第196話「赤熱の一撃」
状況を把握するまで、数舜の時間を要した。
切れかけの電灯のように、チラつく曖昧な記憶。
一瞬前までのことが思い出せない。
金属が打ち合わされる、重く、甲高い音が聞こえる。
そして、鉄さびのような匂い。
「ッ!!」
意識の覚醒は即座。起こそうとした身体は、激痛という水に浸っているかのようだった。
動かせば痛い。コワイものに触れそうになったかのように、身体がびくつく。
――――痛い。
痛みには、慣れない。前衛戦士はどうして耐えられるんだろう?
唸り声とも、息ともつかぬものが俺の口から漏れ出した。
痛みも気になるが、それより金属音の方が気になった。
意識を振り絞って目の前の光景を見る。
俺は砕けた岩場に倒れていた。地面との激突を回避するために魔術でなんとかしようとしたのは覚えている。死んでないところを見ると、うまくいったらしい。
腕と足が折れているっぽいが、命があるだけマシだろう。
ぎっ、ぎぃんと再度金属がぶつかりあう音がした。
視界に入ったのは、フルフェイスヘルムの兵士と武器を打ち合わせるミトナだった。
鎧の下部からは垂れ下がった尻尾が見える。こいつら、人間じゃない。
白兵戦を仕掛けにきた騎手だ!
はじめに撃墜した灰竜に乗ってたやつか。
「……つぅッ」
ミトナに声をかけようとしても、口からは痛みをこらえる声しか出なかった。
敵が持つ武器は手斧。片手で扱えるサイズながら、その一撃は重い。
バトルハンマーを振るってはじき返すたびに、傷が開いているのかミトナの身体から血しぶきが舞う。
さっき吹き飛ばされた時の傷。
ミトナが傷ついてるにもかかわらずここで打ち合っているのは、俺を守っているからだ。
「<治癒の秘跡>……!」
魔法陣が割れ、柔らかい光が身体を包む。
身体の傷が癒されていくと、思考力が戻ってくるのを感じる。完全に回復すると体力が削られる。痛みがあっても動ければいい。途中で魔術を解除。
「<雷撃>!!」
ミトナが敵の武器を大きく弾いた。その隙を狙って三連の雷を起動した。隙を突いたはずだが、敵は武器を手元に引き戻し、そのまま武器で雷を弾く。
くそっ! 防がれた!!
あらぬ方向に逸れた雷撃が地面を穿つ。対魔術の何かがコーティングされているのか、魔術対策をされている。
だが、隙は作れた。
「ん――――ッ!!」
ミトナが身体を捻じった。痛みをこらえるしかめっ面。
そのまま、フルフェイスのヘルムを横からフルスィングで打ち抜いた。車で轢くかのような音を立てて、敵が横倒しになって動かなくなる。
ミトナが荒い息を吐いた。
「悪い」
「ん。いい。それより、あれ」
ミトナが指さした先には、マースの魔術を悠然と回避する黒塵竜の姿があった。
どうやら俺が死ななかったのは彼のおかげでもあるらしい。
黒塵竜が吐息を放つ。土でできた殻にも似たシールドが一瞬で展開。二人を包み込み、吐息をガードする。クロンツェンの魔術だ。
あれでは<重撃剣>は使えない。敵の意識から外れているこちらが、何とかしなければならない。
「ミトナ、さっきのマースの魔術は見たか」
「光の環? すごく飛んでいったやつのこと?」
「俺もあれを出すから、何か放り込んでくれ!」
「ん! わかった!」
俺の魔術が起動した。<加速>の光輪が出現。落ち着いて照準を定める。
ミトナが足元から輪に入るぎりぎりのサイズの岩を持ち上げる。
「いくよ!」
ミトナが光輪に向かって岩を放り込んだ。効果は瞬時に現れる。
タイヤが破裂するような、分厚い破裂音が鳴った。
加速した岩は、少しの間しか進めなかった。自身の威力と圧力に耐えられなくって自壊。空中で燃え尽き、火花と散る。
しまった――――!
