第179話「灰竜と騎手」
叫び声はどこから上がったのか。向こうの通りから驚き慌てふためく声が聞こえてくる。
普段街にいる人たちは、魔物と遭遇する機会など無いのだろう。その怯え具合が通りから少し離れたここからでもわかる。
灰竜はどうやら逃げ惑う人々を目標に定めたらしい、ぐっと鎌首をもたげた。
ブレスの発射姿勢。
考える時間など無い。
俺は体内のマナを練り上げると、<魔獣化>を起動する。連続で魔法陣が割れるなか、俺は<浮遊>で軽くなった身体で軽く跳び上がる。
同時に俺は足場となるような氷の板を<「氷」中級>で創り出した。サーフボードのように上に乗る。
「ミトナ! 飛ばしてくれ!」
「――――ん!」
細かい指示などいらない。ミトナなら意図を汲んでくれる。
ミトナの<くまの掌>が下から氷のボードを打った。俺の身体がボードごと勢いよく上空へと打ち上がる。振り落とされないように、クーちゃんが爪を立ててしがみつく。
「<雷瀑布>!」
雷撃を、上から下ではなく、横に向かって撃ち出した。
ドラゴンがブレスを放つのと、俺の魔術の起動はほぼ同時だった。
触れるだけで蒸発しそうな赤黒い炎のブレス。それが<雷瀑布>と激突して巨大な火炎の花を咲かせる。
<「雷」中級>+<りゅうのいかづち>。合成呪文の中でも最大級の威力を持った一撃だ。これで相殺できなければどうしようかと思ったが、うまくいった。
だが、灰竜の瞳が俺を捉えた。
いろいろ被害が出ると思って、咄嗟に動いてしまったが、そのせいで目をつけられた。やるしかない。
俺は屋根に着地すると、フィクツとミミンを乗せて離れるようアルドラに思念を送る。
やりあうとなれば下を守りながら戦えるかどうかはわからない。
今更ながら、逃げる一手だったかと少し後悔する。
いや、灰竜の機動力だと、王都のどこにいても危ない気がする。
ここで食い止めておかないとルマルやガロンサにも被害がいくかもしれない。
なんで俺がドラゴンと戦わなくちゃならないんだという気持ちは、ミトナが屋根上に登ってきたことで完全に消えた。やっぱりやるしかない。
灰竜が大きく息を吸い込んだ。咆哮のモーションにぎくりとなる。
俺はミトナの前に出ると、大きく息を吸い込んだ。
「おおおおおおおッ!!」
<拘束の咆哮>。
咆哮には咆哮。<拘束>も合成して相殺力を上げる。
ゴオアアアアアアアアアアッ!!
「ぎ――――ッ!?」
ぶち抜かれた。
<体得! 魔法「りゅうのおたけび」 をラーニングしました>
こちらの咆哮の衝撃をぶち抜いて、灰竜の咆哮がこちらの身体が打撃した。
全身をくまなく叩くような衝撃に、息が詰まる。
相殺しきれなかった!
ケイヴドラゴンとは同じ竜種とはいえ、格が違うか!?
