第161話「水路の主マルカーン」
地下水路市を進むうちに、俺はあることに気が付いた。
物を売っている商人は獣人がほとんどだ。人間もそれなりにいるが、ここには獣人や半獣人であふれている。
いや、アンダーグラウンドな雰囲気や、怪しい取引をしているところからして、ここに押し込められている、といったほうが正しいのかもしれない。
フィクツが俺を振り返っていた。俺の表情から何かを感じたのかもしれない。苦笑をすると前に向き直って言う。
「王都はパルスト教を信仰しとるんや。教義は人間至上主義。獣人や半獣人の居場所は、ほとんどあらへん」
あんな欠陥設計住宅のような狭い場所に住んでいたフィクツとミミン。その表情は見えない。
「利益は基本人間に持って行かれる。ワイらが儲かるには、こうやって地下で商売するしかないんや」
「フィクツ……」
苦しい思いをしているということか……。
俺は胸が淡く締め付けられるような気持ちになった。
ミトナの顔が思い出される。思想によって弾圧される側は、苦しい立場に立たされる。生活や考え方の土台が、自分たちに不利なものになっているのだ。
「始まりはそうだと言われていますね。ですが、今や王国を裏で支える巨大マーケットになっています。取引されるのは高級品ですよ。ここはほかにも数か所あるうちの、地下水路市の支部の一つです」
すました声でコクヨウさんが補足した。さっきまで抱いていた弱者のイメージが一気に覆る。見ればわざとらしい笑みを浮かべたフィクツがこちらを見ていた。
茶化していたが、獣人や半獣人の肩身が狭いのは変わらないだろう。パルスト自体にいい思いを抱いていない俺は、どちらかといえば半獣人や獣人よりの考え方だ。
そんなことを話しているうちに、目的地に着いたらしい。目の前には、ボロ布やボロ絨毯をふんだんに使って作られた家みたいなものが見えていた。天幕のように張り巡らせられている色とりどりの布が、異国感を醸し出していた。
その入り口の前に、屈強な見張りが立っている。ワニの獣人と、豚獣人が、腕組みをしてこちらを睨みつけていた。無遠慮に近付いて来る俺達を見て、ピリリとした表情をしていた。
だが、フィクツは意に介さない。すたすたと近づいていくと、二人の門番の前で立ち止まった。大声で中に呼びかける。
「マルカーンのジイさん、おるんやろ!」
大丈夫なのか……?
そう思うくらいの時間が経った後、ボロ布天幕の中から、歳経た声が返ってきた。
「……トモリんとこのチビだね。おはいり」
「お邪魔するで」
フィクツの後続の俺達を促す。ワニの獣人と豚獣人の門番が俺達をじっと見て来る中、天幕の中へと入ることにした。
天幕の中は意外と広い。広めにつくられた空間の奥の方に、ぽつんと白い丸テーブルが見えた。その近くには座りやすくするためか、大量のクッションが敷き詰められている。
テーブルの近くにはヒョウのような大きな獣が寝そべっていた。大きさからして魔物じゃないかと思うが、誰も驚いていないのでわざわざ聞くのもどうかと思ってやめておく。
ヒョウはちらりと片目を開けたが、興味がないのかふたたび目を閉じた。
「いらっしゃい。……こりゃまた、おもしろい人をつれてきたね」
しわがれた声にハッと我に返る。
クッションに埋もれるようにして、一人の狐獣人が座っているのに気付いた。どれほど年老いているのか、腰が曲がって身体が小さく見える。毛の質感は水気がなく、毛並みは一部ハゲがきているところもあった。
この人、目が見えない……?
目がを開けてはいるが、何も見えていないようだった。眼球は白く濁っており、時折匂いを嗅ぐような仕草をする。そんな老狐獣人は、ゆっくりとした動作で俺達を座るように身振りで示した。
「儂がマルカーン。この第三水路市の長をしている。このフィクツとミミンは儂の孫よ」
ジイさんって、老人の通称とかじゃなくて、本当に祖父なのか!
