第195話「黒塵竜」
二頭の灰竜が空を舞う。
そして、その後ろから、黒色の竜の姿が見えた。身体は灰竜に似ている。だが、その頭からは刃のような角が生え、翼は棘のような鱗で覆われていた。
おそらくは灰竜の上位種。
「黒塵竜……!? そんなものまで配備してたというのか!」
マースが驚きの声をあげる。どうやら予想外だったらしい。
いかに地形が破壊されていようと、空を飛ぶ竜には関係ない。どんどんと距離を詰めて来る。
「マースさん! さっきの魔術だ!」
「やるよ! <鉄杭――――」
クロンツェンが魔法陣が起動する。たしかに<重撃剣>ならばあの黒塵竜も倒せるだろう。
だが、それは黒塵竜が何もしなかったら、の場合だ。
竜の口が開いた。血の様に赤い舌が垣間見えた。魔術を起動していたクロンツェンに緊張が走る。
ぐぼん、という発射音がした。
溜めもなく放たれたそれは、いわゆる煙の塊のような吐息だった。煙の尾を引きながら、こちらへと迫ってくる。
「死の灰だ! 吸えば死ぬぞ! 退避!!」
マースの警告に、身体が即座に反応した。ブレスなら相殺も可能のはずだ。
魔術を起動。<氷刃>を射出。氷の短剣が飛んでいく。
氷の短剣が煙の塊にぶつかる。だが、短剣はそのまま貫通した。この吐息、実体がない。まさに毒ガスのブレスということか。
「マコト君!」
「くそッ!?」
すでに退避をしているミトナから注意の声が飛ぶ。俺は慌てて全力で飛び退いた。<浮遊>で軽くなった身体は、かなりの大ジャンプを生み出す。
さっきまで俺達が立っていた場所を、死の煙が包み込んだ。まるで酸で焼かれるかのような、嫌な音が上がる。
防御不可、吸えば死ぬ。こんなものがいるなら、軍隊などひとたまりもないではないか。
二頭の灰竜が、炎塊の吐息の発射体勢に入るのが見えた。
狙いは俺とマースだ。
ミトナが俺の前に出るとバトルハンマーを構える。
「ん。まかせて!」
灰竜が炎塊を吐いた。ミトナのバトルハンマーが打ち返す。発動した<くまの掌>が灰竜のブレスを打撃で四散させる。
「マコト殿! 灰竜をお願いする! 黒塵竜はこちらが!」
見ればクロンツェンが鉄杭を維持している。再び<重撃剣>を放つ準備だ。
「わかりましたよ! <氷刃・八剣>っ!!」
俺の叫び声と同時、魔法陣が割れる。生み出された八本の氷剣が一斉に射出された。灰竜が慌てたように回避行動に移る。ミサイルのように灰竜を追尾する氷剣。
だが、トドメを刺すには足りない。やはり複合魔法陣<氷閃刃>しかない。
「グオオオオオオオオッ!」
灰竜が咆哮する。マナを練る俺に、何かを感じているのだろうか。
威力よりも速射重視で炎ブレスを放ってくる。
だが、その全てをミトナが叩き落した。威力も半減、氷剣に追いかけられているために精度も甘いブレスなど、ミトナが通すはずがない。
「<氷閃刃>ッ!!」
灰竜が回避のためにカーブした直後を狙って、魔術を起動した。
空気を爆発させ、衝撃波が押し寄せる。一瞬で氷閃剣は灰竜に到達、一頭を撃墜。
「おっし!!」
「ん!」
「ゴオオオアアアアアアアアア!!!」
仲間を撃墜された怒りの咆哮が聞こえる。もう一頭の灰竜が突進してくるのが見えた。かなりの速度。こちらを太い脚で押しつぶすように迫る。
「<雷瀑布>……っ!」
正面から雷の奔流が灰竜を飲み込んだ。
たしかに突進は威力がある。体重差も体格差も決して勝てるものではない。
だが、魔術はそれをひっくり返す。強大な魔物とでも戦える。互角に引き上げる。
灰竜の表皮が焼かれていく。鱗がボロボロと剥がれる。そこに氷剣が突き立った。
「ギョオオオアアアアアっ!?」
竜の苦鳴の声。正面から雷を喰らったせいか、灰竜の片目は沸騰し、白く濁っていた。よたよたと方向転換、守備キャンプへと逃げ帰るルートを取ろうとする。
いける……! こいつら、王都を襲撃した灰竜ほどじゃない!
