第158話「転移魔術」
入室したアドルは俺の顔を見て怪訝な表情になった。
「スライサー……?」
心拍数が一気に跳ね上がる。
気付かれたか……!?
最悪の事態を想定して、アドルを観察する。幸いアドルは武装を身に着けていない。勇者との謁見だからだろう。ここでいきなり斬りつけられるということはない。
ただ、アドルの鍛え方からすると殴るだけでかなりのダメージだろう。思わず身体が固くなる。
アドルはゆっくりと俺を見てから、勇者たちに目を滑らせる。勇者と目線が合うと、アドルは笑顔になった。さっきまでの怪訝な表情など微塵も残さない。
「ようこそいらっしゃいました。私は奉剣部隊の副隊長をしております、アドルと申します。勇者様方の噂はかねがねお聞きしておりました。お会いできて光栄です」
ビジネスマンもかくやという笑顔でアドルは手を差し出す。その変化のいきなりさに、ぎこちないまま腰を浮かせ握手に応じながら自己紹介する勇者達。
三人はアドルにすすめられて腰を下ろした。完全にアドルのペースだ。当然アドルは俺の隣に腰を下ろす。プレッシャーが隣から押し寄せる気がするが、気のせいだろうか。何も言わないということは、気付いてないってことだろうし。
確かにフィクツによる<幻惑>は質感すらも騙す。マスクとは違って継ぎ目もない。近くで見たとしてもばれることはないはずだ。
俺は覚悟を決めた。ばれてないのなら、なるようになれだ。役になるならなりきってしまえばいい。
気合いを入れた俺の横で、アドルは落ち着いた口調で話し出した。
「聞けば南部戦線では大活躍をされたとか?」
「いえいえ、大したことはしていませんよ」
「みなさんのおかげで南の領土線も変わりそうです。さすがは神に選ばれし勇者様だ」
アドルが賞賛の言葉を投げかける。勇者達はまんざらでもない様子でその賞賛を受けていた。アドルも本心からの賞賛を送っているように見える。
気になる言葉がある。
〝神に選ばれし”とか、どういうことだ? 神って、〝人の神のことだよな?
俺は全身を耳にして話を聞く。
気にはなるが、俺から質問はできない。もしかしたら知ってて当然のことなのかもしれないからだ。いらないことを口走れない。
「南方は大変だったことでしょう。砂漠は昼は暑く夜は寒い。
「いや、クロエさんの転移魔術があったので、休息する場合は快適な場所に移動できるんですよ」
「転移魔術……ですか」
「ええ。おかげで過酷な状況でしたが、快適に過ごすことができました」
「たいしたことないし……」
「いえいえ、勇者クロエ殿だからできることでしょう」
アドルの言葉に、照れたように勇者クロエがさらにうつむいた。
転移魔術!