驚いた目でフィクツを見る。自慢げに狐耳がぴこぴこ動いているのがなんだか憎らしい。どうりで地下水路市に慣れているわけだ。
「それでやジイさん。ちょっと協力してほしいんよ。追われてるこの人を王都の外まで脱出させたいんや」
「ふむ。フィクツの頼みごとだったらきいてやろうさ。でも、お金はもらうよ」
「相変わらずガメついわ、ジイさん」
お金の交渉の話になるとコクヨウさんが前に出てもらった。交渉や市場価格の知識がない俺よりも適役だろう。コクヨウさんは緊張した面持ちでマルカーンとしばらく交渉していたが、やがて話は着いたようだ。苦い顔をして戻ってくる。
「すごいお人です……。かなりかかりました。すみません」
「俺じゃできないことをやってもらってるんだから、文句なんて」
「それじゃ、準備しようかね。すぐ行きたいんだろう? 今日はここで休むといい」
どうやら準備を含めてすぐにできると言うわけではないらしい。
マルカーンは門番を呼び出すと、準備を言いつけると、俺達に休んでいるように言った。
様々な事情のある客を泊めるための空間が、別の場所にきちんと用意されていた。地下とは思えないほど清潔で整えられていた。俺達はそこで疲れた体を休ませた。
太陽の光が差し込まないからか、寝すぎてしまった。俺はフィクツの声に叩き起こされる羽目になる。
なんとか頭をしゃっきりとさせると、水路地下の出張屋台で腹ごしらえを済まして再びマルカーンの下に集まった。
まるでずっとそこに安置されているかのごとく、マルカーンは今日も同じ場所に座っていた。
「準備はできたよ。このサンタークについていけば王都まで脱出できるよう手配してある」
そういってマルカーンが撫でたのは昨日もいた大きなヒョウだ。
「ジイさん、感謝やで」
「気にするもんじゃない。もらうものはもらってるよ。フィクツ、ミミン……また、顔だすんだよ」
ミミンの言葉に、マルカーンはニッと笑った。その笑顔はなんだか似ている気がする。フィクツとミミンがマルカーンの小さな身体を抱きしめた。
マルカーンの言葉をどこまでわかっているのか、ヒョウのサンタークがのっそりと立ち上がった。迷いない歩みで天幕の出口を目指す。出口の前で一度俺達を振り返ってみた。ついてこい、ということらしい。
俺達はサンタークの後を追って、ぞろぞろと天幕を出ることにした。
「ちょいと、そこの方はこっちへいらっしゃい」
そのはずなのだが、なぜか俺だけ呼び止められた。思わず自分の顔を指さす。マルカーンは鷹揚に頷いた。
「この歳になるとね、いろんな物が見えてくるもんだよ」
マルカーンは見えぬ目でじっと俺を見つめる。カラダの内側の、魂を見るかのように。
「――――貴方は、普通の〝人”ではないね? もしかすると、この世界の存在ですらないのかもしれないね」
「なッ―――!?」
俺は声を出しかけた、慌てて抑えた。この老狐獣人には、一体何が見えているのか。
「魂とカラダが、あまりにちぐはぐだ」
「ご老体、見えておるんじゃな?」
ぬるりと鞄からミオセルタが頭を出した。そのまま抜け出して、ボロ天幕内に浮かび上がる。
「ほっほ……。こちらもまた、すごい魂のいろをしてるものだね」
「ミオセルタと言うしがない研究者じゃよ、ご老体。そうよなあ、マコトは普通の〝人”ではない」
「――――魔物、よの?」
――――!?
ミオセルタの言葉が、飲み込めない。
俺は咄嗟に自分の手を見た。普通の人間の手だ。影の手ではないし、尻尾もない。変身できるから魔物、ということなのか?
「ミオセルタ、それは――――」
問いかけようとした言葉は、洪水のようなざわめきにかき消された。
天幕の外、地下水路市自体がわめいているような声が俺のセリフをかき消した。
「マルカーン様!!」
豚獣人の門番が血相を変えて入ってきた。右手には抜き身の剣をひっさげている。尋常じゃない。マルカーンが片眉をあげ、疑問の表情になる。
「手入れ―――襲撃です! 騎士団が!! 地下水路の襲撃を行っております」