まさか魔法も上位版があるとは思わなかった。硬直する身体で後ろをなんとか窺う。
ミトナは無事だ。俺の身体が壁になったらしい。だが、俺の硬直の隙に灰竜は赤黒い火炎のブレスを発射した。
「ん――――ッ!!」
ドォンという大太鼓を叩くかのような重低音が響く。ミトナが<くまの掌>で迎撃した音だ。
幻影の熊腕は赤黒い炎塊を無理矢理四散させた。俺の硬直が解ける。身体が動くようになる。
「助かった!」
「ん、だいじょうぶ」
驚いたのは灰竜も同じらしい。二度もブレスを散らされるとは思わなかったのだろう。
ブレスは防げる。あとは攻撃が通るかだ。
ミトナを信じる。
「ミトナ! ブレスの防御頼む!」
「ん! まかせて!」
さっきとは逆だ。ミトナが俺をかばうように前に出た。手にはいつものバトルハンマー。いつでも<くまの掌>を使えるように身構える。
「もう一発! <雷瀑布>!!」
魔法陣が割れると同時、雷が空気を焼く。ひび割れたレーザーのように、極大の閃光が灰竜に向かって殺到する。
相殺ではなく、攻撃のための魔術。
灰竜は自分を守るように、翼で身体を包みこむ。卵のような姿に<雷瀑布>が命中する。
「ダメだ、効いてないな、アレ……!」
たしかに雷は命中しているが、翼に弾かれている。マナ的な防御があるのか、貫通するほどの密度が足りない。
<雷瀑布>が弱まった瞬間に、ズバッと翼を広げ、雷は弾き散らされた。
「なら――――<大氷刃>!!」
<「氷」中級>を合成することで、溜めなくても最大級の大きさで出現する巨大な氷の刃。
魔法陣の砕ける飛沫の中、三つの<大氷刃>が灰竜に突き進む。
灰竜が動いた。翼を一つ空打ちすると、時計塔を崩しながら上空に舞い上がる。
<大氷刃>がむなしく通り抜けた。威力はあるが最高速に達するまでに時間かかる魔術だ。この結果はしょうがない。
空中に浮かび上がった灰竜は数秒ホバリングを続けたあと、崩れた時計塔の跡に足をついた。あまり高度を上げると王城からの魔術で狙われるためだろう。
低空をホバリングしながら飛び続ける航空性能はないらしい。
大魔術をたて続けに見せたせいか、灰竜の警戒はほぼ俺に向けられている。そりゃそうだ。逃げる背中を見せたら、後ろから狙い撃ちだ。
だが、このままだとお互い決めてが無い。
王城からの増援がくる可能性を考えると、むしろ灰竜の方が旗色が悪い。
そこまで考えた時、灰竜から飛び降りる影が見えた。これまで操縦をしていた騎手だ。
長い嘴に巨大な目。太古の魚竜のような頭がそこにはあった。獣人だ。
袖のない貫頭衣から覗く腕は鱗に覆われている。鍛えられているであろう太くたくましい腕には、三又に分かれた槍を持っていた。腰のベルトには予備装備であろう刃が太い短刀が提げられている。
これが南部連合の人なのだろうか。ルマルの荷馬車を襲ってきたのが人間だっただけに、疑問が頭に浮かぶ。
だが、ドラゴンに騎乗して高空で行動するのは、普通の人間には無理だろう。その部分は納得だ。
「――――死ね!」
怒気を乗せ、吐き捨てるように魚竜人が叫ぶ。三又槍の穂先を突き出したまま、屋根上をこちらに迫る。
同時に灰竜が飛びあがった。王城から飛んでくる魔術は騎手を乗せていてはできないような動きで避けながら、頭上を旋回。口腔内にはブレスをチャージし続け、俺とミトナの隙を狙う。
ミトナが迎撃のために前に出る。ミトナが俺から離れた瞬間、ブレスが俺に向かって放たれた。
空中を旋回しながら放たれたブレスに、俺は一瞬気付くのが遅れる。
「<氷盾>!!」
とっさに氷の盾を三枚重ねて展開。赤黒い炎塊は氷の盾を二枚砕き、最後の一枚にヒビを入れた。
見ればすでにさっきの場所に灰竜はいない。
「よくも同胞を! 滅べ! 悪魔どもがッ!!」
甲高い鉄の音が響く。距離を取り、穂先を高速で繰り出す魚竜人はミトナを圧していた。
何より気迫がおかしい。一瞬で灰になりそうなほどの怒りの温度。
このままじゃ駄目だ。
魚竜人を魔術で狙えば、ブレスを撃たれる。かといって、ミトナと交代しても、魚竜人の槍捌きの相手をできる気がしない。
今度は俺とミトナの方がやばい。
俺は空を旋回する灰竜を見上げた。
何か。何かないか――――?