なんだそのすばらしい魔術は! これまで聞いたことないぞ。
「て、転移魔術ってどんなことができるんですか?」
思わず口を出してしまった俺に、全員からの視線が集まった。
しまったと思った時にはもう遅い。だが、魔術と聞いて詳細を聞かずにはいられない。
俺の質問に答える代わりに、勇者クロエが杖を少し持ち上げた。待っている間に出されたのだろう、テーブルの上に載っていた空のティーカップを手に持った。
「――――<転移>」
準備詠唱も何もない。一言だけで完成された魔術が発動した。
魔法陣が瞬間現れれると割れ砕ける。次の瞬間には光に包まれたティーカップは消えていた。俺の目の間の空間にティーカップが出現する。
これが転移か。
物体の移動。話を聞くかぎりなら数人単位で人間の移動すら可能のはず。
「こんなかんじだし……」
そういうとしゃべりつかれたかのように、クロエは押し黙った。
焦るな。俺は自分に言い聞かせた。
今は魔術が使えない。ラーニングもできない、となるとここで焦っても意味がない。俺は自分自身の言葉があふれ出しそうになるのを押しとどめる。
転移はどの距離まで可能なのか、最大でどれくらいの大きさ、重量のものが可能なのか、そして。
――――別世界への転移は可能なのか。
疑問をまとめ、ぶつけようとした瞬間に、アドルが横から遮るように口を開いた。
「不躾な部下ですみません。それで、本日はどんな御用でしょう?」
「あ、先ほどもこの方に言わせてもらったのですが、この部隊がどんなものか見学をさせてもらいたいと思っています」
「わかりました。では、施設からご案内しましょう」
そう言うとアドルは立ち上がる。どうやらこれ以上は質問できそうにない。俺は落胆した。
だが、逃げ出すにはいい頃合いだろう。移動するのなら、どこかの隙で突いて脱出することにしよう。
アドルが扉を開け、勇者達を通す。俺も続いて通ろうとして、アドルに腕を掴まれた。ものすごい握力に、手首が痛む。思わず顔をしかめた。
アドルと目が合う。勇者達に向けて表情は笑顔であるが、その目は一切笑っていない。
「それで、スライサーに顔が似た君は、一体誰だね?」
ばれた。
掴まれた腕が痛い。隙は、ないか。何かチャンスをつかむために、時間を稼ぐしかない。
俺はふてぶてしく見えるように笑う。
「いやだなあ。俺は俺ですよ」
「ふむ……。ここまで高度な変装魔術を使えるというのは、報告書にはなかったがね。マコト君」
俺はハッとして顔に手を当てた。ひやりとした感触。完全に<幻惑>が解けている。今の俺は元の顔に戻っていた。
勝ち目は薄くてもいっそ暴れてみるかと身構えたとたん、いきなり爆発音が起きた。
ズドンと腹に響く音と共に、建物が少し揺れる。パラパラと砂ぼこりが天井から落ちて来る。建物のどこかが爆発したのだ。
見開かれるアドルの目。驚愕の表情で俺を睨む。そんなに睨まれても俺も知らないぞこれ。
にわかに本部がざわつき始めた。何人もの職員や制服姿の隊員が廊下へとあふれ出してくる。勇者達も驚いた表情をしていた。
「どうした!」
慌ただしく走り寄ってくる制服姿の一人にアドルが呼びかけた。〝くせっ毛ショートカット”の女性隊員がアドルに敬礼する。
「ハッ! 上階で爆発の模様です。何者かが侵入したかと思われます」
「くそっ、この男を拘束しておけ! 私が賊を叩く!」
「わ、わかりました!」
部隊員がアドルから引き継いで俺の腕を掴む。俺はおとなしく掴まれるままになっていた。
アドルが近くの隊員から武器を受け取ると、すぐに二階へと向かっていく。
「異常事態のようですね。僕らも手伝おう」
勇者達がアドルの後を追いかけて去っていく。後には腕を掴まれた俺が残された。
「ついてこい!」
女性隊員が俺の腕を引っ張って歩く。俺はうなだれたままそれに従った。
女性隊員は人波をかき分けながらどんどん俺を引っ張っていくと、やがて本部の建物の外へと出る。もはや俺の腕は掴まれていない。速足から駆け足になりながら女性隊員に声をかけた。
「ありがとうございます、ハクエイさん」
「念のために潜り込んでいた。爆発を仕込んだコクヨウと他二人は先に脱出している」
「よかった」
制服を着て隊員に変装していたのはハクエイだった。それに気付いたから素直についてきたのだ。
「すぐに脱出だ」
「あ、待って」
「……?」
脱出を拒まれたハクエイが疑問の表情を浮かべる。今は爆発で混乱をしているが、アドルや勇者達がいる以上すぐに混乱は収まるだろう。その短い間に脱出をしなければ逃げ切れなくなってしまうからだろう。
だからこそ、今しかチャンスがない。
「混乱しているうちに、寄りたいところがある」
俺はハクエイをまっすぐ見ながら言った。
俺には、行くべきところがある。




