第189話「覚醒」
剣聖となったアドルは強い。
遠距離からの魔術はまずもって捌かれる。刀身を覆う<魂断>のせいだ。
もともと剣術の腕もかなりのものだ。それが〝魔物化”のため、尋常じゃない速度と水面に立つという特殊能力を得ている。
わざわざ相手の土俵である剣での戦いをしようなんてことは考えられない。
正面からぶち抜けるのはおそらく複合魔法陣の<氷閃刃>くらいなものだろう。
俺はちらりとフィクツとミミンの方を見た。短剣を構えてはいるが、今のアドルを相手に数秒もつかも怪しい。ミトナは二人を相手にギリギリの戦いだ。
「フィクツ、ミミン! 足場は造る。ミトナの援護を頼む!!」
俺の声に、二人が頷いた。
そのためには、正面のアドルを俺がなんとかしなければならない。
俺は気持ちを落ち着かせるように、細く息を吐いた。
エリザベータとの戦いは視野に入っていた。何も対策を考えていないわけではない。
おそらく力の源はあの聖剣ヴァトゥーシャ。それをまずは叩く!
アドルが無言で水面を蹴った。
俺の魔術もだいぶ見せた。そう何度も付き合ってくれるようなタイプではない。終わらせにくるだろう。
「<氷刃・八剣>っ!!」
練り上げたマナは魔法陣を形作る。割れ砕けると同時に魔術が起動した。空中に複数の氷の剣を出現させる。
「ほう……」
アドルから驚きとも呆れともつかぬ声が漏れる。
ギィンと硬い音が響く。斬り飛ばそうとしたアドルの剣は、氷剣を弾くのみにとどまっていた。
生み出した氷剣の数は六。数を減らした分、リソースは硬度とマナ密度に振り分けている。いかな聖剣とはいえ気合を込めないと切れるものではない。
「行けッ!!」
俺の掛け声と同時に、六本の氷剣が動いた。有機的な動きで空中を泳ぎ、剣戟を繰り出していく。
アドルが捌くのを見ながら、俺はさらに術式を練り始めた。
「――――この動き、フライングソードか!!」
ばれたか。その通り。
生み出した六本の<氷刃>を、<擬獣化>でフライングソードに。
どれほどの最限度かはわからないが、斬龍剣フライングソードなみの実力は出せるはずだ。
氷剣がアドルを包囲するように展開。何度も剣先を突きこむ。弾かれた隙を狙い、鋭く斬りつける。
アドルの剣術にかなうものではないが、あの鬱陶しそうな顔を見ればそれなりに効果は出ている。
「<氷閃刃>……ッ!」
マナをごっそりと吸い上げ、複合魔法陣が完成した。灰竜すら撃ち落とす氷の一撃。空中に描かれるは芸術のごとき紋様。
アドルがぎょっとした顔になる。巨大な魔法陣に込められたマナを感じ取ったのだろう。
ぐっとその全身に力が入るのがわかる。
氷剣フライングソードが俺の意識に反応して速度を増した。
「おおおおおおおおッ!!」
アドルが全ての氷剣を弾き散らす。一瞬だけ空間が生まれる。迎撃の構え。斬る気だ。
このまま撃ちこんでも受けられる可能性がある。
三角形を描く魔法陣を、そのまま待機状態で左腕で保持。
魔法陣を三つとも使っているが、まだ、<魔法>なら使える!
