第188話「地下湖での戦い」
水面まではそれなりの距離があった。思った以上に広い空間らしい。
巨大な地底湖のように見えるが、実際は水を貯めておくところだろう。大雨が降った際にはここに流れ込む。最近は降っていないために水位が下がって空間ができているのだ。
あいた穴から光が差し込んでいた。水面を円く切り取っている。
奥のほうにぼんやりと見える光は、通路だろうか。
俺はゆっくりと降下しながら暗がりに目を凝らす。
「この高さに水だ、死んじゃいないと思うがな……」
「ん。そうだね。水音は二つだけ。気をつけて」
抱えたミトナが耳をぴくぴくと動かしてあたりの様子を探る。
水音が二つなのはおかしい。三人は落ちたはず。どうにかして逃れたか、それとも。
「ニイさん、もう少しで水に落ちるで!?」
降下していた俺たちも水面に近づいていた。水に落ちると荷物も服も濡れて動きが重くなる。
俺は体内のマナを練り上げた。
「<ブロック>!」
魔方陣が輝き、一瞬だけ辺りを照らす。割れ砕けた魔方陣から薄い氷の板が出現した。足場代わりだ。
俺がまず足をつくと強度を確認。ミトナ、フィクツ、ミミンを降ろす。
そこで俺はふと気付いた。
「エリザベータはどこだ?」
「やはり見逃しておったようじゃの。あの娘なら、落ちる瓦礫を駆け上っていったがの?」
「ありえへん……」
ミオセルタの言葉にミミンが絶句した。
落ちる先にばかり意識が向きすぎていたので気付かなかった。たしかに大きめのブロックごと落ちていたが、空中の石を足場に駆け上るとは。忍者か、あいつは。
「とりあえずここから脱出しないとな」
俺は上を見上げた。思ったよりあいた穴は高い。ジャンプで届く高さじゃない。天井はドーム状に歪曲しているため、壁際を登っていくのも無理だろう。
ここも地下水路の一部だろう。王都の地下中に張り巡らされているということだ。
「――――<光鳥>」
<擬獣化>で<光源>を鳥に変化させる。ある程度自律行動する光源の出来上がりだ。頭の中で思い描くとその通り動いてくれる。念のためもう一体創り出すと空間に飛ばした。
「……マコト君」
「わかってる」
ミトナが低く注意を呼びかけた。
光源によって照らし出された水面。そこにアドルが立っていた。
何かの魔術か、それとも魔術装備か。どうやっているのかわからないが水面に立っている。
アドルがぽつりと呟いた。
「お前は、一体何なんだ」
「……?」
「エリザベータは始末しなければならない。だが、あの方の話の中には、お前のことはなかった」
アドルの持つ二本の剣。そのそれぞれが淡く光を帯びていく。
あの光の色、よく見ると見覚えがある。<魂断>の光だ。どうりで簡単に氷の剣が叩き折られるわけだ。
ミトナがバトルハンマーを構える。その表情に一抹の不安が混ざっていた。
氷の足場があるところならともかく、水面だと踏み込めない。
「包囲された奉剣部隊本部から抜け出し、魔術を以って一撃で灰竜を撃墜し、ゴーレムの軍勢を蹴散らす」
アドルが一歩踏み出した。その足裏から波紋が生まれるだけで、水に落ちる様子はない。
確実に歩みを進めていく。
「ここでお前は殺しておくとしよう。王国に救世主は――――必要ない」
アドルから殺気が迸った。両の刃が強い光を放つ。
アドルが何を言っているのかはわからない。だが、ここで俺たちを殺す気なのは十分に伝わってきた。
じわり、と手のひらに汗がにじんだ。接近されるのはまずい。距離があるうちに先制攻撃だ。
「<大氷刃>!」
俺は溜めなしで氷の刃を創り出す。
このまま射出しても二の舞だ。だが、俺には前とは違う技がある。
俺はマナを練り上げると、空中で浮遊する氷の刃を強く意識した。射出するよりも確実な命中。
<空間転移>で直接体内に叩き込めばいいのだ。
「<空間―――!?」
練り上げた術式が解放された瞬間、失敗を悟った。魔術が起動しない。
狙った場所に転移させようとしても、目標地点から弾かれている。
まさか、体内とかに直接転移は無理なのか!?