トドメの魔術を構築する。起動しようとした直前に、ミトナがいきなり俺の腕を引っ張った。
ごう、と風切る重い音。
視界の端から、黒い大きな何かが降ってくる。ミトナがそれに喰らいつくようにバトルハンマーを振るった。ぶつけることに成功したが、ミトナの身体が思いっきり吹き飛ばされた。
「ミトナッ!?」
「だ、だいじょうぶっ!」
尻尾だ。
黒塵竜が尻尾で攻撃を仕掛けてきたのだ。さすがに体重差がありすぎてミトナが吹っ飛ばされたのだ。
どんな魔法か、翼を広げ滞空する黒塵竜。
それが、魂をも消し飛ばすような咆哮を叩きつけて来る。
しまっ――――!?
マースが相手するからと、灰竜ばかりに気を取られすぎた!
至近からの咆哮に、身体が竦む。びりびりと全身が痺れる。<咆哮>による行動阻害。
心臓が跳ねる。近くで見る竜は怖い。
腕は巨木のよう。脚の爪や、尖った牙は鉄すら引き裂くだろう。何よりその絶対者としての偉容が、捕食者としての威厳が、恐怖を刻み込んでくる。
黒塵竜の首がたわむ。噛み付き攻撃。わかっていても身体が動かない。
「<加速>ッ!!」
マースの声が聞こえた。直後、黒塵竜の頭が跳ね上げられた。
まるで巨大な拳にアッパーカットを喰らったように。
衝撃音は圧力を伴っていた。耳が痛くなるような音と同時に、身体が転がる。
その俺の身体が、誰かにひっつかまれる。クロンツェンだ。勢いよくひっぱると、先ほどの戦いで隆起した岩の陰に隠れる。
そこにはマースが待っていた。マナの使いすぎか、微妙に青い顔。それに、さきほどよりマナクリスタルの剣の輝きが暗くなっている気がする。
「無事なようでなにより」
「死ぬかと思いましたよ……」
「<重撃剣>でもあれぐらいかよ」
クロンツェンが困ったようにこぼす。
マースが岩の陰からちらりと黒塵竜を見た。ダメージは与えられたようだが、致命傷ではない。どれほど硬いというのか。
いや、鱗がぼろぼろと崩れているところを見ると、衝撃を分散させて受けるような生態になっているのかもしれない。
こちらを見失ったのか、黒塵竜が上空へ舞い上がる。上から見つけようと言うのだ。
さっき吹き飛ばされたミトナが先に狙われる可能性もある。すぐに動かないと。幸い咆哮による麻痺は抜けている。
「マースさん、さっきの<加速>、まだ使えますか?」
「あと一、二回と言ったところでしょうな。どうされるおつもりで」
俺は上空の黒塵竜を見上げる。
「あの高さまであがりたい。騎手を上から狙います」
それだけでマースは俺の意図を察したらしい。ぽかんとした顔になる。ついで、その眉間に皺が寄る。作戦の成功率を考えているのだろう。
「内臓がつぶれるかもしれませんよ」
「このままだとこちらも打つ手がないでしょう?」
「上から死の灰を撒かれ続けりゃ死んじまうさ。奇襲くらいやらないとジリ貧さね。やるしかないよ、マース」
クロンツェンも空を見上げながら言う。もう一度<重撃剣>を叩き込むにも、隙を作らねばならない。
そのことを彼女もわかっているのだ。
黒塵竜がぴくりとその顔を下に向けた。俺達じゃない、視線の先にはミトナ。
「マースさん……っ!」
「<加速>の調整など……ッ! 難度の高いことをさせる!」
マースはそれ以上は何も言わなかった。すでに魔術の起動のための集中に入っている。
天を突くように剣を掲げた。その剣先に魔法陣。
「――――<加速>!!」
魔法陣が割れた。出現する加速の光輪。まるで天使の環のようにそれを目指して、俺は跳躍した。
できるだけ身体を丸める。
「――――ぅぎッ!?」
加速の環を通過した瞬間、思考が伸びた。
ぐにゃあ、と自分の近くが伸びる感触。全身が壁に押し付けられているように痛む。この壁はたぶん、空気。あまりの加速に空気がぶつかってきているのだ。
俺の身体が引きちぎれないのは、<加速>の速度をマースが調整してくれているからにすぎない。
<体得! 魔術「加速」をラーニングしました>
おっし! これだ! これを狙っていた!!
黒塵竜を倒すためには、手持ちの魔術だけじゃ駄目だ。マースの<加速>を手に入れる必要があった。
身体は舞い上がる。
黒塵竜の眼前まで。この距離なら、<加速>させた<氷刃>を防ぐことはできないはず!
俺はマナを練る。術式を構築する。
なんてこと……ッ!
刹那の時間。脳内で愕然とする。
<加速>の難度が高すぎる。制御するために、他の魔術と同時に行使できない……ッ!!
ずどんと重い衝撃。
「ぎ――――ッ!?」
黒塵竜の翼による一撃。俺の身体は地上へと叩き返された。




