はおぼろげな記憶を頼りに、起動を試す。
効果はすぐに現れた。俺の視線を受けて、犬獣人の毛皮が少しずつ霜に覆われていく。
「お、オイ! なんか凍ってんぞ!」
「うお!?」
俺は視線に力を込めて見つめ続ける。そうするたびにどんどん霜に包まれる範囲が増えていく。
起動はできた。しかし、即座に氷漬けにする力はないらしい。二人の犬獣人は毛皮につく霜を慌ててばたばたとはたくと、気味が悪いという視線を俺に向けてきた。
「も、もういい! 行こうぜ!」
「何だよ! クソッ!」
俺はよたよたと去っていく犬獣人を見送る。
ラーニングしたわけではないので名前がわからない。<氷結の魔眼>としておこう。魔法陣が出ないということは、これも<魔法>の一種なのだろう。
俺は歩みを再開しながら、腕組みをしながら考える。
スラムに入ってもいないのに、なんだかガラが悪い。これだとスラムはいったいどうなっているのか。少し用心した方がいいのかもしれない。<空間把握>を起動すると、俺は〝洗う蛙亭”への道を急いだ。
〝洗う蛙亭”の扉を開けると、マスターがいつものようにグラスを磨いていた。変わらない様子に、俺は安堵する。
テーブルを拭いていた猫耳娘が顔を上げると、驚いた顔をする。
「おお! 久しぶりに顔を見た気がするよ。生きてたんだね!」
「いや、その言いようはどうなんだ」
「お客さんからはトラブルの匂いがいつもしてたからね! 生きててよかったよ」
向日葵のような笑顔を浮かべ、猫耳娘が俺の肩をバンバンと叩く。
だが、その顔が一転して曇った。
「でも、確かお客さんの部屋、支払いのお金が切れちゃったんだよね」
「やっぱりか……。悪いけど、また部屋借りることってできるか?」
「んー、残念なんだけど。今、予約で埋まっちゃってて、部屋を貸すことができないんだよ」
「嘘だろ……」
俺は愕然とした。まさか、この店の部屋が埋まるなんて、思いもよらない。
俺が部屋を借りていた間も、ほとんどお客らしいお客なぞみなかったのだ。どうしてつぶれないか疑問なほどだったのだ。それが、今は繁盛しているだって! 信じられない!
「いま、なんか失礼なこと考えてない?」
「い、いや! なんにも!」
半眼で俺を睨む猫耳娘に、俺はぶんぶんと手を振って誤魔化した。
ちらりと鹿の店主に目線をやるが、彼はいつもどおり無言でグラスを磨いているだけだ。
「お客さんの荷物はいつでも引き渡しできるようにまとめてあるよ。持っていく?」
「あ、いや……、また、落ち着いてからでもいいか?」
「うん、それはかまわないよ。……ごめんね」
「いや、そっちも商売だろうし。気にしないでくれ」
しょげたふうになる猫耳娘に、俺は慌てて慰めの言葉をかけた。
そりゃあ、いつもどってくるかわからない客のために、いつまでも部屋を取っておくことなどは出来ないだろう。荷物を捨てられてなかっただけ良心的というものだ。
俺は夢でも見ているような気分で、〝洗う蛙亭”から外に出た。
宿無し。このままでは野宿することになる。笑えない。
「家でも買うかぁ……?」
俺は誰に言うでもなく、小さな声で呟いた。