「来るよ!」
射出しないと見てか、アドルが前傾姿勢になった。水面を蹴り、速度を上げる。
慌てて射出した<大氷刃>は一刀のもとに斬って捨てられた。
大きな水音を立てて水面に落ちた。沈んでいく。
青い火の玉がアドルに飛んだ。フィクツとミミンだ。
小さな火の玉は触れるまでもなくアドルのプレッシャーに吹き散らされる。
「ん――――!」
ミトナが前に出ながら振りかぶった。後ろから前へと送りだすようなスィング。だが、氷の足場のためか踏み込みが弱い。
アドルがバトルハンマーの軌道を見切る。ぎりぎりで回避しながら長剣を振りかぶる。ミトナの顔が凍りついた。
「オオオオオオオオオっ!!」
俺が放った<りゅうのおたけび>が炸裂する。咄嗟の一撃だ。ミトナも巻き込みながら吹き飛ばす。
ミトナの身体が水面に叩き込まれる。水しぶきが盛大にあがった。
ミトナは泳げるのか!? 助けに行きたいが動けない。
アドルは剣を十字に交差させ、咆哮を防いでいた。勢いに押され、わずかに後退した程度か。
水を踏み、再び加速する。
「<フレキシブルプリズム>!!」
複数の状態以上を持つ呪い。直接攻撃があたらないのならば、あたり一帯を覆う呪いで仕留める。
「ちっ……!」
舌打ちひとつ。さすがに突っ込むのを嫌い、アドルは<フレキシブルプリズム>を避けながら回り込む。この空いた距離しかチャンスはない!
マナを練り上げると、連続で魔術を起動する。
威力よりは、速度。命中よりは範囲攻撃を意識。
「<氷弾>! <雷瀑布>!!」
魔方陣が連続して割れる。<氷弾>で生み出された氷柱は、全部で三十八。それが弾幕を張るようにアドルに向かう。
アドルが神速の剣捌きで氷柱を斬りおとしていくが、それは予想済みだ。
氷柱を追いかけるようにして、雷撃の奔流がアドルを飲み込もうとする。
「――――<魂断>」
アドルの低い声。雷撃が布のように真っ二つに千切れた。その様子はエリザベータが斬った赤蟲竜を思い出させる。
俺は奥歯をかみ締めた。アドルの剣術が一流なのは、森での戦いの際に知っている。だが、迫る魔術をこうたやすくねじ伏せるほどのものだったか。
「くそ……っ」
思わず悪態が口から漏れた。<雷瀑布>を斬ったとはいえ、余波が空気を焼いているはずだ。そのダメージすら見えない。
これが、聖剣の力だというのか。
「フフ……。フフフフフハハハ!」
アドルから笑い声が漏れた。
「やはり聖剣ヴァトゥーシャは素晴らしい! 力が漲ってくる!!」
「アドル、お前……気付いてないのか?」
俺はアドルの目を凝視していた。完全に瞳が黒に染まった、その目を。
ヴァトゥーシャは人工的に“魔物化”を引き起こすトリガーだ。アドルの強さが反則級なのも、アドルにヴァトゥーシャが“力を与えて”いるからなのだ。
「そのままだと、魔物になるぜ?」
「戯言を」
俺の言葉を、アドルは一蹴した。聞く耳は持たないらしい。
遠くから金属音が聞こえた。ちらりと見ると、明かりがあったところにミトナの姿が見えた。どうやら泳いでそこまでたどり着いたらしい。
だが、そこにはピックとスライサーの姿もあった。武器を手にミトナと向かい合っている。
アドルもそれに気付いたらしい。顔に浮かぶ笑みが深くなる。
「さあ、続けようじゃないか。せいぜい足掻いて死ぬがいい」