弾として使った素材の強度が足りないのだ。
クロンツェンが鉄の弾丸を魔術で用意するのには、意味があったのだ。すこし考えれば気付けそうなものだが。
魔術の失敗による轟音に、黒塵竜が反応した。わかる。見られた。
マースが放った雷の槍を、身体を捻ることで器用に避ける。そのまま速度を落とさずに俺とミトナの方へと向かってくる。強襲降下、自らの体躯と重量ですりつぶす気だ。
走って逃げる!?
無理だ!
周りは砕けた岩ばかり。弾丸にしようにも、<加速>と同時並行で別の魔術は行使できない。
「マコト君! 今の、もう一回!!」
どん詰まりになりかけた思考を、ミトナの声が横から砕いた。
「って言っても……!」
「いいから! 速く!」
「くそッ……! <加速>ッ!!」
黒塵竜は両の翼を開き、太く凶悪な脚をこちらに向けた。あのまま伸し掛かられれば、氷の盾などまるごと潰される。
深く考えている暇などない。
魔法陣が割れ、加速の光輪が展開。
ミトナが何をやるかわからないが、もはや失敗すれば死ぬ状況だ。なら、できる最大限はやる。
「――――<加速・二連>!」
加速の光輪が三つ並んだ。等間隔で並ぶソレは、まさに砲塔のよう。
そこに、ミトナがバトルハンマーを全力で投げ込んだ。
加速の光輪を通過するごとに、バトルハンマーの速度が増加する。三つの光輪を通過した時、もはや視認すらできない一撃に昇華。
到達まではまさに刹那の時間。それでも黒塵竜は反応した。回避するために身体をよじり、防御するために脚を曲げる。まともな一撃であれば、強靭な竜の鱗と筋肉の前に防がれていたのだろう。
だが、三段の加速はバトルハンマーを赤熱させ、余波だけで火傷しそうなものだ。
それが、黒塵竜に喰らいついた。
ずぼん、という酷い音がした。
黒塵竜の胴体に大穴が空く。ありありと驚愕の気配。数瞬後、炭の塊を殴ったように、黒塵竜の全身が塵と化す。
いきなり生じた風が、その塵を吹き散らしていった。後には何も残らない。
撃破した喜びなど浮かんでこない。
マナの使いすぎで頭痛すら覚える頭と、痛みの残る身体。ミトナが何かを叫んでいるが、聞こえない。どうやらさっきの一撃で耳がやられている。
俺は思わずへたり込む。なかなかに限界だ。
俺の背中にもたれかかるように、ミトナもずるずると座り込んだ。
マースとクロンツェンが、信じられないといった表情で近寄ってくるのが見えた。
何かを言っているが、やっぱり聞き取れない。なんとか手振りでそのことをわかってもらうと、マースも手振りで何かを伝えようとしているようだった。
地面を指さし、オッケーサイン。俺達が来た方を指さす。どうやらここでのやることは済んだらしい。撤収だ。
もうこれ以上、竜の増援はない。作戦は成功、ということなのだろうか。
そうと決まれば長居する必要はない。俺は立ち上がるとミトナに手を差し出した。
ドルターのもとへ戻るころには、少しずつ聴力も回復してきていた。
すでにテレキアンとロベールも到着していた。向こうはうまくやったのだろうか。俺達を見て、おやといった顔をする二人。
「ご無事ですか、マース殿」
「何とかですな。それよりテレキアン殿、首尾の方は?」
「ええ。騎士団の進軍を止めることができました。指揮官にもわかっていただくことができました」
「それはよかった。これで、これ以上の戦争は回避できるでしょう」
マースが心底安心した顔になる。クロンツェンが腰に手を当てて、大きく息をついた。
マースは喜びの色を隠さずに俺とミトナに振り返る。
「王都へと戻りましょう。さっそく停戦を進めていただきましょう」
俺はミトナと顔を見合わせる。
口の動きだけでよかったねと呟くと、ミトナは微笑んだ。