「くらええええええええッ!!!」
<りゅうのいかづち>。雷の矢が飛ぶ。狙いは正確でなくていい。
「――――ッ!?」
鋭敏化されたアドルの神経は、迫る雷矢を捉えた。考える暇などない一撃。剣士としての腕は、反射的に雷矢を剣で斬り落とす。コンマ数秒の隙。
――――起動した。
<氷閃刃>は一瞬で加速した。
加速のための振動で、左腕が吹き飛ばされる。<やみのかいな>でなければ千切れ飛んでいた。
だが、結果は出た。
氷剣フライングソードを衝撃波で吹き飛ばしながら、<氷閃刃>がアドルに命中する。身体の中心を狙ったのだが、左肩に刺さった。爆発のような勢いで、ごっそりと肉と骨をえぐり取る。
アドルの身体が冗談のようにすっ飛んだ。直線を描いて地下湖の端の壁に激突。がらがらと壁を崩してめり込んでいった。
あの勢いだ。激突の衝撃はトラックに轢かれた程度では済まないだろう。
激突の衝撃音が、何度もこだまする。俺は詰めていた息を吐いた。アドルは死んだ。深くは考えない。
「マコトさん! ミトナ姐さんを……!」
ミミンの声に、俺は我に返った。まだミトナが戦う音が聞こえている。すぐに足場を出して援護に向かわないと。
「アドルがやられたってのに、しつこいなあいつら!」
アドルの命令を守っているのか、いまだ戦い続ける二人。とはいえ、アドルよりかは脅威度は低い。
魔術の援護ですぐに撃退できるはずだ。
俺は足場を<ブロック>で生み出すためにマナを練る。俺一人なら<浮遊>の跳躍でいいが、フィクツとミミンも向こう側に渡さなければならない。
「さすがに……痛いなァ?」
まさか。
ありえない。
あれだけ身体が千切れて、生きていられるとは思えない。
「これが、剣聖の力か……。本当に、人の器におさまるものではないなァ」
がらがらと壁が崩れる音がする。
まるで、地獄の門から鬼が這い出すかのように、現れる剣鬼。
「アドル……ッ!?」
崩れた壁の山を乗り越え、ゆっくりとアドルが歩いてくる。
ちぎれた左腕は、触手の様な肉が食いつき、増殖して再生していく。もちろんまともな形は取れない。
身体のバランスに似合わない、巨大な異形の腕。左手に持つ剣が、玩具のように小さく見える。
俺は慌てて<氷閃刃>の術式に切り替えようとする。
間に合わない。
一瞬で踏み込んだアドルが、すぐ傍に。
腕でガード。間に合うか。
「ッああああああああ!!!」
腕ごといかれた。痛覚を無視できるはずの<やみのかいな>に激痛。
激痛を逃がそうと、意思に関係なく声が出る。
逃げようとさがりかけた足の甲に、長剣が突き刺さる。
ひやりとした冷たい感触が足の中を通る。
「痛かったからなァ。痛かったから」
異形の腕から、拳が飛んだ。
腹の中に石を詰め込まれたような。重い。痛い。
顔面に二発。視界がチラついて、ブレる。
太ももに短剣が刺さる。熱い。今度は刃が熱い。
駄目だ。
<魂断>を深くもらうと、また切り離されて魔術が使えなくなってしまう。
どうしてアドルは一息にやらない。報復のつもりか。
それとも。
「どうだ。強いだろう。俺は。強いだろう」
もう考える力もないほど〝魔物”と化しているのか。
アドルの左顔面も、すでに異形の紫色と化していた。浮いた血管が戻らない。目玉が飛び出そうなほどに見開かれて。
アドルは短剣を振り下ろした。
<やみのかいな>を解除、生身の腕で剣刃を受け止める。かざした両手を両方貫通。もう痛いのもよくわからない。
「――――――!!」
誰かが叫んでいる気がする。
ここで死んでいるわけにはいかない。気がする。
「くっそおおおおおおおお!!」
感覚がなくなりかけた両腕を無理矢理動かす。右手が抜けた。
足に刺さっている長剣を引き抜くと、まだアドルの形を残している太ももに突き刺す。よだれを垂らしてよろめくアドル。
太い腕が俺を突き飛ばす。
短剣は抜けたが、もう左手は使い物にならない。
立て。動け、足。
俺の身体はどうなってんだ?
どこにいたのか、クーちゃんの足が触れるのを、感じる。
クーちゃんの宝石が光を。
<接続しました>
<肉体を復元します>
意識が。
フィクツとミミンは動けないでいた。
その全身は、かたかたと小刻みに震えている。勝手に震えるのだ。止められない。
アドルが異形と化してマコトに迫り、その身体をズタボロにするのは見えていた。
助けるために放った狐火は、当たる前に弾け飛んだ。
「お兄ちゃん……」
ミミンのか細い声。その手はフィクツの裾をぎゅっと掴んでいる。
マコトの姿は消えていた。
マコトがいたはずの場所には、巨大な狼が座っていた。
触れることすら怯むような、青白い燐光を放つ毛並。その瞳も爪も牙も、野生のものとは思えない、神々しさがあった。




